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第13話 ルルーの選択

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 補給を終え、捕虜や負傷者のことを補給部隊に任せた紺の王国軍は、再び進軍を開始した。
 国境を越えて、紫の王国の領内を進んでいく。
 道中で編成し直した敵部隊との交戦があるかと思っていたが、敵にその気配はなく、何日かの野営を挟み、王都の目前へと迫ってきていた。
 最初の戦闘から撤退した紫の王国の兵達はすでに王都へ戻っているだろう。多くの魔導士を捕虜にしたとはいえ、それらの兵と城の残っていた戦力が合わされば、油断できない数になるであろうことは、容易に想像できた。

 王都までの間のおそらく最後となる休息中、キッドはルルーの元へと向かう。
 キッドには、最終決戦前にルルーに確認しておかねばならないことがあった。

「ルルー王女、よろしいですか」

 草むらに腰を下ろし、水を飲んでいたルルーに声をかける。

「はい、もちろんです」

 慣れない行軍で疲労は溜まっているだろうに、ルルーはそんな様子を微塵も匂わせずに、笑顔を向けてくれる。思えば、キッドが話しかけた時、彼女はいつも、こちらもつられて顔がほころぶような笑みを見せてくれていた。
 なかなかできることではない。そう思いながら、キッドはルルーの前に跪こうとした。だが、彼女は自分の隣の草の上をポンポンと叩く。明らかにそこに座れという意思表示だった。
 少し気恥しくあったが、キッドはルルーと並んで座るように腰を下ろした。

「何か大事なお話ですね?」

 顔や声色に出しているつもりはなかったが、気づかれていた。そういう勘の良さにはキッドも舌を巻く。

「ええ。これからの方針についてです。俺達には二つの道があります」

「二つの道ですか?」

「ええ。一つはこのまま敵の残存兵力と一戦交えた上で、紫の王国を領土とする道です。相手が王都を出て決戦に挑んでくるのか、街や城への被害も覚悟の上で籠城戦を選んでくるのかはわかりませんが、どちらにしても味方にも敵にも被害が出ます。ですが、その代わり、紫の王国の王族を排除し、我が国からこの地に領主として信頼できる者を派遣して統治することができます」

 キッドの言葉に、ルルーは黙ってうなずく。

「もう一つは、戦わず、交渉にて戦いを終える道です。虎の子の魔導士隊を破られたことで、相手も勝機が薄いことはすでに承知していることでしょう。かの国の王ベリルは、賢明な王と聞き及んでいます。民や兵の無用な損害は、彼も望んでいないでしょう」

「ええ。私も二度ほどベリル王とはお会いしたことがあります。民の不幸を嘆き、民の幸せを自分のことにのように喜ぶ、そういった王であると感じました」

「そうですか。……ルルー王女がそうおっしゃるのなら、きっと噂通りの人物なのでしょうね」

 ルルーの見る目は信用ができる。自分を選んでくれたからという単純な理由からそう思うわけではない。彼女の目に見られると、不思議と、どこか心の深いところまで見透かされるような気がしていた。自分には見えないところまで、きっと彼女には見えているのだろう、なぜ確信めいてそう思える。

「そんな王であるのなら、紫の王国側に実利を残せば、交渉により、戦わずして戦いを終えることも可能となります。……ですが、問題はベリル王の力をどこまで残すことを約束するかです。たとえば爵位を与え、紺の王国の貴族として迎えたとしても、紺の王国内に移り住む条件では、王も紫の王国民も納得しないでしょう。とはいえ、紫の王国内に残せば、力を蓄えていずれは我らに牙を向けてくるかもしれません」

 そこがキッドにとっても悩みどころであった。
 戦えば勝つのは紺の王国だという自負がキッドにはある。だが、そこで両国の戦力を削ってしまうと、喜ぶのは黒の帝国だ。失った兵力を取り戻し、再編するのには時間がかかる。そこを黒の帝国に突かれれば、防ぎきるのは難しくなる。
 キッドとしては、紫の王国を戦わずに降伏させるのが理想だった。しかし、そのために、相手が納得する落としどころをどこに置くのかが難しい。下手にベリル王の力を残したままでは、ルルー王女が危うくなるリスクがどうしても残ってしまう。そのことがキッドを最も憂慮させていた。

「……ならば、ベリル王には、侯爵としての地位を与え、この紫の王国の地を治めてもらいましょう。それならば、兵や民からも不満は出ないでしょう。収入の一定割合を税として納めてもらえば、私達にも利があります」

「な……」

 さすがのキッドもその提案には、返す言葉を失う。
 それはキッドが想定していた中でも、最大級の譲歩案だった。この条件なら、ベリル王を説得できる可能性は高い。
 しかし、それではベリル王の権限が大きすぎる。軍は国軍として、自分達の指揮下に置くとしても、治安維持に必要な最低限度の武力は、ベリル王も保有することになる。それらを元に戦力を整えられて、国内から反乱の火の手を上げられるようならば、黒の帝国を相手するどころではない。それどころか、黒の帝国と通じるようなことがあれば、紺の王国は簡単に崩壊する。

「……ルルー王女、しかし、それでは万が一、ベリル王が反旗を翻した場合、俺でも抑え切れなくなります」

「構いません。その時は、私がその程度の器だったということです。たとえそうなったとしても、キッド様に責任はありません。すべて私の責任です」

 ルルーの少し赤みがかった瞳は真剣だった。覚悟を決めた人間の瞳だった。
 その目を見ては、キッドにはもうルルーを止める言葉はなかった。
 ただ、自分の認めた主に従うだけだ。

「わかりました。その条件で、交渉にあたります」

「はい、よろしくお願いしますね」

 こうして紺の王国の今後の進む道が決まった。
 キッドとしては、ルルーの望むように取り計らい、その上で誰かが彼女に反抗することがないよう、自分の全力を尽くす、ただそれだけだった。

◆ ◆ ◆ ◆

 休息を終えた紺の王国軍がさらに進軍し、王都の手前まで迫っても、紫の王国軍は打って出てこなかった。
 それは、紫の王国には籠城戦をする覚悟があるということだが、裏を返せば、敗戦の報告を受けて戦力分析をした結果、野戦勝負をしても勝てないと判断したということでもある。
 キッドは、条件次第で降伏勧告を受け入れる余地は十分にあると見た。
 だが、問題は誰が使者としてベリル王の元へ向かうかだった。
 これからの両国の運命を決める交渉となる。誰でもいいというわけではない。周りすべて敵という状況で、ルルー王女の真意を理解した上で正確に伝え、対等なレベルで交渉できる人間でなければならない。

 陣として張った天幕の中で、ルルー、キッド、ルイセの3人は向かい合い、そのことについての話し合いを行っていた。

「私が直接交渉に向かいます」

 そんなことを言い出したのはルルーだった。
 責任感があるのはいいが、さすがにキッドにそれを認めることはできなかった。

「ルルー王女、さすがにそれは無茶です! 万が一、あなたが人質に取られるようなら、形勢が逆転しかねません。それはルルー王女も理解しているでしょう」

 諫めるようなキッドの言葉に、ルルーは押し黙る。思いが溢れるあまり口に出してしまったが、キッドの言うとおり、王女自らが向かうことの無謀さは彼女自身も理解していた。

「……ですが、交渉を失敗すれば、街を戦場にした争いをしなければならなくなります。ベリル王を説得するのには、私の思いをありのまま伝えないと……」

「ならば、俺が行きます!」

 キッドの言葉に、今度はルルーが慌てる。

「待ってください!」

「俺ではルルー王女の思いを伝えられないとお考えですか?」

「そうではありません!」

 その点に関していえば、キッドが使者ならルルーに不安はない。自分以上に自分を理解してくれているとさえ信じられる。
 だが、ルルーが心配しているのはそこではなかった。

「キッド様に何かあったら私は……」

 彼女の懸念はキッドの身の安全だった。キッドがルルーの身を案じるのと同様、ルルーもキッドを危険な目に遭わせるのは望むところではない。

「俺なら大丈夫です。……魔導士としての俺の力は知っているでしょう? それでも、俺の力では不安ですか?」

「……そんなことはないです。ですが……」

 キッドの腕は信用している。ルルーはキッドのことを最高の魔導士だとすら思っている。しかし、これはそういう単純な話ではなかった。腕を信じることと、心配することとは矛盾しない。同時に成立しうる想いなのだ。
 ルルーは顔を下に向けたまま、何も言えなくなってしまう。
 その様子に困った顔を浮かべるキッドを見て、それまで黙って二人の話を聞いていた、ルイセが口を開く。

「……ルルー王女。ならば、私が護衛としてキッド君に同行します」

「ルイセさん……」

「何かあっても、私が必ずキッド君を脱出させてみせます」

 ルルーは顔を上げてルイセの方を向き、その漆黒の瞳をじっと見つめた。
 ルイセが伝説級の暗殺者シャドウウィンドであることをルルーは知らない。
 ルルーがルイセのまともに戦う姿を目にしたのは、先日の戦闘でだけだ。それも遠目に見ただけで、実力を知るほどに詳しく見られたわけではない。
 だから、ルイセは彼女の実績や実際に見た戦いぶりで、彼女のことを信じたわけではない。
 ルルーが信じたのは、ルイセの瞳の中に、キッドを絶対に守るという、静かだが熱く燃えるような信念を見たからだ。

「……わかりました。キッド様とルイセさんにお任せします。……その代わり、二人とも無事に戻ってきてください。それが条件です」

「わかりました。必ず交渉を成功させてきます」
「……キッド君のことは任せてください」

 二人はルルーと約束を交わし、降伏勧告の使者と決まった。

◆ ◆ ◆ ◆

 キッドとルイセは、それぞれの用意のため、ルルーの天幕を出た。

「助かったよ。ルイセが、嘘でも俺を脱出させると言ってくれたから、ルルー王女も納得してくれたんだろう。俺は、魔法はともかく、腕っぷしの方はてんでダメだからな」

 キッドは隣を歩くルイセに冗談めかして言って、肩をすくめてみせる。
 だが、気づけば、ルイセの姿が隣になかった。
 ルイセが立ち止まっていることに気づいて、キッドは後ろを振り向く。

「……どうした?」

「嘘ではありません」

 ルイセの顔は真剣だった。
 キッドは一瞬何の話か理解できなかったが、すぐに今しがた自分が言った「嘘でも俺を脱出させる」という言葉のことだと思い至る。

「いや、でも、敵の城の中には、数百人は兵士がいるんだぞ。その中をたった二人でって……」

 キッドの言葉にも、ルイセは表情を変えずに強い意志を秘めた瞳で、キッドのことをじっと見つめて続けている。

(……まさかホントにそんなことができるのか? あーでも、確かにルイセ一人ならやれそうな気がしてきた。俺がいると足を引っ張りそうだけど……。その時はできるだけ足手まといにならないようにするか)
「まぁ、そうならないよううまく話をまとめるよ。けど、万が一そうなったときは、よろしく頼むな」

「はい」
(私はともかく、あなただけは逃がしてみせますよ。……絶対に)

 ルイセの深い想いにも気づかぬまま、キッドはルイセと別れ、使者としての準備に向かった。

 そして、数刻の後、支度を整えた二人は、武器の一つも身に着けず、使者として紫の王国の城へと向かった。
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