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第43話 哲学部秘奥義

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「せ、狭いです」
「なにしろ~六人もいますからね~」
「お前ら、邪魔! 助けに来てくれたはずが、思い切り役に立ってないぞ!」
『……面目ない』

 武将達が大きな体を縮こまらせて所在なさげに頭を下げる。

「ちょっと、品緒! あんた、どこ触ってるのよ!」

 盟子が突然悲鳴じみた怒鳴り声を上げる。

「えっ? どこと言われましてもこんな状態ですので……」

 品緒の言う通り、机バリケードの裏はすし詰め状態。どれが誰の手でどれが足だかよくわからないような有様である。品緒にしても、とぼける気などさらさらなく、自分の手が何を触っているかなど全くわかりはしなかった。それ以前に、触っているという意識さえなく、単に置いている、あるいは置かされているといった方が正確な表現だと言えた。
 そこで品緒は、自分の手が何を触っているのか確かめるべくその手に当たっているものを握ってみる。

 むぎゅっ

 なんとも言えない感触。仕掛けのハトよりも柔らかく、風船よりも堅いが、それに近い弾力を持った物体。品緒がその物体の正体を考えようとした時──いや、考えようとする前に盟子の蹴りが飛んできた。

「この変態!」

 倒れているのに近い状態からのピストン攻撃で、品緒をバリケードの外に押し出そうとする。

「や、やめてください盟子さん!」

 いまだ銃弾──とはいえ所詮はBB弾だが──が飛び交う外に出されてはかなわんと、慌てて品緒が盟子の足にしがみついた。

「さ、触るな!!」

 ストッキングさえはいていない生足に抱きつかれ、生理的嫌悪を感じ逆上する盟子。捕まれた足でそのまま品緒の顔面に稲妻のような蹴りを叩き込む。

「ぶぎゅ!」

 品緒の手を振りほどいてもなお力あるそのキックは、品緒の体を安全地帯の外にまで吹き飛ばした。品緒は銃弾の雨──を通りこしてスコールにさらされる。

「ハァハァハァ……」

 実は、意外にも体育祭のフォークダンス以外では男の子と手も繋いだことのないほどシャイな盟子が荒い息をく。服の上からとはいえ、胸を揉まれた上、素足まで触られた。盟子にとっては、同世代の女の子ならば、裸を見られたのに匹敵するほどの羞恥を呼ぶ行為だと言えた。

「お、落ち着け盟子。悪は滅びたぞ」

 盟子の狂乱ぶりに、彼方はよくわからないフォローを入れる。

「いいザマね、空野彼方。まさに手も足も出ないって感じかしら」

 発射音や、机や壁に跳ねる弾と共に聞こえてくる麗奈の声。
 さぞや満足げな顔で見ていることだろうと、彼方は悔しく思う。そのつらを拝んでやろうかと思うが、ちょっとでも覗こうとすればその部分に赤い斑点ができるのは明白。

「くそっ」

 悔しさと情けさの入り交じった気持ちで、机の裏を凝視する。この向こうには自分らを見下す麗奈の顔がある──そんなことを思って見ていたのだが……!!

 彼方の目に麗奈の姿が映った。間にある机が、その部分だけもやっとした状態になり、その向こうに麗奈の姿が見えるのだ。しかも、何故か二つも。

「幻覚? それとも、超能力が身に付いたのか?」

 瞬きしても、目をこすっても二人の麗奈の姿は消えない。視線をほかのところに移すと、普段通りに見える。隣にいる盟子も、とろりんも、一人しか見えないし、服が透けて見えたりもしない。だが、麗奈がいるであろうと思われる方向に目を向けると、目の前の机を無力化して彼女の姿が見えてくる。
 彼方は目を凝らしてその二人の麗奈を観察した。
 一人は胸を張って、満足げな表情でバリケードに隠れている自分達を見ている麗奈。さっきまで相手をしていた麗奈と変わりない麗奈である。
 もう一人は、その後ろに影のようにひっそりと控えている麗奈。彼女には前の麗奈に見られる高慢さは微塵も見受けられない。彼女はひどく虚ろな顔で、じっと前の麗奈の見つめている。その瞳にはおよそ感情とか感慨とかいったものは感じられない。

「……疲れてるのかな、俺」

『彼方さんは正常ですよ。むしろ、彼方さんに見えているのは幻覚などではなく、秋月さんの本当の姿だと言えるでしょう』

 悩む彼方の頭の中に突然飛び込んできた声。それは忘れたくても忘れられない声。

「────!? この声は希哲学!」
「いきなりどうしたのよ1?」
「どうしたって、今、希哲学の声が──盟子には聞こえなかったのか?」
「聞こえるわけないでしょうが! 希哲の姿なんてどこにもないのに! テレパシーでも使えるならともかく……」

 そこまで言って盟子は口元に手をあてて考え込む。

「……あの男ならそれくらいのことやってくるわよね」
「なにしろ、ほとんど超能力者だからな」

 盟子と彼方は視線を合わせて頷きあう。

『そんなたいしたものじゃありませんよ。私はただの人間です。そして人間だからこそ、悩み、苦しみ、それでも少しでもよく生きようと思うから哲学をするんです』

「……はいはい。それで、今回もまた哲学フィールドか? しかも俺だけ?」

 彼方はいちいち口に出すのをやめ、心の声で話すことにする。

『期待に添えなくて申し訳ございませんが、今回は少々違います』

「じゃあ一体何の用だ。このややこしい状況(とき)に」

『こんな状況だからこそ話しかけているんですよ。秋月さん、彼女がよく生きられるようになる手助けができればと思いましてね』

「どういうことだ?」

『彼方さんには秋月さんがどう見えます』

「どうって……。とっつきにくい感じはするけど、美人だと思うぞ。昔っから可愛かったから、俺はこうなるだろうと思って──」

『そういうことを聞いているんじゃありません!』

 少々顔を赤らめつつ、珍しくもじもじする彼方を、希哲学の鋭い声が制した。

『今の秋月さんがどのように映っているかということを尋ねているのです!』

「それならそう言えよ!」

 言う必要のないことを誘導尋問のような形で言わされた彼方は口を尖らす。

「まぁ、いい。……それが、何故だかさっきから麗奈が二人も見えるんだよ。しかも、机を透して」

『彼方さんが感覚ているのは秋月さんの心です。彼女の心は今、悲鳴を上げています』

 彼方はもう一人の麗奈の虚ろな顔を思い出す。若い生気溢れる高校生のものとは思えないあの表情。老いた老人でも、もっと意志力を表面に出しているだろう。

『秋月さんがよく生きられるための手助けをしてもらえませんか?』

「俺に何かできることがあるのか?」

『哲学部の秘奥義であなたを秋月さんの心の世界へ送ります。そこで秋月さんの心と直接話をしてきてください』

「ちょっと待て! 俺には──というか誰にも勝手に人の心に無断で立ち入る権利なんてないぞ。それは人としてすべき行為でない」

『確かに権利はないかもしれません。ですが、あなたにはその資格があるはずです。今の秋月さんの姿が見えるあなたになら』

 彼方の心に小学生の頃からの麗奈との親交が一気に蘇ってくる。それは決して数多いものではない。特に中学以降は数える程しかない。だが、その密度は濃かったと思える。少なくとも、彼方自身はそれらをひどく印象的に捉えていた。

「…………」

『強制はしません。行く行かないはあなたの自由です。どうしますか?』

 彼方の頭に、幼い麗奈の輝く笑顔が蘇ってきた。北風のような冷たさを持つ今の麗奈とは違う、春の暖かさをした麗奈の笑顔が。

「……わかった。彼女の心と話をさせてくれ」

『承知しました。哲学部秘奥義!』

 彼方の意識は混沌の海の中へと吸い込まれて行った。
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