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第13話 クマサンの過去

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 ストーカー男が意識を取り戻す前に、俺は彼をズボンのベルトでしっかり縛り、動けないようにしてから自分のスマホで警察に連絡をした。
 緊張が少し和らぎ、俺もクマサンもようやく落ち着きを取り戻し、近くのブロックに並んで腰を下ろして、警察の到着を待つ。
 隣に座るクマサンの小さな体はまだ震えていた。恐怖の余韻が残っているのか、それとも単純に寒いのかもしれない。

「クマサン、これ、よかったら……」

 俺は自分の上着を脱いで彼女の肩にそっとかけた。家を出る前に着たばかりだから、変なニオイはしないはず――だと思う。

「……ありがと」

 クマサンは俺の上着を引き寄せ、体に密着させた。やっぱり寒かったのかもしれない。
 拒まれなかったことに俺は少しホッとした。

「それにしても……クマサンが女の子だったとは思わなかったよ」

 見た目からすると高校生、あるいは中学生かもしれない。
 あのクマサンがJKあるいはJCとか、頭がこんがらがってくる。

「えっと、まだ学生さんだよね?」

 俺の言葉にクマサンは首をかしげた。

「やだなぁ、社会人だよ?」
「――――!?」

 俺は衝撃を受ける。体が小さいせいか見た目はどうみても中高生なのに、これでも20歳以上なのか!? いや、成人年齢は18歳になったんだっけ? 実際の年齢はいくつなんだろう?
 とはいえ、さすがに女性に対して年齢を聞くほどやぼじゃない。俺は自分の疑問を心の奥にしまった。

「ごめん。すごく若く見えたから……」
「……まぁ、社会人とは言っても、今は休業中なんだけどね」
「そうなんだ。でも、それなら俺と一緒だね。俺もいろいろあって会社を辞めて無職状態だから」

 俺の情けない告白に、彼女は少し微笑んでくれた。その表情に安堵しつつ、俺は彼女の声が頭から離れない。先ほどからずっと耳に心地よく響いていたその声は、特徴的でとても魅力的なものだった。なぜだか、どこかで聞いたことがあるような気もする。

「前に間違ってボイスチャットしてきた時、すごく綺麗な声だと思ってたけど……実際に聞くともっと素敵な声だね」
「あの時はごめん。驚いたよね? 私もびっくりしたんたけど……。このゲームに誘ってくれた友達とボイスチャットする時は、音声変更設定をオフにしてたんだよ。クマサンの声でやると、普段との違和感で彼女が笑っちゃって、会話にならなくてね」
「そうだったんだ……」

 やばい。俺の想像と逆だった。
 可愛い女の子の声がリアルで、獣人クマサンの渋い声が音声変更したものだったとは……。
 クマサンに可愛い女の子でボイチャをする変な趣味があると勝手に思っていたなどと、口が裂けても言えない。

「えっと、クマサンは――って、クマサンって呼ぶのもなんか変かな? 名前、聞いてもいいのかな? ちみなに、俺のショウは本名そのままなんだけど」

 俺の問いかけに、クマサンは戸惑ったように目を伏せた。
 まずい。調子に乗りすぎてリアルのことに踏み込み過ぎたか?
 慌てた俺は、なにか取り繕うようなことを言おうと言葉を探したが、その前に彼女が口を開く。

「……熊野くまのあや
「熊野彩さんかぁ。あっ、もしかしてクマサンって名前から取ってるの? でも、の名前、どこかで聞いたことがあるような……」

 そこまで言って、俺は次の言葉を言えなくなる。
 思い出してしまったのだ。声優熊野彩の名前を。
 熊野彩――アイドル系アニメのメインキャストの一人として、アニメだけではなく、ほかのキャストと一緒に顔出しでライブまでも展開していた彼女。しかし、突然の休養発表がファンの間で波紋を広げた。そして、熊野彩が演じていたキャラクターは別の声優に代わり、ネットでも結構な騒ぎになっていた。休養理由については、さまざまな憶測が飛び交い、根拠のない悪意ある噂話がネットに溢れかえっていた。中には、思い出しただけで胸糞悪くなるような内容のことまで書かれていた。

「あー、やっぱりショウも知ってるのかぁ。本名で活動してたからなぁ」

 俺の顔を見てクマサンは察してしまったようだ。

「私、声優をやってたんだ……」

 彼女の瞳が一瞬、悲しげに揺れたのを横目で見て、俺は何も言えなくなった。
 熊野彩という声優の声が好きだったことを話す状況じゃないし、ましてや辞めた理由を聞くなんて言語道断だ。

「私、自分じゃない誰かを演じるのが小さい頃から好きだったんだ。でも、容姿に自信なくて、人前に出るのは苦手で、お芝居とかは全然無理なんだけど、自分の声だけは好きで……。それで、いろいろあって運よく声のお仕事をさせてもらえるようになったんだけど……最近の声優はそういうのだけじゃダメなんだって。事務所の方針で、声優なのにアイドルみたいな活動も求められるようになって……。周りの目とかネットの声とか、気にしなければいいのかもしれないけど、そんなわけにもいかなくて……」

 正直、俺から見れば熊野さんの容姿はとてもキュートで魅力的に映る。だが、声優といえども顔出しで活動をすれば、比較対象はガチのアイドルや女優達になってしまうのが現実だ。彼女自身が自分の容姿に自信を持っていないと感じているのに、そんな容姿全振りの人達と比べられることは、いかに辛いことか。そう思うと、胸が締め付けられるように苦しくなってきた。

「胸がないとか脚が太いとか、匿名だからって、そういうことをはっきり言われちゃうんだよね。一番それを気にしてるのは私なのに。……で、気づいたら拒食症と過食症を繰り返すようになってたの。……仕事にも影響でるようになっちゃって、一時休養することになったんだけど、休養したらしたで、さらに酷い憶測がネットに書き込まれて、それ見てますます心も体もおかしくなっちゃって……結局、事務所も辞めることになったんだ」

 俺がされたわけでもないのに、心の中で怒りや悔しさや、悲しみが入り混じって渦巻いていた。悪意がなくても、ほんの些細な言葉一つで人は簡単に傷つく。それなのに、ネットには悪意に満ちた言葉が無数に溢れかえっている。もちろん、そうではない優しい言葉や、励みになる言葉もたくさんあるだろう。でも、むき出しのナイフのような危険な言葉で傷ついた心は、そう簡単に癒えるようなものではないんだ。

「熊野さん……」

 何か言いたい、何かを伝えなければならないと思うのに、その言葉がどうしても口から出てこなかった。どんな言葉も薄っぺらに感じられて、結局、続きの言葉が浮かばなかった。

「それで、家で引きこもってる時に、友達が気分転換にどうかって、このゲームを勧めてくれたんだ。オンラインゲームとか初めてで、最初は全然わかんなかったんだけど、とりあえず試してみたんだ。そうしたら、キャラメイクの途中で、熊みたいなキャラを見つけて、急に興味が湧いてきたの。あ、私、名前が熊野だから、熊さんが好きなんだ」
「……なるほど。熊が好きだから熊型獣人キャラを選んだのか」

 それなら、性別を女性にしたり、もっと可愛いクマのデザインにしたりすればよかったのに……。大きさだって、もっと小さくもできたはずだ。

「うん。だから熊の獣人キャラを選んだんだけど、キャラメイクのことがよくわからなくて、性別を選べるとか、デザインや体の大きさを変更できることを知らなかったんだ。だから、その熊さんのままで始めちゃったんだよね」

 な、なるほど……。
 確かにキャラメイクの時のデフォルトの熊型獣人は、今のゲーム内のクマサンの姿と同じだった気がする。性別も初期設定は男だし。

「でも、一度作った容姿は変更できないけど、作り直しはできたよね?」
「キャラメイクで色々できるって知ったのはだいぶ後のことだったんだ。その頃にはもう、今のキャラに愛着湧いちゃって……」

 どうしてリアルでこんな可愛い女の子が、あんな熊型獣人キャラを使っているのかと思ったけど、こんな理由だったとは……。
 深い理由でなく、ちょっと間抜けな理由なのが、俺の知っているクマサンとギャップがありすぎて、逆に可愛く思えてくる。
 それにしても、今の熊野さんは、さっき言ってたボロボロの状態とはずいぶん違うように見える。血色もいいし、体つきも痩せすぎでも太りすぎでもない。

「このゲームをやって、少しは元気が出たのかな? それだったら、俺も嬉しいんだけど?」

 それまでうつむきがちだったクマサンが顔を上げ、隣に座る俺を見上げた。
 小さな顔に、大きな黒い瞳が、じっと俺を見つめる。

「ショウのおかげなんだよ」

 その思いがけない言葉に、俺の呼吸が一瞬止まったような気がした。
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