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第31話 ヘイトリオン

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「ジョー、貴様! 今、この兵士が言おうとしていたのはどういうだ!」

 椎名は激しい怒気のこもった声を丈に向ける。

「勝手に王族専用に乗り込んでいたトチ狂った男の発言の意味など、オレの知るところではない」

 淡々とした丈のその言葉の中からは感情の色は読みとれない。

「しらばっくれる気か!」

 激しいラブパワーが、椎名から溢れ出す。だが、それ以上のラブパワーを放出する者が別にいた。

「ジョォォォォォ!」

 大気を揺るがし、魂を震わせる叫びだった。心の奥底から、いや、それよりもはるか深い所、まるで地獄の底から沸き上がってくるような叫び。

「ロケット!?」

 いつも温厚な女王親衛隊長のロケット。そんな姿しか見たことのない椎名は、目の前のロケットから放たれるラブパワーの異常さに目を見張った。
 普通、ラブリオンからこぼれ出すラブ光というものは、温かで優しげな感覚を与える。しかし、今女王親衛隊長のラブリオンから出ているその光は、強烈で、まるで刃物のような鋭さでもって肌に突き刺さってくる。

「なんだ、このラブパワーは!?」

 椎名は不快感を感じた。

「この世界の人間にここまでのラブパワーがあるとは!」

 丈は自分の認識を改めた。

 多少感じ方は違えども、ロケットの放つラブパワーを認めたという点で二人は同一だった。だが、それとは違う認識を持ち、事の真実により近しい位置にいる者がほかにいた。

「違う! こんなのはラブパワーじゃない!」

 クィーンミリアのブリッジで戦況を見守っていたミリアは、女王親衛隊長のラブパワーが変質するやいなや叫んでいた。

「どうなされましたミリア様!?」

 突然のミリアの反応に周囲の部下達は慌てる。しかし、今のミリアには自分を心配する兵達の声など届いてはいない。

「ロケット! すぐに帰艦しなさい! すぐにラブリオンから降りなさい!」

 無線を通して、そしてラブパワーを通しての、ミリアの必死の呼びかけ。ミリア自身にも今何が起きているのかはっきりと認識できているわけではない。だが、女王親衛隊長のラブパワーに触れてミリアの心《ラブパワー》が震えるのだ。まるで夜道で物の怪に出くわしたかのような震えが襲ってくる。
 しかし、今のロケットにミリアの声が届くことはなかった。

「貴様っ! 本当にエレノア様をその手にかけたのか!?」

 ドナーに斬りかかる女王親衛隊長。振り下ろされる剣と共に襲い来るラブパワーの衝撃波。剣の一撃は受け止めたものの、ほとばしるラブパワーの勢いに、ドナーは後方に押し飛ばされる。

「お前には関係のないことだ」

 女王親衛隊長のラブパワーの凄まじさに動揺しつつ、それでも丈は気丈に言い放つ。

「関係あるかないか、貴様の決めることではない!」

 触手が伸びるかのように、ロケットのラブパワーが丈のラブパワーを浸食し始める。流れ込むロケットのラブパワー。そこに付随するのはロケットのエレノアへの想いだった。
 民に微笑むエレノア、臣下を慈しむエレノア、部下を叱咤するエレノア、豊作に歓喜するエレノア、他国の侵攻に眉をひそめるエレノア。
 それらのロケットの心のヴィジョンが、丈にはまるで自分がエレノアの目の前にいるかのようにはっきりと見えた。それはロケットのエレノアへの想いの深さがなさしめたわざである。

「……お前の想いはよくわかった」

「貴様などにわかるか!」

「……だが、オレとて想いの深さでは負けてはいない!」

 今まで気圧されていたのが嘘のように丈のラブパワーが爆発する。今までロケットのラブパワーに抑圧されていた分、それが反動になったかのように膨れ上がった。

「くっ!」

 丈のラブパワーの奔流が、今度はロケットの中に侵攻してくる。
 そのラブパワーの中にわずかに含まれる丈の記憶。ロケットのエレノアへの強すぎる憧憬の念は、そのわずかな欠片を無意識のうちに拾い上げてしまう。ロケットにとっては不幸なことに──
 刃物を持って迫るエレノア。胸を刺し貫かれるエレノア。そして──首を絞められるエレノア。
 ロケットの頭の中で、丈が体験したことが、丈の視点で再び繰り返される。その時の丈の思考をも伴って。

「き、きさまぁぁぁ!!」

 首を絞められもがき苦しむ女王の姿は、ロケットの理性のたがを外すのに十分すぎた。
 ロケットのラブパワーがまた新たに変質する。
 気合いのこもったラブブレードの刀身、あるいはノズルから吹き出すラブ光──それらに代表されるように、ラブパワーの本来の色はピンクの温かな光の色。しかし、ロケットのラブリオンから溢れるラブパワーの色は、そうではなかった。灰色がかってきたと思う間もなく、それは急速に濃度を深め、あっと言う間に漆黒の光へと姿を変えた。
 光と闇とは相反するもの。闇は光を吸収し、反射させない。そして人間の目に光が届かないが故に、闇として映る。しかし、そのラブ光は黒く光っていた。常識的にはあり得ないことだが、それはまさに黒く輝く闇としか表現のしようがなかった。

「いけない! それでは駄目!!」

 その異様な光景を傍観するしかなかった人々の中で、最初に反応したのはミリアだった。

「ミリア、どういうことだ!? 女王親衛隊長の奴はどうしちまったんだ!?」

 通信機から聞こえるミリアの焦りを含んだ声に反応したのは椎名だった。

「憎しみの心……暗い激情が溢れてるわ……」

「ミリア!?」

 ミリアは呆然した調子で呟くように言う。

「憎しみが膨れ上がっていく……」

「ミリア!!」

 椎名の必死の叫びが、ミリアの心をこちらの世界に呼び戻す。

「どうしたっていうんだ!?」

「……ラブリオンは、搭乗者のラブパワーを増幅し、それを動力にしているのは知っていると思うけど、その際、増幅したラブパワーの一部は搭乗者にフィードバックされて、搭乗者に安定をもたらすの」

 それは椎名にとって初耳だった。しかし、ラブリオンに乗ると不思議と落ち着いた気分になることや、初めて乗った時にもっとパニックになっていてもおかしくなかったのにあの程度ですんだことなど、思い当たる節はいくらでもあった。

「でも、今のロケットのあれは違うわ! 彼から出てくるのは憎しみの心。言うなればヘイトパワー」

「ヘイトパワーだって……」

「ロケットから溢れてくるヘイトパワーは、ラブリオンの力で増幅されつつ、俺自身にフィードバックされる。返ってきたヘイトパワーは、ラブパワーとは違って、ロケットの憎しみを更に増大させてしまう。増大したヘイトパワーは、より強力な力を生みつつ、より深い憎しみをまたロケットに返していく。そうやって無限の力と、無限の憎しみを作っていくマシン……あれはもうラブリオンなんかじゃないわ。ヘイトリオンよ!」

 女王親衛隊長のラブリオン──いや、ヘイトリオンはまさにミリアの言う通りであるかのようだった。剣を交えている、あの丈のドナーの力を完全に圧倒している。

「どぅわぁぁぁぁ!」

「────!」

 黒光りするヘイトパワーを宿した暗黒の剣が、それを受け止めようとしたドナーのラブブレードを砕き散らした。その剣の凶悪さを感じ取った丈は、ドナーの両手で、剣を持つヘイトリオンの右腕を掴んで剣の動きを封じに行く。
 しかしヘイトリオンは、空いている左手でドナーの右腕を掴むと、まるで生卵でも握りつぶすかのように、軽々とその腕を砕いた。
 更に、ヘイトリオンが右腕を軽く振るうと、片腕を砕かれ左手だけで掴むことになっていたドナーは、関取に突き飛ばされた子供のように、いともたやすく吹っ飛ばされる。

「……すげぇ! あのジョーがまるで子供扱いだ。ヘイトリオン……そんなものがあるなら、最初から教えてくれれば──」

「何を言っているの! ヘイトリオンはそんな甘いものではないわ!」

「だが、あの力があれば──」

「雪だるま式に増え続けるヘイトパワー、その先にあるものが何だかわかる!?」

「んっ?」

「人間の心には限界があるわ。どこまでも増え続ける憎しみの心にいつまでも耐え続けられるわけがないのよ! このまま行けば、やがて自分のヘイトパワーによって、心を破壊されてしまうわ!」

「心が破壊される……」

「それに、マシンの方だっていつまでも保《も》つものじゃないのよ! 次第に増大し続けるヘイトパワーは、そのうちマシンのキャパシティを超える。オーバーヒートの状態になっても、ヘイトパワーは大きくなり続ける。そして、そのままいけば恐らく……最後にはマシンは自らの力を抑えきれずに爆発するわ」

「なっ……」

 言葉を失い唖然とする椎名。

「だったらすぐにロケットを止めないと!」

「もう手遅れよ! ああなってしまっては、すでに理性なんて憎悪にかき消されてしまってるわ。もう彼には私達の言葉は届かない。……方法があるとすれば、マシンを破壊して強制的にヘイトリオンから切り離すことくらい。でも、ヘイトリオン化したマシンには、普通のラブリオンでは歯が立たないわ」

「じゃあ、どうするっていうんだ!?」

 ミリアの言うようにロケットはすでに理性を失っていた。
 自分が振り飛ばしたことにより一旦目の前からドナーが消えてしまうと、ロケットにはすでに敵味方の区別がつかないのか、ラブリオンの姿が見えると近くにいるものから手当たり次第破壊している。

「全部隊をこの空域から離脱させます」

 その言葉を吐き出すまでに、ミリアは二秒の時間を要した。それが、十五歳の女の子が非情になるのに要した時間。

「親衛隊長は!?」

「見捨てます」

 今度は即答だった。一度心を固めてしまえば、ミリアは振り返ることはない。

「だが──」

「あなたに味方に被害を出さずにロケットを救う方法がありますか」

 情けに囚われる椎名を叱責する意味を込めるでもなく、自分達の無力さに歯噛みする苦しさを込めるでもない、淡々とした無機質で感情の見えない声だった。
 だが、椎名にはそれだからこそミリアの苦しさが理解できた。自分の感情を殺し、女王をやらねばならないミリアの苦しさが。それは、椎名のことを「シーナ」ではなく「あなた」と呼んでいる時点で、すでに椎名には理解できたことだった。

「わかった。しんがりは──」

「シーナがやっては駄目! シーナはまず一番にここから離れて」

「ちょっと待ってくれ。何を──」

「最大の戦力がこんなところで、いらないダメージを受けてどうするの。赤の国との戦いはまだ続くのよ!」

 ミリアは椎名よりも年下である。だが、椎名は時々彼女から、何も反論できないような強烈なプレッシャーを感じることがあった。
 女王だからというのは理由にならない。ミリアは椎名の前で女王ぶることはほとんどないし、椎名もミリアと自分を女王と家臣という立場で考えたことは一度もなかった。
 それは背負っているものの大きさの差だと思えた。椎名が背負うのは、自分の重みだけでいい。せいぜい広げても自分の部隊の兵まで。
 しかし、ミリアの背負うものはその程度ではない。自国のすべての兵、すべての民。そして更にミリアはそれを自国だけでなく、全世界の人間にまで押し広げようとさえ思っている。それらをすべて背負った立たねばならない。王とはそういうものなのだ。そしてその重み、重要さを誰よりも深く認識しているからこそ、ミリアは愚妹のふりをして、エレノアを立ててきたのである。

「わかった。ミリアがそういうのなら従おう」

 ミリアと接してきて、椎名には彼女の人間性がよくわかっていた。ミリアがどれだけ冷静な目をもって公正な判断を下せるかということも。そして、時には冷徹にさえ思えるような決断を下す彼女が、一人心の中でどれだけ苦しんでいるかということも。
 だから、椎名にはミリアの指示を拒否するこはできなかった。

 ──そして椎名のブラオヴィントは戦場から離脱した。
 ミリアも全軍に撤退命令を出しつつクィーンミリアを引かせる。
 また、ヘイトリオンを、まともに相手できる敵でないと見切った丈も兵を引かせ、自身もいち早く安全な空域まで退いた。
 しかしヘイトリオンはその間も狂ったような攻撃──いや、すでに狂いまくっているのだが──をやめなかった。撤退の遅いラブリオンを見つけるや否や、悪魔のような力をもって一撃で葬りさっていく。

 放たれる黒い光弾ヘイトショットは一機を倒した程度では収まらず、その後ろにいたラブリオンをさらに二、三機飲み込んでいく。
 また、振り回される物干し竿のように強烈に伸びた暗黒の剣ヘイトソードは、まるで抵抗がないような容易さでラブリオンを斬り裂いていく。

 だが、そのうちそのヘイトリオンにも異変が見られるようになってきた。
 ノズルから吐き出される黒い光の量が等比数列的に増えていき、その闇の色もどんどん濃くなっていく。
 そして、ノズルからだけでなく、普通ならラブ光など溢れ出てくるはずのないヘイトリオンの全身から闇がこぼれ出してきた。まるでキャパシティを越える中身を抑えきれないかのように。

 しばらく後、その感慨が真実だったことが明らかになった。

 大爆発。光でない光、黒き光をまき散らし燃え上がる。普通のラブリオンが撃破されても絶対にありえない大爆発。
 周囲にいたものをあらかた破壊し尽くしていたため、その爆発に巻き込まれる者はいなかった。誰もいない空間の中に咲く黒い大輪の花。
 遠巻きにしてそれを見つめる両国の兵達の胸に宿るのは、ただ恐怖のみだった。
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