【完結】キミの記憶が戻るまで

ゆあ

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始まりの合図

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全ては、一本の電話から始まった
同じ会社の友人から心配の連絡を貰い、そこで初めて、オレの恋人が階段から転落し、昨日から入院していることを知った

数日前から出張で福岡に来ていたが、新店舗のスタッフ達に頼み込んで急遽休みを融通して貰い、慌ててその日の内に飛行機を取って大阪まで戻って来た
友人から聞いていた病院が意外にも家の近所だったこともあり、知った道を全速力で走った

どれくらいの怪我をしているのかは聞いていなかった為、心臓がバクバクする
走って来たからとかじゃなくて、どうしてこうなったのかも、どういう状況なのかも何も知らされてなかったから…



重症だったらどうしよう…
向こうのみんなには悪いけど、代わりのスタッフを手配して貰えるように本社に連絡しないと

軽症なら、明日までは一緒に居れるから着替えとか持って来ないと
休みの日に戻ってきて、着替え持って来なきゃだよな
どれくらいの入院になるのかちゃんと聞かなきゃ

えっと、他に…えっと…


焦って考えがまとまらない
早く琥太郎こたろうに会いたい
早く無事を確認したい




琥太郎こたろう!大丈夫!?」
通された病室は4人部屋だったが、居ても立っても居られずつい大きな声を出してしまい、窓辺のベッドにいる彼に駆け寄った

彼は頭に包帯を巻いていたが、顔色は良く、ベッドに背を預けるように座っていた


「はぁぁぁ……よかった…。琥太郎こたろうが階段から落ちたって聞いて、心臓が止まるかと思った。でも、無事みたいでよかったぁ…」
彼の顔を見てやっと安心することが出来た
安堵のために足腰から力が抜け、その場に座り込んでしまう



「あの、どなた様ですか?」
ピシリッと空気が凍ったような、そんな冷たい声に今まで安堵して笑っていた顔が強張る

ドラマとか漫画で聞くようなセリフが聞こえ、頭が真っ白になり、彼の顔をマジマジと見つめる

「え?お、オレだよ?琥太郎こたろうの恋人の朝陽あさひだよ?冗談はよせよ…」
困惑して上手く笑えない
引き攣った頬が痙攣して、笑っているのか泣きそうになっているのかわからない

彼の視線が冷たく、なんとか絞り出すように声を掛けた


「俺の恋人は、貴方の後ろに居る彼ですが?
もしかして、貴方が俺のストーカーですか?」

怪訝そうな顔で睨み付けてくる彼に血の気が引いていくのがわかる

振り返ると自分の後ろに佇んでいた彼がスルリとオレの横を通り抜け、彼に抱き着いている

琥太郎こたろう、大丈夫だった?そう、アイツが琥太郎こたろうのことをずっと追い詰めていたストーカーだよ」
淡い栗毛色の髪に大きな瞳、モデルでもしてそうな可愛い人が、その大きな目でキッとオレのことを睨み付けてくる

「ストーカーさん、警察を呼ばれたくなければ今すぐここから出て行って、二度と顔を見せないで」
彼の首に腕を絡ませて愛し気に抱き着いている


は?どういうこと?
彼が、琥太郎こたろうの恋人?
え?オレじゃ、なくて……?


言われた事が理解出来ず、2人の顔を交互に見つめる
絡み付くように抱き付く彼には愛し気な目を向けているのに、オレにはあからさまに嫌悪するような視線を送ってくる、恋人だとずっと思っていた彼からの冷たい視線に涙が溢れ落ちる
「う、そ…なんで……」
声が震えて止まらない
まともに呼吸が吸えなくて、心臓がバクバクいってうるさい


「さっさと出て行って、二度と来ないでくれ
顔も見たくない」
今まで聞いたこともないような琥太郎こたろうの冷たい声に体が震えてしまう
これは、本当にオレの知っている彼なんだろうか…
今までずっと優しく声を掛けて、愛を囁いてくれていた…



琥太郎こたろう…ごめん…」


2人の仲睦まじい姿を見たくなくて
琥太郎こたろうからの冷たい視線から逃げたくて
今の状況を理解したくなくて


ただ、2人から逃げるように病院から走って外に飛び出した




「こんなことって…なんで…、なんで…」

冷たい秋の雨に濡れるのも厭わず、その場に崩れ落ち、声を上げて泣いた

まだ病院の敷地内だったけど、時間も遅かったせいで人通りはなく、ひたすら声が枯れるまで泣き続けた


どれくらいしただろう、声も涙も枯れ果てるほど泣いたのに、ポッカリと空いた胸の痛みは一向に消えてくれない
雨に濡れたせいですっかり冷え切った身体がカタカタと震える
濡れて張り付く服が気持ち悪い


「明日も、仕事…だし、福岡に…戻らなきゃだけど…
もう、どうしたらいいんだろ…」
声が震えてしまい、また涙が溢れ出す
ここで泣いていても仕方ないのに…



なんとか、大阪の自分の家に帰って来ることができた
病院からまだ近かったのは幸いだった
ずぶ濡れで電車やタクシーに乗ることなんて出来なかったし、何より、少し歩いて冷静になることができた

数日前に出た家の鍵を開けようとするも、凍えて震える手ではなかなか鍵を開けることも出来なかった


部屋の電気を付けると、そこは1週間前と変わらない部屋が広がっている
一人暮らしを始めてもう4年が経つ

家から本社が近いこともあり、琥太郎こたろうが泊まりに来ることが多かったから、彼の生活用品も殆ど揃っている
2人でお揃いに買ったマグカップ
琥太郎こたろう用の歯ブラシや洗顔用品
琥太郎こたろうの荷物が入った段ボール
2人の思い出が詰まった部屋を見て、ポツリと声が出てしまう

「本当に、忘れちゃったのかな…
こんなに、覚えてるのに…ずっと、一緒に居たのに…」


この出張が終われば、一緒に住もうと約束していた

とりあえず、住み慣れたこの部屋に2人で同棲しようって…
落ち着いたら、広い部屋に引っ越そうって…

2人で部屋の間取りを見ながら夢を膨らませていた
情報誌には沢山の付箋が貼ってあり、小さく候補って書いてるのがいくつかある


ずっと一緒に居たのに
ずっと、愛してるって言ってたのに


ひとりでいるには広すぎる部屋で、また涙が溢れる


テレビの横の台に置かれた写真立て
2人で旅行に行った時の仲良く映っている写真
この時に改めて好きだと告白してくれた

ずっと一緒に居たいって
オレのこと、一番愛してるって


あれも、全部忘れちゃったのかな…
それとも、忘れないくらい、彼の方が好きだったのかな…
オレって…琥太郎こたろうのなんだったんだろ…



2人で仲良く笑っている姿を見るのが辛くて、パタンと音を立てて写真立てを伏せた
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