上 下
24 / 46
第3章

昼休憩

しおりを挟む
 断ることなど、当然不可能だ。
 

 松井さんは先輩で、しかも私を直接指導する側の人間。

 そんな人の誘いを断れば、どれだけ恐ろしいことが起こるか。


 考えるだけで身震いする。
 
 それにしても、なぜこの人は私と一緒にご飯を食べるという暴挙に出たのか。
 

 気づかれないように、松井さんを細目で見つめた。
 
 どの会社でもそうなのかは知らないが、お昼時になると、異常に社員食堂が混む。


 それが嫌で、かつての私はよく他の同僚と一緒にランチしていた。

 仕事終わりに飲みに行ったりなんてのも普通だったから、あの頃の生活は無駄遣いレベルMAXだった。

 今は、冬馬さんがいるおかげで財布に優しい生活を送っているのだけど。
 

 話を戻そう。

 社員食堂からあぶれた連中は、昼ご飯を持ってどこに行くかというと、大抵は他に設置されている食事スペースに移動するわけだ。

 だがそこは外のベンチであったり、階段の下のデッドスペースに無理やり作った薄暗い空間であったりする。


 過ごしやすい季節ならまだしも、夏や冬は地獄だ。

 だからと言って、普段仕事をするオフィスで食事をするのも気持ち的に乗らない。

 そんな私たち社員にとって、昼休みはある種の戦いだった。


 しかし聞いたところによると、この会社には「穴場」があるらしい。


 外でなく、室内。

 寒くもなく暑くもなく、常にちょうどいい温度で人がいない。


 この会社にそんな素晴らしい場所があるらしいと、昼食難民である社員たちの間で噂になっているのだが。

 未だに、実際のその姿を拝んだ者はいないとされていた。
  

 しかしまさか、その穴場の発見者が松井さんだったとは。

 なるほど、だから誰も知らないわけだな。
  

 松井さんの思ってもみない一面に対して目を見張ると同時に、この場所がいかに危険かということをひしひしと肌で感じた。


「……ま、松井さん、いつもここで食事を?」

「ええ。何かおかしいかしら?」
  

 ええ、おかしいですよ。

 あんたの考えが。
  

 心の中で叫ぶ。
  

 こんな場所で食事して良いわけないでしょうが!


 何度か入ったことのあるこの部屋は、社長室などを除けば恐らく一番まともで豪華な場所だろう。

 普段は取引先をもてなす空間である。


 つまり、応接間。


 たしかに都合の良い場所だ。


 昼は誰もやって来ないし、それなのに暖房設備は完璧。

 快適に昼食を取ることの出来る唯一の場所である。


「大丈夫よ。昼休みには誰も来ないわ。しっかりシフト確認してきたし」
  
 私の心を読んだのか、松井さんはそう言った。

「あ、ああ……。そうなんですか」


 一応は頷く。


 でも、私はあくまで小市民。

 いくら大丈夫だと言われようが、ルール違反は怖い。


 どう言われようが、恐怖心に関してはどうしようもなかった。

「それに、別に見つかっても取って食われるようなことはないわ」

「は、はい……」

「さあ、座って。昼休みは有限じゃないしね」


 松井さんはそう言って私を高級ソファに座らせる。


 私は恐る恐るそこに腰かけ、その柔らかさに驚いた。


 これは確かに良い。

 ここでずっと過ごしていたいという気持ち、確かにわかるわ。


「でも、三十分後に掃除の方がいらっしゃるから、早く食べてちょうだい」

「わ、わかりました」
  

 せっかく味わって食べようと思ったのに。
  
 貴重なご飯なのに。


 文句を言葉にしないまでも、態度に示そうと頑張って顔をしかめてみる。


 だが。

 冬馬さんの料理を前にして、そんな負の感情のままいられるはずもなく。


 一口食べた途端、私の苛立ちは四散した。
  

 まずは焼き鮭。

 口に入れた途端、思わず声を上げる。
  

 何この柔らかさ。
  

 正直、お弁当に入っている焼き鮭は固くてあまり好きではない。

 なんだかパサパサしているし、喉に突っかかるから。

 しかし、この鮭は一体なんなのだろう。

 今までは必死で噛んで食べていた鮭が、歯を差し込むだけで崩れ、口の中でほどけていく。

 塩辛く、だが魚の味を消すことがない。

 麦飯に乗せて食べると、ちょうど良い塩梅で塩が分散される。


 美味しい。
  

 お次はちくわきゅうり。

 これも安定の美味しさ。

 ちくわのしっとりと、きゅうりのシャキシャキが、見事な組み合わせとして提供されている。
  

 だし巻き卵。

 見た目に違わずふわっふわだ。

 シルクのように滑らかな口どけ。

 きめ細やかな卵に包まれた私の舌は、極上の幸せに溺れてしまう。

 薄すぎず、濃すぎない出汁。

 甘いのは、雛子ファミリー代々引き継いできた伝統の味か。

 うちの家は塩派だったが、やはり甘いものも最高である。
  

 たこさんウィンナー。

 こんなもん誰が作っても一緒だろと思うだろうが、全然違う。

 絶妙な焼き加減。

 足は綺麗に反り返っていて、胡麻で出来た瞳は、きらきらと正露丸のように輝いている。


 私は一匹を口の中へ放り込んだ。

 噛み締めるほどに、肉汁が溢れ出てくる。


 冷たくても美味しくいただける、そんな逸品だ。
  

 トマトも素晴らしい出来だった。

 新鮮な野菜を生でいただくのは、究極の贅沢だと思う。

 銀紙で包まれていた粗塩をつけても、彼がトマト本来の味を引き立ててくれる。
  

 最後に苺。

 食べやすいように切られたこの子たちに、冬馬さんの愛情を感じる。

 口の中で、豊潤さの塊がつるっと喉の中に消えていくような感じ。

 甘さが鼻から外へと飛び出す。

 気分はもう恋する乙女だ。


 何が言いたいかと言うと、全部めちゃくちゃ美味しい。
  
 今回のお弁当も文句なしです。

 最高です冬馬さん。


「ンフッ」
  
 私の前でコンビニ弁当を貪っていた松井さんが、突然吹き出した。


「え、どうかされましたか?」

「い、いえ。なんでもないわ」
  

 そわそわとゴミを片付け始める松井さん。
  
 そうか、もうそんな時間なのか。
  
 慌てて曲げわっぱを風呂敷で包み、立ち上がった。


「……高木さんって、食べるの好きなのね」
  
 松井さんは独り言のようにそう呟く。

「そうなんです。どうしてわかったんですか?」

 私が尋ねると、

「ものすっごい笑顔で……。あっ、いえ、なんでもないわ」
  
 松井さんは言葉を濁し、その場を颯爽と立ち去った。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる

よっしぃ
ファンタジー
2月26日から29日現在まで4日間、アルファポリスのファンタジー部門1位達成!感謝です! 小説家になろうでも10位獲得しました! そして、カクヨムでもランクイン中です! ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●● スキルを強奪する為に異世界召喚を実行した欲望まみれの権力者から逃げるおっさん。 いつものように電車通勤をしていたわけだが、気が付けばまさかの異世界召喚に巻き込まれる。 欲望者から逃げ切って反撃をするか、隠れて地味に暮らすか・・・・ ●●●●●●●●●●●●●●● 小説家になろうで執筆中の作品です。 アルファポリス、、カクヨムでも公開中です。 現在見直し作業中です。 変換ミス、打ちミス等が多い作品です。申し訳ありません。

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

イケメン政治家・山下泉はコメントを控えたい

どっぐす
キャラ文芸
「コメントは控えさせていただきます」を言ってみたいがために政治家になった男・山下泉。 記者に追われ満を持してコメントを控えるも、事態は収拾がつかなくなっていく。 ◆登場人物 ・山下泉 若手イケメン政治家。コメントを控えるために政治家になった。 ・佐藤亀男 山下の部活の後輩。無職だし暇でしょ?と山下に言われ第一秘書に任命される。 ・女性記者 地元紙の若い記者。先頭に立って山下にコメントを求める。

スライム10,000体討伐から始まるハーレム生活

昼寝部
ファンタジー
 この世界は12歳になったら神からスキルを授かることができ、俺も12歳になった時にスキルを授かった。  しかし、俺のスキルは【@&¥#%】と正しく表記されず、役に立たないスキルということが判明した。  そんな中、両親を亡くした俺は妹に不自由のない生活を送ってもらうため、冒険者として活動を始める。  しかし、【@&¥#%】というスキルでは強いモンスターを討伐することができず、3年間冒険者をしてもスライムしか倒せなかった。  そんなある日、俺がスライムを10,000体討伐した瞬間、スキル【@&¥#%】がチートスキルへと変化して……。  これは、ある日突然、最強の冒険者となった主人公が、今まで『スライムしか倒せないゴミ』とバカにしてきた奴らに“ざまぁ”し、美少女たちと幸せな日々を過ごす物語。

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

AIアイドル活動日誌

ジャン・幸田
キャラ文芸
 AIアイドル「めかぎゃるず」はレトロフューチャーなデザインの女の子型ロボットで構成されたアイドルグループである。だからメンバーは全てカスタマーされた機械人形である!  そういう設定であったが、実際は「中の人」が存在した。その「中の人」にされたある少女の体験談である。

元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~

おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。 どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。 そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。 その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。 その結果、様々な女性に迫られることになる。 元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。 「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」 今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

処理中です...