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序章
エメラルドグリーンの少女
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少女は嘔吐いていた。
美しいエメラルドグリーンの髪を潮風にたなびかせ、陶器のような肌は燦々と輝く太陽に照らされてきらきら眩しい。
絹で出来た白いワンピースからは、細い手足がにゅっと伸びて、その先には黄金のブレスレットやアンクレットが輝いている。
大きなターコイズブルーの瞳は、涙でうるうるしている。すっと伸びた高い鼻に薄ら桃色の頬、林檎のように真っ赤な唇は、小刻みに震えていた。
彼女は船の甲板に立っていた。その小さな身体を手すりに寄せ、海に頭を少し傾けさせていた。時折、痙攣を起こしたように身体をねじると、そのままの勢いで顔を海に向かって投げ出す。
少女は嘔吐いていたのだ。
ーー船酔いで。
おおよそ、高貴そうなその見た目とは正反対の呻き声を上げて、彼女は何度も吐いていた。
彼女は自分の吐瀉物が海に沈んでいくのを名残惜しそうに見つめながら、
「ああ、もったいない……」
と呟いている。
彼女は先ほどの食事を思い返していた。一応は王族である少女のことを気遣っていたのだろう、王国じゃ食べたことのない色鮮やかな料理だった。肉汁たっぷりのローストビーフや新鮮なサーモンのカルパッチョ、瑞々しい野菜のサンドイッチのような素晴らしい食事を、今までに食べたことがあっただろうかと想起する。
ないな。
時間をかけて出した答えがそれなのを知り、虚しくなった。
そう、彼女は王女だった。
厳密に言えば、「元」ブローディア国王女であるが。
大国の王女らしい非常に美しい容姿であったが、その少女な王女らしからぬ点としては、彼女は今一人であり、かつ服装がとても質素であった。
彼女の姿を見て、世界政治に詳しい有識者であれば、誰もが驚くだろう。
エメラルドグリーンの少女は、南国マハナへ嫁ぎに行くのだ。
いわゆる政略結婚である。
そんな一国の一大事に、どうしてブローディアは彼女にそんな格好をさせたのであろうか。
その答えは至って単純であった。
嫌がらせ、である。
少女は「忌み子」であった。王族であるはずなのに、いや、だからこそであろうか、周囲から蔑まれ、孤立していた。
そんな彼女を政略結婚の駒として使うということは、マハナ国を侮辱する行為に等しい。
要は、ただの遊びであったのだ。
大国の王族である彼らは、一様にして暇であった。最低限の政治さえ行っていれば、市民たちはせっせと働き、他国は貢物を献上してくる。彼らの悩みは、誰が国王となるのかという跡継ぎ問題のみであった。暇であるからこそ、自分たちの血族を虐め、蔑むことが容易に出来たのだ。
「マハナは、この政略結婚をどう思うであろうか。我々にとっての余興でも、あの野蛮人にとっては重要な『取引』で、かつ『侮辱行為』であろう」
「非常に面白い。奴らはきっと、我々の『ゴミ』にさえ喜んで這いつくばり、靴を舐めるのだろう」
「お前も良かったではないか。虫けら共に敬われる未来があって」
「お前が死のうとも、どうしようとも、我々にはどうでもいいことだ。好きに余生を生きるが良い」
「お前がいなくなって、せいせいする」
「我々のような魔力持ちとは違い、お前と同じ魔力なしの野蛮人だ。ちょうど良いではないか」
「出来損ない同士、お似合いだな」
以上が、彼らの親族に向けた最後の言葉であった。
少女は、自分を蔑み嘲笑する人間の顔を一人一人思い浮かべる。
「……醜いブタ共」
彼女は誰にも聞こえないようなか細い声で言った。
小さな声ではあるが、その中には燃え盛る怒りがあった。
少女は怒り狂っていた。
その目には、自分を苦しめた連中に対する憎悪が滾っていた。
復讐するのか。いや、そうではない。
彼女にとって、奴らのことを一瞬でも考えることほど空虚なことはなかった。
少女は、初めて見た巨大な水たまりに誓う。
「絶対に幸せになってみせるわ」
これは好機だ。今までとは違い、魔力がないだけで差別される世の中から解放され、自分の実力を行使出来る。
彼女の嫁ぎ先は、美しい南国の地。まだ未開発ではあるが、言い換えれば成長の余地があるということ。
拳を強く握りしめた。またもや込み上げてきた吐き気を、今度は飲んで我慢する。
ブォーーーーー。
汽笛が鳴る。ムワッとした湿り気のある暑さが、ワンピースの裾から入り込んできた。
とうとう、だ。
私の新天地。
背中に一筋垂れた汗を、その真っ白な絹で拭う。
少女ーーマーガレットは、海の向こうの壮観な景色を眺めた。淡い紺色の島が、地平線上に現れる。
目をつぶり、呼吸を整え、マーガレットは叫んだ。
「見てろ、ブローディア!」
美しいエメラルドグリーンの髪を潮風にたなびかせ、陶器のような肌は燦々と輝く太陽に照らされてきらきら眩しい。
絹で出来た白いワンピースからは、細い手足がにゅっと伸びて、その先には黄金のブレスレットやアンクレットが輝いている。
大きなターコイズブルーの瞳は、涙でうるうるしている。すっと伸びた高い鼻に薄ら桃色の頬、林檎のように真っ赤な唇は、小刻みに震えていた。
彼女は船の甲板に立っていた。その小さな身体を手すりに寄せ、海に頭を少し傾けさせていた。時折、痙攣を起こしたように身体をねじると、そのままの勢いで顔を海に向かって投げ出す。
少女は嘔吐いていたのだ。
ーー船酔いで。
おおよそ、高貴そうなその見た目とは正反対の呻き声を上げて、彼女は何度も吐いていた。
彼女は自分の吐瀉物が海に沈んでいくのを名残惜しそうに見つめながら、
「ああ、もったいない……」
と呟いている。
彼女は先ほどの食事を思い返していた。一応は王族である少女のことを気遣っていたのだろう、王国じゃ食べたことのない色鮮やかな料理だった。肉汁たっぷりのローストビーフや新鮮なサーモンのカルパッチョ、瑞々しい野菜のサンドイッチのような素晴らしい食事を、今までに食べたことがあっただろうかと想起する。
ないな。
時間をかけて出した答えがそれなのを知り、虚しくなった。
そう、彼女は王女だった。
厳密に言えば、「元」ブローディア国王女であるが。
大国の王女らしい非常に美しい容姿であったが、その少女な王女らしからぬ点としては、彼女は今一人であり、かつ服装がとても質素であった。
彼女の姿を見て、世界政治に詳しい有識者であれば、誰もが驚くだろう。
エメラルドグリーンの少女は、南国マハナへ嫁ぎに行くのだ。
いわゆる政略結婚である。
そんな一国の一大事に、どうしてブローディアは彼女にそんな格好をさせたのであろうか。
その答えは至って単純であった。
嫌がらせ、である。
少女は「忌み子」であった。王族であるはずなのに、いや、だからこそであろうか、周囲から蔑まれ、孤立していた。
そんな彼女を政略結婚の駒として使うということは、マハナ国を侮辱する行為に等しい。
要は、ただの遊びであったのだ。
大国の王族である彼らは、一様にして暇であった。最低限の政治さえ行っていれば、市民たちはせっせと働き、他国は貢物を献上してくる。彼らの悩みは、誰が国王となるのかという跡継ぎ問題のみであった。暇であるからこそ、自分たちの血族を虐め、蔑むことが容易に出来たのだ。
「マハナは、この政略結婚をどう思うであろうか。我々にとっての余興でも、あの野蛮人にとっては重要な『取引』で、かつ『侮辱行為』であろう」
「非常に面白い。奴らはきっと、我々の『ゴミ』にさえ喜んで這いつくばり、靴を舐めるのだろう」
「お前も良かったではないか。虫けら共に敬われる未来があって」
「お前が死のうとも、どうしようとも、我々にはどうでもいいことだ。好きに余生を生きるが良い」
「お前がいなくなって、せいせいする」
「我々のような魔力持ちとは違い、お前と同じ魔力なしの野蛮人だ。ちょうど良いではないか」
「出来損ない同士、お似合いだな」
以上が、彼らの親族に向けた最後の言葉であった。
少女は、自分を蔑み嘲笑する人間の顔を一人一人思い浮かべる。
「……醜いブタ共」
彼女は誰にも聞こえないようなか細い声で言った。
小さな声ではあるが、その中には燃え盛る怒りがあった。
少女は怒り狂っていた。
その目には、自分を苦しめた連中に対する憎悪が滾っていた。
復讐するのか。いや、そうではない。
彼女にとって、奴らのことを一瞬でも考えることほど空虚なことはなかった。
少女は、初めて見た巨大な水たまりに誓う。
「絶対に幸せになってみせるわ」
これは好機だ。今までとは違い、魔力がないだけで差別される世の中から解放され、自分の実力を行使出来る。
彼女の嫁ぎ先は、美しい南国の地。まだ未開発ではあるが、言い換えれば成長の余地があるということ。
拳を強く握りしめた。またもや込み上げてきた吐き気を、今度は飲んで我慢する。
ブォーーーーー。
汽笛が鳴る。ムワッとした湿り気のある暑さが、ワンピースの裾から入り込んできた。
とうとう、だ。
私の新天地。
背中に一筋垂れた汗を、その真っ白な絹で拭う。
少女ーーマーガレットは、海の向こうの壮観な景色を眺めた。淡い紺色の島が、地平線上に現れる。
目をつぶり、呼吸を整え、マーガレットは叫んだ。
「見てろ、ブローディア!」
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