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第2章

事件

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 試練の前の最後の実技練習は、理事長も参戦した。


 俺の体力は日に日に衰えているから、本当に有難い対応だ。


「ほら、これが勇者の剣と聖者の杖だ。大事にするんだぞ」


 数百年前に実際勇者一行が使っていたらしい剣や杖を手渡されて、次世代は少し安心したようだった。

「そんな考古学的価値の高そうなやつ、簡単に使わせても大丈夫なんですか?」

 俺の問いに、理事長はいたずらっ子のような目で微笑む。

「いいだろう、それくらい。世界の危機が迫っているんだ。ゲン担ぎで持っておいて損はないだろう。もしかすると、何か特異なスキルが備わっているかもしれんしな」


 特異なスキルね。


 俺は彼女たちの握りしめる武器を見つめた。

 数百年前から大事にされて来たということもあって、随分と丈夫そうな武器であるが、それ以外はどう考えても他の博物館でよく見るような代物にしか見えなかった。


「理事長。これ本当に勇者が使ってたの?」

 マリベルも俺と同じような気持ちだったようで、不思議そうな顔で剣と理事長を見比べている。

「あんまり特別感なさそうだよね」

「まあ気にするな。時が来れば自ずと分かるだろう」

 理事長は含みのある言い方をする。


 そんな適当なことを言って。

 もしそんな時が来て何もなかったら、一体どうするつもりなのだろう。


「さあ、実践だ。真剣だから教師を相手取るのも少し厳しいだろうな」

「どうするんですか? 練習なしに本番だとやっぱりきついですよ」

「式神を使えばいいだろう。トーマ、お前は使えるのか?」

「いや、やったことないですね」
「残念だな。私もない」

「メイソン先生は持ってそうなんですけどね。メイソン先生、今はどちらに?」

「教師全員のを把握しているわけではないからな。だが授業があるだろう。それに、それだけで先生を呼び付けるのも失礼だろうし」


 困ったなぁ。


 俺は腕を組んで熟考する。

「それより」


 理事長が声を潜めて俺の耳元で囁く。

「えっ、何ですか? こそばゆいんで辞めて欲しいんですけど」


 俺が身をよじると、ガシッと両腕を掴まれた。

「あの二人、仲が悪くないか?」

「そうですか? 普通でしょう」

「いや、悪い。明らかに悪い」


 理事長は彼女たちを顎でしゃくった。


 うむ。

 俺も頷く。


 仲は悪いな。大分。


 互いに話しかけようともせず、することもないから自分の貰った剣と杖を執拗に撫でたり振ったりしている。

 無言。

 気まずい状況。

「まあ、相性もありますからねぇ」

「相性があろうがなかろうが、あの頃の年齢だと社交術くらいはもう身についているはずだぞ。それにあの二人は人見知りでもなんでもないだろ」

「……そうですね」


 俺は同意するしかなかった。

「どうするんだ。別に私も生徒の交流に口出しするほどお節介でもなんでもないが、これは駄目だろう。勇者一行が、二人ですでに仲違いが始まっているだなんて」

「ともかく、俺たち教師が介入すれば、余計悪化しそうなもんじゃないですか。出来るとすれば、お互いを二人っきりにしてどうにか会話を生む状況を作るとか」

「そんな普通のことをやってどうする? 授業中すら会話していないのだろう?」

「ええ。でも、じゃあどうすれば? 他にいい手立てがあるというんですか?」

「それを考えるのが担任だろう」

「普通担任はそんなことしませんよ」


 俺たちがボソボソとやり取りに熱中になっている間、生徒の様子を見ていなかったのが悪かった。

 突然キラリと光る金属がこちらに飛び込んできた。


 思わず腕でガードすると、ザスッと嫌な音が鳴り、鈍い痛みが広がっていく。カランコロンと剣が地面に落ちる。


 ボタボタと真っ赤な鮮血が体育館の柔らかな床に溜まりを作った。

 この血掃除して取れんのかなと、至極どうでもいいことを考えた。

「先生!」


 顔面蒼白になったマリベルが、俺に駆け寄ってくる。

「ごめん先生! 剣振ってたら柄が手からすっぽ抜けちゃって!」

「ああ。いい。気にすんな」


 俺は着ていたワイシャツの裾をちぎり、器用に負傷部分に巻いた。

「本当にごめんなさい!」

「気にすんなって」


 俺は勇者の剣を拾う。ただの剣だと思っていたが、勇者の所有物という地位にいられたのも伊達ではない。

 手入れされてるというのもあろうが、普通の剣よりは明らかに切れ味が半端ではなかった。

「馬鹿じゃないんですか?」

 アメリアが鼻で笑う。

「おい、いい加減にしろ!」


 理事長が怒鳴るが、アメリアにとって今はそれどころではないらしかった。

「そうやって調子乗ってるから、そういうことになるんですよ。あなたの実力じゃ、剣を振り回すことさえ出来ないですものね」


 そりゃそうだが、にしたって言い方が酷すぎる。

「ひっど。何それ……!」


 マリベルはアメリアを鋭く睨みつける。

「私さ、あなたに何かしたの?」

「『私さ、あなたに何かしたの?』ですって?」


 アメリアは茶化すようにマリベルの真似をする。

「いい加減にしてちょうだい。何にも出来ないくせに、先生に怪我させて。本当に間抜けですね。それが鬱陶しいんです。ウザいんです。別に私はあなたに何かされたわけじゃないわ。ただ、存在しているだけで嫌なんですよ」

「おい!」


 本格的に理事長が怒る。

「アメリア・フローレス。お前は教室に戻れ!」

「はぁ。何で理事長にまでそんなこと言われなきゃいけないんでしょうか? 私より、この怪我をさせた人間の方が悪いですよね? 私はただ、それに注意しただけです」

「前から何度も言っているだろう、フローレス! お前は生徒だ。他の生徒を指導する教師じゃない!」
 

 俺も合わせて怒鳴りつけた。

「何ですか、それ? 私が悪いんですか? 別に私悪くないですよね? 何で彼女が怒られずに済んで、私が怒られないといけないんですか?」


 それは反省と反省していないの違いだろうがと叫びたかったが、きっと彼女の耳にはかすりともしないだろう。

「マリベル・スチュワード。見ていてください。これが、私の実力です」


 聖者の杖を握りしめ、手早く呪文を唱え始める。

 嫌な予感がした。

「辞めろ!」

「聖魔法ですよ? 回復させるだけの魔法です。何で辞めなきゃいけないのでしょうか?」


 逃げようともがくが、既に杖の先に現れた吐きそうなほど眩しい光に中てられて、身動きが取れない。

 代わりに理事長が杖を振った。


 真っ黒な煙が瞬時にしてアメリアの身体を拘束する。

「クッ」


 しかし一歩遅かった。アメリアの放った聖なる魔法は、凄まじいスピードで俺の腕を貫いた。


「グエッ」


 何とか耐えていた身体の一部分が崩れ去ったような感じ。


 そのまま前に倒れ込む。

 激しい痛みが腕に生じた。

 血反吐を吐くほど悶え苦しむ。

「えっ」


 戸惑いの声がアメリアの口から漏れ出したのが聞こえた。

 白濁した視界の中、俺は自分の腕を見つめる。

 真っ白なワイシャツからにじみ出た赤黒い染みが広がっていた。

 腕には紫斑が点々と現れ、やがて肌のほとんどが紫に変色する。

 後頭部を思い切りぶん殴られたくらいに脳の揺れが激しく、胃の中から酸っぱいものが込み上げてきた。

「えっ、嘘よ。だって、私が掛けたのは聖魔法で」

「ああ。聖魔法だ。飛び切り程度の強いな」


 理事長は吐き捨てるように呟いた。

「トーマは聖魔法アレルギーなんだ。回復魔法を受けると、このように激しい苦痛が生じてしまう。要は、悪化するんだよ。元の負傷部分よりもさらにな」


 理事長は杖を大きく振り回す。

「悪かった。トーマ、少し我慢してくれ。すぐに医療室に運ぶ」


 重い身体は風魔法によってフワッと宙に浮いた。

 絶望感たっぷりの目で俺を見上げる両生徒を虚ろな眼で見下ろし、俺は気を失った。

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