来途鉄道水平線 コレカラ行

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来途鉄道水平線 コレカラ行

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 9時32分発、コレカラ行き、発車いたします。
 甲高い汽笛をあげた黒い汽車はアナウンスと同時に車輪を回し始めた。

 
 どこからともなく現れた現代には似つかない機関車に降矢士郎は疑う気力もなかったか、さも当然かのように重たくなった足を上げ乗り込んだ。
 車内は少々古臭いものの高級感を漂わせる様子で、思わず座り込んだ座席は士郎にひと時の安らぎと背中に固い感触を与える。

 
 ふと車窓を見れば汽車は浜辺を走り、水平線が窓を二つに切り裂いていた。


 それからというもの、今まで糸が切れた人形のように座り込んでいた士郎だったが、窓を眺めては顎髭をさすり、と繰り返していた。

 一体どういうことだ、俺がこの列車に乗ったときは深く霧が立ち込めていたはずだ、どれ程遠くまで来たのだろうか、一つも駅を通過していないはず、そもそも俺が乗り込んだところはビルの屋上だったはずだ。



 士郎を動揺と焦燥が襲う。
 一切の揺れがない車内で士郎の膝だけが震えていた。

 「切符を、拝見いたします」

 士郎が突然の声に驚き、そのクマのひどい顔を上げれば、目の前に車掌が立っていた。

 「切符を、拝見いたします」
 「あの、その、どうやら、間違えて乗ってしまったようで……、その、切符、ないんです」

 機械音声のように同じ抑揚で繰り返された言葉に、若干の恐怖を感じながら士郎は返答した。
 口を覆うように合わせた手のひらは、冷汗と荒い吐息によって湿り切っていた。

 「切符、拝見いたします」
 「いやだから、ないんですって」

 またも繰り返されたその言葉に多少の怒りを込めて言い返すと、車掌は岩のような手で士郎の胸ポケットを指さした。

 「切符を、拝見いたします」


 胸ポケットを探ると“ソノトキ→コレカラ”その下に“2/25 後悔”と書かれた切符があった。

 「なんだ、これ」と言い終わる前に、車掌が切符を取り上げ鋏痕きょうこんをつけてしまった。


 “後悔”に開けられた穴を見つめれば、車掌のいた先、向かいの座席に男がいることに気づいた。
 男はきっちりとしたスーツで身を包み、胸ポケットに眼鏡を差し込んでいた。

 「不思議かい?」と士郎に問いかけた男は、嘲笑うような声色ではあったが、視線だけは慈愛に満ちていた。

 「自分は死ぬつもりだった、そのはずだった」

 士郎が瞬きすると同時に、瞬間移動のごとき速さで彼の顔を覗きこんだ男はそのままニヤリと口角を上げ、士郎の隣に腰を下ろした。

 「僕はこの汽車のオーナーみたいなものでね、案内人もしているんだよ」
 「案内人?」
 「この汽車はね、君のような路頭に迷った果てに間違った選択をした人間を誘ういざなためにあるんだ」

 「会社をクビになり、結婚も考えていた彼女に逃げられた、それで思い詰めてビルから飛び降りようとした、と……安い動機だね」

 一枚のメモ用紙を読み上げた案内人は士郎に一瞥をくべ、鼻で笑った。

 「安い……?」
 案内人の一言に士郎は思わず声を荒げてしまう。

 「安くなんかないでしょう、俺にとっては仕事も、あずさも、何よりも大事だったんだよ!」
 士郎は拳を握りしめ、膝を叩いた。

 「なのに、さ、なんでなんだよ……」


 クビになったことで多少荒れていたせいもあってか、いつもなら些細なケンカだったはずなのにきつくあたってしまった。 梓にもらった手紙さえもビリビリに破いて。
 そのせいだ、梓に逃げられたのも全部自分が悪いんだ。
 
 また俯いてしまった士郎に案内人は話を続ける。

 「そう、それでね、いや、本当に安い動機です」
 「だからっ……!」

 案内人は士郎を見つめていた。
 睨まれているわけでもないのに士郎は萎縮してしまう。


 「……この汽車の運賃はあなた自身の“後悔”です、言い換えればあなたの未練と言ったところです、“後悔”なんてのは非常に安いんですよ、格安です、こんないい汽車にすればね」

 「“後悔”なんてのは生きていれば無限に感じる感情なんですよ、生きてさえいればね」

 「あなたのそんな安い動機じゃ、死んだってどこにもいけませんよ、冥界行きの乗車券は値が張るんです」


 案内人がそこまで言うと、まるで計ったかのように「コレカラ~、コレカラ~」と、車内アナウンスが流れた。


 「士郎さん、あなた、死ぬのに少しためらいましたよね、その時何を考えました?」

 案内人は立ち上がってドアの方に歩いてゆく。

 「着いたみたいですね、では見に行きましょうか」
 「……なにを?」

 「あなたが後悔した“コレカラ”のことです」




 下りればそこには霊園が広がっていた。
 一つの墓の前で泣き崩れる夫婦と、袖で必死に涙をぬぐう女性の姿があった。

 三人の影を見た途端歩いていた足が止まってしまい1㎜も上がらない。
 胸が張り裂けそうだ。

 「あれは、ご両親ですかね、そしてあの方は梓さん、ですか」
 「なんで……おれなんかの」

 「梓さんは、あなたに愛想尽かしたわけじゃないんですよ、あんなことをしたあなたにも、いつもよりも厳しく言ってしまった自分にも怖くなって、つらくなって、頭を冷やそうと実家に少しかえっていただけなんですよ」

 士郎が梓を見れば、泣きじゃくる彼女の手に一枚の便せんがあった。
 かわいらしいピンク色の便せん、ビリビリに破いてしまったものと同じだが、彼女が士郎に思いを伝えるときによく使用していた。

 「彼女、手紙が好きなんですよね? メールなんかよりも」
 「あなたが死のうとしたとき、ちょうど家に届いていたんですよ、謝罪と現状、それにあなたを支えたいという素敵な気持ちを書き留めた手紙がね」

 案内人のその言葉を聞いて士郎は泣き崩れてしまう。
 その悲痛で後悔を含んだ叫び声はあの三人には届きもしない。

 「死ぬことは報いることでも、愛の証明でもありません、ほんの少しの勘違いでも、人は無限の後悔に捕らわれる、けれど生きてさえいれば先に進めるんです」
 

 「どうすれば、どうすれば帰れますか、あの時に」

 枯れるほど涙を吐いた目は赤く充血し、膝からは擦り剝けて少し血が出ていた。
 それは至極当たり前のことだけれども、士郎自身、まだ生きている自らに触れたのだ。

 
 「あの反対側のホームから乗る汽車に、あ、乗車券はこちらを」
 そう言って、内ポケットから切符を取り出した。
 そこには、“コレカラ→ソノトキ”“2/25 後悔”と書かれていた。

 「これ、“後悔”って」

 「えぇ、いつだってうちの鉄道の運賃は“後悔”ですから」
 案内人はニヤリと笑って続ける。

 「まもなく来る汽車が最終列車となっておりますのでお乗り遅れ後悔のないようお願いいたします、この先の“モシモ”駅には停車いたしませんので」

 その時、ホームに甲高い汽笛を鳴らしながら機関車が停車した。
 士郎は急いで車両に乗り、窓から見える案内人に頭を下げる。

 案内人は一礼を返し、挨拶をした。
「ご利用ありがとうございました、またのご利用はご遠慮願います」


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