上 下
1 / 11
第1章 メイズ

はじまり

しおりを挟む
 カッカッカッカッ……。
 はぁはぁはぁはぁ……。
 地下通路は湿ったまとわりつく空気で満たされ、蝋燭に灯されて揺らめく光は心許ない。
 その中を走り続ける大小の二つの影。石で造られた通路はひんやりとしていて、二つの足音を遠くまで運ぶ。

(あまり良い状況じゃないな……)

 影の一つ、背の高い青年は正面を駆ける幼い少女の背を見ながら、冷静に現状を見つめる。
 彼の先を行く少女は背が低く、身体を包み込めるほどの大きな布をはためかせている。片手には神聖な力を秘めた杖を、もう片方は角張ったものが入っているのが分かる布製の袋を肩に掛け、その紐をしっかりと握ったまま走っていた。
 青年は自分の姿を思い返す。
 薄汚れた長袖の肌着はところどころ綻んでおり、同様の厚手の生地のズボンもあちらこちらが破れている。上下ともに黒っぽい色のために目立たないが、そこには赤錆色の血液が付着していた。一部は青年のものだが、そのほとんどは別のもの――それはもちろん人間であったり、あるいは動物のものだったりした。これまでの戦いを示す痕跡の一つだ。

(このまま持久戦になったら不利だ。彼女の体力も心配だが、何より――)

 手は縛られており、振ることができない。走りづらいものの、厄介なのはその手の自由を奪っているのがただの紐ではないということだ。両手首にしっかりと巻かれた麻の紐にはびっしりと赤い文字が並ぶ。それと同じものが首と左右の足首それぞれに巻かれているのだった。これがどんな用途で使用されているものなのか、その効力によって抑制されている彼にはよくわかる。

(魔法が使えるようになれば、形勢逆転の機会も狙えるんだがな……)

 名も知らぬ少女の小さな背に期待のまなざしを向ける。
 肩の先ではねる髪は言われないと分からないほどに色素の薄い金髪。両脇の髪を後ろで束ねる木製の髪留めにはこの街を守護する龍神の彫刻。龍の瞳には彼女の瞳と同じ色の翠玉がはめ込まれている。彼女の額にはきらきらと輝く透明の宝石が埋まった宝冠。両耳には煌びやかな意匠の耳飾。幼い顔ではあるが化粧がしっかり施され、薄い紫の口紅が塗られている。真っ直ぐ先に向けられた瞳は円らで、笑えば美しいであろう長い睫毛と美しい二重を持っている。でも現在それを見ることは叶わないだろう。必死の形相で、返り血を浴びて赤く染まった、かつては真っ白だっただろうマントを羽織り、ひたすら駆けていたからだ。
 彼女の服装も特徴的だ。身動きの取りづらい、全体にだぼっとした長い着衣はどこかの高い身分が身につけるような上等の生地で作られており、ところどころに幾何学模様の金の刺繍が施されている。何かの儀式に使われるようなものに見えた。

(宗教関係者だろうか?)

 唐突にこの状況下に放り込まれたため、互いに自己紹介が済んでいない。少女から放たれている強い力を肌で感じていた青年は、その服装からそのように推測する。ただの町娘ということは少なくともないだろう。

(とにかく早くどうにかしないと、全滅する)

 少女の息が切れているのは聞こえてくる音から判断できた。限界が訪れるのも時間の問題だ。
 かなりの距離を走ってきたはずで、もう現在位置は道に詳しいものでなければ分からないだろう。何度もの分岐点を通過している。その度にともに行動してきたはずの仲間は消えていった。
 そう。別れたのではなく文字通りに消された。
 その様子を見ることは叶わなかったが、後方から響く死に際の叫びが、はっきりと何が起こったのかを記述していた。
 そんな状況でも、少女は振り向くことをしなかった。しっかりと前を見据えて、ときに呪文を唱えながらひたすら走った。その姿に、青年は感心し頼もしく思いながらも、哀れに感じていた。

(せめてこの娘だけでも……)

 青年は彼女がろくに術を唱えることもできず、走る体力も底をついていることに気付いていた。彼女は惰性で走っている。真っ直ぐ、ひたすらに。
 ガラガラガラ……。
 通路の後方で、石が落ち地下空間が崩壊する音がしばしば聞こえる。響く音の大きさからだいぶ接近してきているらしいとわかる。最後の分岐点から随分と同じ道を走ってきた。そろそろ追いつかれてもおかしくはない。

(本格的にまずいぞ)

 蝋燭の炎が揺れる。風もほとんどない一本道。起伏もなくただただ石の通路が延びている。明かりの間隔が長くなったように思えたのは青年の気のせいだろうか。

(くそっ……この呪符さえなけりゃ……)


 手首に巻かれた紐を恨めしく見つめ、それが巻かれた経緯が意識の裏に蘇った。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

ハズレスキル【分解】が超絶当たりだった件~仲間たちから捨てられたけど、拾ったゴミスキルを優良スキルに作り変えて何でも解決する~

名無し
ファンタジー
お前の代わりなんざいくらでもいる。パーティーリーダーからそう宣告され、あっさり捨てられた主人公フォード。彼のスキル【分解】は、所有物を瞬時にバラバラにして持ち運びやすくする程度の効果だと思われていたが、なんとスキルにも適用されるもので、【分解】したスキルなら幾らでも所有できるというチートスキルであった。捨てられているゴミスキルを【分解】することで有用なスキルに作り変えていくうち、彼はなんでも解決屋を開くことを思いつき、底辺冒険者から成り上がっていく。

スウィートカース(Ⅳ):戦地直送・黒野美湖の異界斬断

湯上 日澄(ゆがみ ひずみ)
ファンタジー
変身願望をもつ若者たちを入口にして、現実世界は邪悪な異世界に侵食されつつあった。 闇の政府組織「ファイア」の特殊能力者であるヒデトとその相棒、刀で戦う女子高生型アンドロイドのミコは、異世界のテロリスト「召喚士」を追うさなか、多くの超常的な事件に遭遇する。 たびかさなる異世界との接触により、機械にしかすぎないミコが「人間の感情」に汚染され始めていることを、ヒデトはまだ知らなかった。 異世界の魔法VS刀剣と銃弾の絶対防衛線! 人間と人形の、はかない想いが寄せては返すアクセラレーション・サスペンス。 「わんわん泣こうかどうか迷ってます。私には涙腺も内蔵されてますから」

蘇生魔法を授かった僕は戦闘不能の前衛(♀)を何度も復活させる

フルーツパフェ
大衆娯楽
 転移した異世界で唯一、蘇生魔法を授かった僕。  一緒にパーティーを組めば絶対に死ぬ(死んだままになる)ことがない。  そんな口コミがいつの間にか広まって、同じく異世界転移した同業者(多くは女子)から引っ張りだこに!  寛容な僕は彼女達の申し出に快諾するが条件が一つだけ。 ――実は僕、他の戦闘スキルは皆無なんです  そういうわけでパーティーメンバーが前衛に立って死ぬ気で僕を守ることになる。  大丈夫、一度死んでも蘇生魔法で復活させてあげるから。  相互利益はあるはずなのに、どこか鬼畜な匂いがするファンタジー、ここに開幕。      

亡国の少年は平凡に暮らしたい

くー
ファンタジー
平凡を目指す非凡な少年のスローライフ、時々バトルなファンタジー。 過去を隠したい少年ロムは、目立たないように生きてきました。 そんな彼が出会ったのは、記憶を失った魔法使いの少女と、白い使い魔でした。 ロムは夢を見つけ、少女は画家を目指し、使い魔は最愛の人を捜します。 この世界では、不便で、悲しくて、希少な魔法使い。 魔法と、魔法使いと、世界の秘密を知った時。3人が選択する未来は――

無能なので辞めさせていただきます!

サカキ カリイ
ファンタジー
ブラック商業ギルドにて、休みなく働き詰めだった自分。 マウントとる新人が入って来て、馬鹿にされだした。 えっ上司まで新人に同調してこちらに辞めろだって? 残業は無能の証拠、職務に時間が長くかかる分、 無駄に残業代払わせてるからお前を辞めさせたいって? はいはいわかりました。 辞めますよ。 退職後、困ったんですかね?さあ、知りませんねえ。 自分無能なんで、なんにもわかりませんから。 カクヨム、なろうにも同内容のものを時差投稿しております。

凡人がおまけ召喚されてしまった件

根鳥 泰造
ファンタジー
 勇者召喚に巻き込まれて、異世界にきてしまった祐介。最初は勇者の様に大切に扱われていたが、ごく普通の才能しかないので、冷遇されるようになり、ついには王宮から追い出される。  仕方なく冒険者登録することにしたが、この世界では希少なヒーラー適正を持っていた。一年掛けて治癒魔法を習得し、治癒剣士となると、引く手あまたに。しかも、彼は『強欲』という大罪スキルを持っていて、倒した敵のスキルを自分のものにできるのだ。  それらのお蔭で、才能は凡人でも、数多のスキルで能力を補い、熟練度は飛びぬけ、高難度クエストも熟せる有名冒険者となる。そして、裏では気配消去や不可視化スキルを活かして、暗殺という裏の仕事も始めた。  異世界に来て八年後、その暗殺依頼で、召喚勇者の暗殺を受けたのだが、それは祐介を捕まえるための罠だった。祐介が暗殺者になっていると知った勇者が、改心させよう企てたもので、その後は勇者一行に加わり、魔王討伐の旅に同行することに。  最初は脅され渋々同行していた祐介も、勇者や仲間の思いをしり、どんどん勇者が好きになり、勇者から告白までされる。  だが、魔王を討伐を成し遂げるも、魔王戦で勇者は祐介を庇い、障害者になる。  祐介は、勇者の嘘で、病院を作り、医師の道を歩みだすのだった。

夜霧の騎士と聖なる銀月

羽鳥くらら
ファンタジー
伝説上の生命体・妖精人(エルフ)の特徴と同じ銀髪銀眼の青年キリエは、教会で育った孤児だったが、ひょんなことから次期国王候補の1人だったと判明した。孤児として育ってきたからこそ貧しい民の苦しみを知っているキリエは、もっと皆に優しい王国を目指すために次期国王選抜の場を活用すべく、夜霧の騎士・リアム=サリバンに連れられて王都へ向かうのだが──。 ※多少の戦闘描写・残酷な表現を含みます ※小説家になろう・カクヨム・ノベルアップ+・エブリスタでも掲載しています

死んだと思ったら異世界に

トワイライト
ファンタジー
18歳の時、世界初のVRMMOゲーム『ユグドラシルオンライン』を始めた事がきっかけで二つの世界を救った主人公、五十嵐祐也は一緒にゲームをプレイした仲間達と幸せな日々を過ごし…そして死んだ。 祐也は家族や親戚に看取られ、走馬灯の様に流れる人生を振り替える。 だが、死んだはず祐也は草原で目を覚ました。 そして自分の姿を確認するとソコにはユグドラシルオンラインでの装備をつけている自分の姿があった。 その後、なんと体は若返り、ゲーム時代のステータス、装備、アイテム等を引き継いだ状態で異世界に来たことが判明する。 20年間プレイし続けたゲームのステータスや道具などを持った状態で異世界に来てしまった祐也は異世界で何をするのか。 「取り敢えず、この世界を楽しもうか」 この作品は自分が以前に書いたユグドラシルオンラインの続編です。

処理中です...