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懐尽きて
なんで頼ってくれないんだ?
しおりを挟む「お、お待たせ……マイト」
「お前、どんだけ待たせ……って、大丈夫か?」
出てくるなりふらついていたあたしを、マイトは素早く支えてくれた。もたれるように彼の肩を借りて、あたしは苦笑する。
「ははっ、考え事していたら、うっかり逆上せちゃって」
正確には、動けなかったのだ。ルークが去ったあともそこに残っていた彼の気配が、あたしの動きを鈍らせてくれた所為で。でも、そんな心配掛けるようなことはマイトには言えない。何もなかったわけではないが、マイトには関係のないことだ。
「考え事だなんて、らしくないことをするからだろ?」
彼はあたしが告げた考え事の内容については言及してこなかった。クロード先輩なら探ってくるところだろうが、マイトはそういうところが基本的に抜けている。
「そうかもしんない」
だからあたしは苦笑して頷くだけ。マイトのそういうところが、あたしは安心できる。余計なことを聞いてこないそんなところが。
「ったく……あんまり長く外に出てると、クロード先輩が小言を言ってきそうだからな。さっさと戻りたいところだが――歩けるのか?」
扉を出てすぐにふらついたあたしだ。マイトが心配するのもごもっともである。
「心配ないわよ、風に当たれば」
そう答えて歩き出したあたしだったが、どこか足元がおぼつかない。
――め、目が回る……。気持ち悪い……。
「はひゃっ」
小さな段差に躓いたところを、マイトの大きな手があたしの腕を掴み抱き寄せられる。
「無理するな」
「あ、ありがと。でも、宿までそんなに距離ないし、平気――」
「――避けるなよ」
言って、彼はあたしを軽々と持ち上げた。いきなり抱きかかえられて、あたしは慌てる。
「何言ってるのよ。あたし、避けてないしっ! 平気だって言ってるでしょ? 下ろしなさいよっ!」
「俺じゃ、頼りにならないか?」
「……え?」
不安げな表情。寂しげな感情も滲んでいる。
あたしは暴れるのをやめて、ただじっとマイトの顔を見つめる。
「最近のお前、クロード先輩の方ばっかり見ているような気がしていたから。伝説や伝承の話なら、確かに俺よりも先輩の方がいいんだろうけど……でも、そういうのさえ、嫌なんだよっ」
マイトはあたしの方を見てくれない。でも、一生懸命なその気持ちはとても強く伝わってくる。
「……マイト、妬いてるの?」
「わかんねぇよ! 俺、格闘訓練でお前が他の男と話しているのはどうとも思ってこなかったのに、今はとにかく嫌なんだ」
――どうしたらいいんだろう。
あたしは戸惑い、困っていた。どう答えたら良いのかわからない。明確な答えが、見つからない。それはあたしが逆上せていて、頭が回らないからだろうか。今じゃなかったら、彼と向き合って答えることができただろうか。
「なんだろう……俺は、自分の気持ちを伝えることさえできれば、ミマナが俺のことを好きになってくれると思っていたんだ。当然お前は俺を好いてくれている、他の男よりもずっと好きでいてくれるだなんて、そんなことを考えていたんだ――でも、そうなるとは限らないよな……やっぱ、馬鹿だよなぁ、俺」
マイトの想いはどこまでも真っ直ぐで。どこまでも純真で。邪な気持ちのなさが、ひたむきなその感情が――それがときには痛みを生む。
――なんで、あたしは彼の気持ちに答えることができないのだろう……。
「――お前の気持ち、わかっているつもりになっていただけなんだよな」
「!? そ、それは違うよ、マイト」
どんどんと心の距離が広がっていくような気がして、思わず叫んでしまった。マイトの顔がこちらを向く。
「マイトは誰よりもあたしのことをわかってる。わかろうって努力してる。その気持ちはあたしにも伝わっているわ」
「だったら、なんで俺を頼ってくれないんだ? 避けるんだ? 俺に弱さをさらけ出してくれたって良いじゃないか! いっつも自分でどうにかしようって肩肘張って、一人で頑張って……俺はそんなミマナをかっこいいって思っている。すごいって尊敬してる。お袋さんが倒れたときだって、ミマナは文句言わずに一生懸命世話してた。本当はもっと格闘技の勉強をしたい、この世界のことを知りたいって思っていたはずなのに、それを押し殺してでも精一杯看病して。自分の思いを悟られないように注意してさ」
――マイトは……ずっとあたしのこと、見ていてくれたんだ……。
嬉しい気持ちと同時に、どこか苦しさが広がっていく。
「そんなお前を、俺は見ているだけしかできなくてもどかしかったんだ。対価を求めずに行動するお前が好きで、だからこそ心配で仕方なくて。――だから、俺はお前のそばにいたい、そばで支えてやりたいって思うんだ。力尽きて倒れてしまわないように、お前が自由に動けるように」
――あたしは……そんなマイトに……気付いていなかった。
「なぁ、ミマナ。俺は、お前を支えるには不足しているのか? 頼りにならないのか?」
「ごめん……」
視界が歪む。涙で、歪む。
「ごめん……マイト……」
どうして涙が出るのかわからない。混乱しているからだろうか。この場をごまかしてしまいたいからだろうか。答えを先延ばしにするために逃げ出してしまいたいからだろうか。
だとしたら――あたしは卑怯だ。
「あたし……わからないんだ……だから、ごめん……」
口を開けば「ごめん」という単語しか出てこない。何に対して謝っているのか、どうしてそんな言葉が出てしまうのかわからないのだけど。でも――あたしはひたすら謝っていた。
「――もういい」
そんなあたしを見て、マイトはつらそうな顔をした。ぎゅっと引き寄せ抱き締められる。もう互いの顔は見えない。
「俺の身勝手な思いばかり押し付けて悪かった。今はそれどころじゃないんだよな、ミマナは」
優しい声。そうやっていつも、彼は自分の気持ちをしまいこんでしまう。できるだけ表に出さないように、そう意識しているみたいに。
「――戻るぞ。宿に着く前に、その泣き顔をどうにかしておけよ?」
「うん……ごめん」
「俺に対して謝るの禁止。俺はお前に謝られなきゃならんことをしたつもりはない」
「う……うん、わかった。――ありがとう」
あたしは両手でごしごしと目を拭う。マイトに抱きかかえられたまま宿に戻ることになったのはちょっと恥ずかしかったし照れくさかったけど、でもマイトの心地よい好意に甘えるのも悪くない、そう思い込むことにした。
宿に戻って顔を合わせたクロード先輩から早速小言が降ってきたけれど、あたしたちはそれを右から左に流してそれぞれの部屋に戻った。
「お帰りなさい、ミマナお姉さん」
ステラは薄暗い角灯の置かれた部屋で本を読んでいた。寝台にうつ伏せに寝転び、持ってきていたらしい本を広げたまま、あたしを見て微笑む。
「ただいま。次、お風呂どうぞ」
甘い芳香で室内は満ちている。それはステラが身につけていた香りとは違う種類のように感じられた。
「はい」
ステラはあたしの勧めに素直に頷き、本を畳んで起き上がる。彼女の寝台の近くの棚に風呂の支度ができていた。
「ねぇ、ステラ?」
「なんですか?」
荷物を持つと、彼女はあたしを見て小首をかしげた。
「この香り、ステラがやったの?」
「え、あ、はいっ……匂い、強すぎましたか? ……疲れを取るのに……良いからってお母様が……。嫌でしたら、変えますけど……」
彼女なりの気配りだったようだ。申し訳なさそうにもじもじとしながら小声で告げるステラに、あたしは近付いて頭を撫でる。
「ううん。別に構わないわよ。馴染みがないもんだから、ちょっと驚いただけ。このままで良いわ」
「勝手すぎましたね……次はちゃんと、聞いてから使いますから……」
ステラは恥ずかしそうにちらっとこちらを見やり、荷物を抱えて部屋を出て行った。
――言い方が悪かったかな……。
彼女の小さな背中を見ながらちょっぴり反省する。咎めたつもりはなかったのにそう捉えられてしまったのが残念だ。あたしのふだんの態度がいけないのかもしれない。
――優しく言えるように気をつけよう。
そしてふとあたしは寝台に残された本を見る。ステラがさっきまで読んでいた本だ。
――どんな本を読んでいるのかしら?
童話か何かだろうか。そんなことを考えながら本の表紙に目を向ける。その本は苔のような深い緑色をしていて、使い込まれているらしく表紙も背表紙もところどころがかすれている。銀色の文字で書かれている題名らしきものは、しかしあたしには読めなかった。魔導文字のそれに似ている。
――彼女も魔導師ってこと? いや、彼女の母親が魔導師なのかもしれないけど。
「あの……」
「うわっ!?」
急に話し掛けられて悲鳴を上げてしまう。声の主に目を向けると、扉のそばに立っていたのはステラだった。
「ボクの持ち物……できるだけ触らないでください……怪我をすると……その……いけないので」
――怪我?
変なことを言うなあと思いつつ、あたしはバクバクしている胸を押さえてこくこくと頷く。
「あぁ、うん。わかった。触らないわ。もちろん、盗ったりしないわよ。安心して」
「あなたが盗むとは……思っていませんけど……念のために……」
そう告げると、彼女はかすかに笑みを浮かべて扉を閉めていった。
――ってか、気付かなすぎでしょ、あたし。感覚鈍りすぎ。
ルークやサニーは格上の相手だから後ろを取られるのは仕方がない。他のことで手に負えない状況下なら、まだ頷ける。だけど、ステラに気付かないのはあたし的にどうなのよ。
「はぁ……」
あたしはため息をついて自分用の空いている寝台に寝転ぶ。
――もう、寝よう。
身体も冷え始め、逆上せていたときの気持ち悪さは引いている。その所為だろうか、今度は強烈な眠気が襲ってきた。あたしも疲れているのだろう。
そう経たないうちに、眠りに落ちていった。
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