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【番外編】Happy Happy Valentine's Day !!
★13★ 2月14日金曜日、18時過ぎ
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部屋に付けられた電話が鳴る。抜折羅はコール音一つで受話器を持ち上げた。
「待たせてごめん。遅くなっちゃった」
申し訳なさそうな声は紅のものだ。
「カードキーを渡しているんだから、それを使えばいいのに」
「えっと……怒ってる?」
「怒っていたら、俺は電話に出ない」
受話器を置くと、抜折羅は共有部に繋がるドアを開けてやった。急に受話器を置いた所為だろう、紅は狼狽えた様子でそこに立っていた。
「紅」
声を掛けると、彼女はビクッと身体を震わせたあとで恐る恐る抜折羅を見た。
「本当にごめんね。仕事の邪魔にならないようにすぐ帰るから」
「ったく。今日は仕事はしないぞ。ゆっくりしていってくれて構わない」
どうしてそんなことを言うのだろう。おいで、と抜折羅は手を差し出す。
「仕事を休むって? 体調悪いの?」
不思議そうな顔で紅は見つめてくる。そんなに珍しいことなのだろうか。抜折羅は紅の問いに答える。
「昼間みたいなことになるってある程度予想していたから、昨日のうちにできることは片付けたんだ」
予想していた以上の事態だったのだが、抜折羅はあえて黙っておいた。
「疲れているってことでしょ? だったらやっぱり、あたし、いない方が――」
「何故、伝わらない?」
彼女の手には透明感のある青い紙袋が握られている。それにはルビー色のリボンが掛けられていた。
抜折羅は彼女の荷物が潰れないように部屋に引き寄せ、ドアを閉める。オートロックが締まる音が響く。
「俺は紅と過ごす時間が欲しくてそうしたんだ。台詞にしないと伝わらないものか?」
「抜折羅……?」
必然的に抜折羅は出入り口を塞ぐような位置に立っている。紅のきょとんとした顔を見て、抜折羅は自分の言動が少々きつかったと反省した。気を取り直して、抜折羅は台詞を続ける。
「――あ、いや、帰りたいなら帰ってくれて構わないんだ。今から火群の家に帰るにしても、遅い時間になってしまう。心配を掛けても悪い。紅の都合もあるよな?」
「今日はここが最後よ」
戸惑いの表情を浮かべたのちに、紅は短く答えて微笑んだ。
「良かったわ。抜折羅があたしのために時間を割いてくれたことが嬉しい」
「そ、そうか……」
嬉しいと言って頬を赤く染めた紅を見て、抜折羅は鼓動が早くなるのを感じた。視線を維持できなくて、彼女が大切そうに持つ紙袋を見る。
「あ、これ、あたしが焼いたクッキーなの。抜折羅、甘いもの苦手でしょ? だから甘さ控えめに調整したの。チョコクッキーは力作よ。受け取ってくれる?」
緊張しているのだろうと推察する。彼女が早口でたくさん喋るのはそういうときだ。さらに緊張が続くと、彼女は無口になる。
「俺のために用意してくれたものを受け取らないほど、薄情なやつに見えるのか?」
差し出された青い紙袋を抜折羅は受け取った。想像以上にずっしりとしている。
「薄情な人とは思っていないわ。もしもそうなら、あなたの足元にそんなチョコレートの山はできていないでしょうから」
彼女は困ったように微笑む。
「悪いな。人の好意をすぐに断れるような人間ではないらしい。嫌われることには慣れているつもりだが、嫌われるような振る舞いを意図的にはできない」
「あたしに謝る必要はないわよ。あなたが良くも悪くも注目されやすい体質だってことは充分知っているつもりだから」
「だとしても、気が引ける。一応、俺はお前と付き合っているつもりなんだから」
はっきりと告げるには気恥ずかしい。自然と小声になる。
「優しいよ、抜折羅は。その言葉で充分幸せだわ」
「うまく思いを伝えるのは難しいな。丁度良い台詞が浮かばない」
幼い頃の出来事の所為でどうしても他人と親しくなるのに抵抗がある。人とコミュニケーションを取ることに慣れていないため、抜折羅はしばしば歯痒い思いをする。これでも少しは改善されたが、満足できるレベルではない。
「読み取れるようにあたしが頑張るから、抜折羅は自分の仕事に集中して。ホープの負の連鎖を止めるのをあたしは待っているのよ?」
「うん。わかってる。いつまでも待たせたりはしないさ」
その約束は忘れていない。自身に掛けられた呪いを解くのが最優先事項であることは、物心がついた時から変わっていないことだ。
「――じゃあ、あたし、帰るわ。クッキーを渡しにきただけだから」
スクールバッグを持ち直し、紅は帰ろうとしている。抜折羅は慌てた。
「お前、薄情じゃないか? 俺は紅のために時間を作ったって伝えたはずなんだが……」
その台詞に、紅は小首を傾げた。
「え? でも、二人でこの部屋にいても話題に詰まるんだけど」
「……そういうことを言うか?」
反応に困ったのは抜折羅の方だ。
「だって、ここは抜折羅の家ではあるけど、あたしにはバイト先みたいなものなのよ?」
確かにここはある種の職場だ。男が住む部屋であると意識しにくいのは道理かも知れない。
「だったら、俺の持つ宝石知識を叩き込んでやる。自身を守る力も増えて一石二鳥だ。俺の心配の種も減るしな」
――どうして俺はそういう発想しかできないのだろう。白浪先輩や星章先輩なら、もっと気の利いた提案をするだろうに……。
発言は取り消すことができない。今後に備えて反省するだけだ。
だが、彼女は抜折羅の提案にうーんと唸りながらも嫌な顔はしなかった。
「クッキーを摘みながらなら、それも悪くはないわね」
光明が射したと思った。
「よし。そうしよう。帰りはちゃんと送るから」
「うん。ありがとう」
「飲み物を取ってくるよ」
共有廊下に出るドアに向かう。外に出ようとするが、ロックされたまま動かない。
「ん?」
様子がおかしい。
「どうしたの?」
「解錠されないんだ」
ドアノブを掴み、ガチャガチャやっていると照明が落ちた。
「待たせてごめん。遅くなっちゃった」
申し訳なさそうな声は紅のものだ。
「カードキーを渡しているんだから、それを使えばいいのに」
「えっと……怒ってる?」
「怒っていたら、俺は電話に出ない」
受話器を置くと、抜折羅は共有部に繋がるドアを開けてやった。急に受話器を置いた所為だろう、紅は狼狽えた様子でそこに立っていた。
「紅」
声を掛けると、彼女はビクッと身体を震わせたあとで恐る恐る抜折羅を見た。
「本当にごめんね。仕事の邪魔にならないようにすぐ帰るから」
「ったく。今日は仕事はしないぞ。ゆっくりしていってくれて構わない」
どうしてそんなことを言うのだろう。おいで、と抜折羅は手を差し出す。
「仕事を休むって? 体調悪いの?」
不思議そうな顔で紅は見つめてくる。そんなに珍しいことなのだろうか。抜折羅は紅の問いに答える。
「昼間みたいなことになるってある程度予想していたから、昨日のうちにできることは片付けたんだ」
予想していた以上の事態だったのだが、抜折羅はあえて黙っておいた。
「疲れているってことでしょ? だったらやっぱり、あたし、いない方が――」
「何故、伝わらない?」
彼女の手には透明感のある青い紙袋が握られている。それにはルビー色のリボンが掛けられていた。
抜折羅は彼女の荷物が潰れないように部屋に引き寄せ、ドアを閉める。オートロックが締まる音が響く。
「俺は紅と過ごす時間が欲しくてそうしたんだ。台詞にしないと伝わらないものか?」
「抜折羅……?」
必然的に抜折羅は出入り口を塞ぐような位置に立っている。紅のきょとんとした顔を見て、抜折羅は自分の言動が少々きつかったと反省した。気を取り直して、抜折羅は台詞を続ける。
「――あ、いや、帰りたいなら帰ってくれて構わないんだ。今から火群の家に帰るにしても、遅い時間になってしまう。心配を掛けても悪い。紅の都合もあるよな?」
「今日はここが最後よ」
戸惑いの表情を浮かべたのちに、紅は短く答えて微笑んだ。
「良かったわ。抜折羅があたしのために時間を割いてくれたことが嬉しい」
「そ、そうか……」
嬉しいと言って頬を赤く染めた紅を見て、抜折羅は鼓動が早くなるのを感じた。視線を維持できなくて、彼女が大切そうに持つ紙袋を見る。
「あ、これ、あたしが焼いたクッキーなの。抜折羅、甘いもの苦手でしょ? だから甘さ控えめに調整したの。チョコクッキーは力作よ。受け取ってくれる?」
緊張しているのだろうと推察する。彼女が早口でたくさん喋るのはそういうときだ。さらに緊張が続くと、彼女は無口になる。
「俺のために用意してくれたものを受け取らないほど、薄情なやつに見えるのか?」
差し出された青い紙袋を抜折羅は受け取った。想像以上にずっしりとしている。
「薄情な人とは思っていないわ。もしもそうなら、あなたの足元にそんなチョコレートの山はできていないでしょうから」
彼女は困ったように微笑む。
「悪いな。人の好意をすぐに断れるような人間ではないらしい。嫌われることには慣れているつもりだが、嫌われるような振る舞いを意図的にはできない」
「あたしに謝る必要はないわよ。あなたが良くも悪くも注目されやすい体質だってことは充分知っているつもりだから」
「だとしても、気が引ける。一応、俺はお前と付き合っているつもりなんだから」
はっきりと告げるには気恥ずかしい。自然と小声になる。
「優しいよ、抜折羅は。その言葉で充分幸せだわ」
「うまく思いを伝えるのは難しいな。丁度良い台詞が浮かばない」
幼い頃の出来事の所為でどうしても他人と親しくなるのに抵抗がある。人とコミュニケーションを取ることに慣れていないため、抜折羅はしばしば歯痒い思いをする。これでも少しは改善されたが、満足できるレベルではない。
「読み取れるようにあたしが頑張るから、抜折羅は自分の仕事に集中して。ホープの負の連鎖を止めるのをあたしは待っているのよ?」
「うん。わかってる。いつまでも待たせたりはしないさ」
その約束は忘れていない。自身に掛けられた呪いを解くのが最優先事項であることは、物心がついた時から変わっていないことだ。
「――じゃあ、あたし、帰るわ。クッキーを渡しにきただけだから」
スクールバッグを持ち直し、紅は帰ろうとしている。抜折羅は慌てた。
「お前、薄情じゃないか? 俺は紅のために時間を作ったって伝えたはずなんだが……」
その台詞に、紅は小首を傾げた。
「え? でも、二人でこの部屋にいても話題に詰まるんだけど」
「……そういうことを言うか?」
反応に困ったのは抜折羅の方だ。
「だって、ここは抜折羅の家ではあるけど、あたしにはバイト先みたいなものなのよ?」
確かにここはある種の職場だ。男が住む部屋であると意識しにくいのは道理かも知れない。
「だったら、俺の持つ宝石知識を叩き込んでやる。自身を守る力も増えて一石二鳥だ。俺の心配の種も減るしな」
――どうして俺はそういう発想しかできないのだろう。白浪先輩や星章先輩なら、もっと気の利いた提案をするだろうに……。
発言は取り消すことができない。今後に備えて反省するだけだ。
だが、彼女は抜折羅の提案にうーんと唸りながらも嫌な顔はしなかった。
「クッキーを摘みながらなら、それも悪くはないわね」
光明が射したと思った。
「よし。そうしよう。帰りはちゃんと送るから」
「うん。ありがとう」
「飲み物を取ってくるよ」
共有廊下に出るドアに向かう。外に出ようとするが、ロックされたまま動かない。
「ん?」
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「どうしたの?」
「解錠されないんだ」
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