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白水晶は未来を託す

★3★ 10月12日土曜日、深夜

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 背後で何かが倒れる音が聞こえて、抜折羅ばさらはすぐに振り返った。

こうっ!?」

 見れば紅がうつ伏せに倒れている。抜折羅は状況の確認のために、すぐに抱き起こした。彼女は眠っているかのように瞳を閉じ、穏やかな呼吸をしている。血色は良いが、時折苦しげな唸り声を上げ、夢見が良いようにはとても見えない。

「何かの術に掛かっているみたいだな」

 起こすために揺すったり、軽く頬を叩いてみるが反応はない。
 隣にいた蒼衣あおいも、紅を目覚めさせるために《鎮静の光》による干渉を試みているようだが、かんばしい結果には到らないらしかった。

「目覚めさせることはできないのですか?」

 紅を覗き込みながら、心配げな気持ちが滲む声で蒼衣が問う。

「原因がわからないと対処のしようが――そうだ」

 抜折羅は返事の途中で一つの方法に気付き、紅の右肩を見つめる。

「フレイムブラッド、状況を説明してくれ。紅を助けたいんだ」

 彼女の右肩に向かって話し掛ける。そこにスタールビーの魔性石フレイムブラッドが埋まっているからだ。

「……フレイムブラッド?」

 反応がない。呼び掛けを無視されるような覚えはないので不審に感じ、彼女のジャージの上から魔性石に触れてみる。

 ――エナジーを感じないだと……?

 通常、〝石憑いしつき〟は契約した魔性石がエナジーを失ったときに石が外れる。解除条件を満たしたり、浄化されればエナジーを失うことになるのだが、現在はそのエナジーを感じないのに〝石憑き〟から解放されていない。これは明らかに何らかの外部的な力が働いている。

「〝フレイムブラッド〟に頼ろうとしても無駄だぜ。〝氷雪の精霊〟の中に封じさせてもらったからな」

 ホールの中から響く声。舞台に立っている将人まさとが指摘してきた。

「――あんた、紅に何をしたんだ?」

 紅の身体を蒼衣に託し、抜折羅はホールの中に足を踏み入れた。室内を満たす空気はひんやりとしていて重い。

「見ていたのに気付かなかったとは、タリスマンオーダー社のエースつっても大したことないんだな」
「答える気がないなら、あんたを刺すぞっ!!」

 足に〝ホープ〟の力を回して跳躍すると、将人のすぐそばに着地する。間髪入れずにウエストポーチから水晶のクラスターを取り出すと、尖った先を将人の喉元に向けて突き出した。
 複数の鋭い先端を持つクラスターは、魔性石の浄化に使用するだけでなく、突き刺せば致命傷を与えることだって充分に可能だ。物理攻撃として使いたいわけではないが、威嚇いかくには事足りる。
 暗闇の中、将人は狼狽うろたえる様子なく、ただにやりと笑んだ。

「おいおい。ここで術者を死なせたら、紅は一生眠り姫になるぜ? 真っ赤な毒リンゴをかじってしまったがために、仮死状態になっちまった白雪姫みたいにな」

 そう告げられても、抜折羅は手を下げられなかった。変わりに、遊輝ゆうきに視線だけ向ける。

「先輩にも言いたい。どうして止めなかった? 紅がどうなっても構わないのかっ?」

 遊輝の行動が一番納得できなかった。紅を好いていると言うくせに、彼は彼女を危険にさらす。どうしてそんなことができるのだろうか。
 舞台の上に立っていた遊輝は、長い人差し指を自身の顎に当てて首を傾げた。

「僕は紅ちゃんを信じているからね。だから全然心配してないんだ。抜折羅くんは信じてあげないの?」
「こんなの、信じていることになるのか!? 危険性が高いんだろう? だのに――」

 抜折羅が非難すると、遊輝は寂しげに微笑んだ。

「君は本当に何でも背負いたがるんだね」

 さっきの台詞よりもいっそう真面目な声色での呟き。

「どういう意味だ?」
「紅ちゃんは強くなりたい、君と対等でありたいって願って〝フレイムブラッド〟と契約したんだよ? だったら、タリスマントーカーの先輩としてできるのは、危険を取り除いてやることじゃなくて、背中を押してあげることじゃないかな?」

 諭すように一言ずつはっきりと遊輝は告げる。
 だが、抜折羅の気持ちは揺らがなかった。

「命がかかっているんだぞ? それを平気な顔で見ているだなんて俺にはできないっ!」

 魔性石の力に翻弄ほんろうされて不幸な目に遭った例を随分と見続けてきた。その体験を思い出せば、遊輝のような態度を取ることなど端から抜折羅の選択肢には存在しえない。

「命がかかっているのは彼女だって百も承知のはずだよ。それが〝石憑き〟になるってことなんだから」
「紅は成り行きで――俺の所為で〝石憑き〟になったんだ。そこまで理解できてない」

 紅を〝石憑き〟にしたのは自分――抜折羅は青いダイヤモンドを回収したあの日から、ずっと自責の念に囚われていた。自分に好意を持ってくれた人間を、またしても苦難の道に引きずり込んでしまったのだ。これで自身を責めずにいられるだろうか。
 抜折羅の反論に、遊輝はゆっくりと首を横に振る。

「違うよ、抜折羅くん。それは視野が狭すぎる見解だ」

 告げて、彼は瞬時に距離を詰める。そして将人に向けていた手を、さっと下ろさせた。

「君は紅ちゃんに選ばれたんだから、彼女の気持ちに向き合わなきゃ駄目だよ。現実をちゃんと見なきゃいけない。いつまでも、そうやって生きてはいられないんだから」

 遊輝の赤い瞳には、悲しげに揺れるミッドナイトブルーの光が宿っている。

 ――白浪しらなみ先輩はちっともわかってない。

 彼は優秀なタリスマントーカーであると抜折羅は認めている。だけど、彼は魔性石の恐ろしさを真の意味で理解できていると言えるのだろうか。
 湧き上がってきた苛立ちに任せて、抜折羅は言葉を紡ぐ。

「先輩に紅の何がわかるって言うんですかっ!? 俺の何がわかるんですかっ!? 知った口をきかないでくれっ!!」

 精一杯の気持ちを突っ込んで叫んだ。もう遊輝の台詞に耳を貸したくなかったから。拒絶して、近付いてくるのを追い払って、静かな感覚を取り戻したかった。
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