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秘めたる炎で心燃やして【第1部完結】

★4★ 9月8日日曜日、夜

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 抜折羅《ばさら》が報告書を書き上げた頃には、すでに陽は暮れていた。つい先ほどまで赤みを帯びていたはずの空には、明るい星が幾つか浮かんでいる。

『いつも感じることではあるのだが、報告書の提出が必要というのも手間ではないのか?』

 パソコンと長時間対峙していた。目を休めようとブラインドを上げた窓の外を見つめていた抜折羅に問い掛ける声。流暢《りゅうちょう》なフランス語で話し掛けてきたのはホープだ。

「これも仕事だからな。予算組んで、出資してもらっている以上、仕方のないことだと諦めているよ」

 英語で報告書を作らねばならないので、必要以上に骨が折れる。会話は日常生活に不自由しない程度にはこなせるが、ビジネス文書を筆記するのはどうにも苦手だ。

『ふむ。抜折羅自身がもっと金銭面で困らない立場の人間であれば良かったのだがな』
「そう思っているなら、赤子だった俺と契約せず、裕福な資産家にでも取り憑くべきだったな」

 抜折羅はフランス語で言い返す。
 よくよく思い返すと、どうして青いダイヤモンドに出逢えたのかを知らない。ホープとどのように契約したのか、物心がついていなかっただけにわからないのだ。

『金持ちは自分の儲けを中心に考える。これまで数多くのタリスマントーカーには出逢えたが、我が願いを聞き入れたのは貴様を除けば、前任者だけだ』

 前任者とはハリー・ウィストン氏のことだろう。抜折羅はホープの言い分に気になる箇所があって問い掛ける。

「聞き入れたって……どこで判断したんだ? 赤子の俺じゃ、フランス語はおろか、日本語すらわからなかっただろうに」
『予感があった。――もし聞き入れぬなら、貴様を殺して他の宿主を求めるだけだ。これまでそうしてきたようにな』
「えっと……俺の聞き違いじゃなければ良いのだが、物騒な単語が出ていなかったか?」
『さぁて、どの単語のことかな?』

 フランス語で会話をしているときのホープは上機嫌だ。自分が優位に立っていると感じているからだろうと抜折羅は思う。
 ため息をつきそうになるのを堪《こら》えて、別の問いに変えることにした。

「――今回の件で思ったんだが、お前は俺を乗っ取ろうとはしないんだな。目的を達成しようと思うなら、俺個人の意識など不要だろうに」

 契約不履行時に魔性石に身体を乗っ取られる事例は幾つも見ている。抜折羅はてっきり、ホープには身体を乗っ取るだけの力がないからそうしないのだろうと思い込んでいたが、石神《いしがみ》ルイの件を見るとそれだけではないように感じられる。
 ホープは抜折羅の問いに、考え込むような間を少しあけて喋り出す。

『それは謙遜《けんそん》かね?』
「どういう意味だ?」

 英語と比べても、あまり使い慣れていないフランス語だ。聞き間違いじゃないかと疑いつつ聞き返す。

『今だから話すが、私は赤子だった貴様に抵抗されたんだ。――抜折羅、貴様は他の誰よりもタリスマントーカーとしての素質がある。親和性が高いということだ』
「そうは言うが、ルイが持っていたホープには身体を乗っ取られたんだぞ?」
『意識は手放さなかったであろう? ――まずは全力で身体の制御を奪い、心を壊そうと試みたのはそういうことだ』

 そう説明されても、抜折羅はしっくりこない。素質があると言われようとも、これまで誰かと比較したことがないからわからないのだ。

「そういうこととして、とりあえず納得しておくよ。だが、あぁいうのは、もう勘弁して欲しいものだ。迂闊《うかつ》だった」

 思い出すだけでゾッとする。相手が紅《こう》だっただけに、なおさら。

『それ故に大切なものを増やさないよう、断ってきたのか? これからも、そうしていくのか?』
「お前にしては珍しい問いだな」

 これまで、ホープが抜折羅の出会いと別れについてとやかく言ってきたことはない。ドライな付き合いはホープ自身も推奨《すいしょう》しているものと思い込んでいたのだが。

 ――紅は特別なのか?

 出会ったときも、確か仲良くしろだのと言っていたはずだ。人間関係に口出ししてきたのは、彼女に絡んだ話題のときに限っているとも言える。

『アメリカに帰るのを彼女に告げないつもりのようだったのでな。今回は違うのではないかと、密かに期待していたのだよ』
「しんみりするのは好きじゃない。それに、妙な絆《きずな》を残したら、お前の呪いの範囲に入っちまうだろ? 彼女のためにはそれがいい。石憑《いしつ》きにしてしまったのだって、俺の所為《せい》だ。紅は俺を責めなかったが、これ以上迷惑はかけたくない。今回関わった他の人間もそうだ。俺のことなど、忘れてくれた方が有り難いくらいさ」
『彼女はきっと納得しないだろう。怒るだろうな』
「悲しまれるよりは幾分かマシだ。恨まれることなら慣れている。――ホープ、お前はどうして〝フレイムブラッド〟に固執する? そんなに特別なのか?」

 あえて抜折羅は紅の名前を出さず、魔性石の名で呼ぶ。

『〝フレイムブラッド〟であれば、私自身を無効化することもできよう。我が願いが叶えられる前に消されてしまわぬよう、手懐《てなず》けておきたいという思惑は捨てられん。加えて、抜折羅が再起不能に陥った場合の予備要員として彼女を確保しておきたい。火群《ほむら》紅と言ったな――あの娘、潜在能力を多く秘めておる。正しく導いてやれば、私や抜折羅にとって便利な存在となろう。打算的な考えだ』
「個人的な興味じゃなくて、安心した」

 石にも人間に対する好みがあるのかと不思議に感じていたが、その説明なら納得できる。
 抜折羅の台詞に、ホープは返す。

『私にとってはそれだけだが、抜折羅は違うのではないか?』

 何を言っているのだろうか。抜折羅は苦笑する。

「おいおい。俺にはお前から与えられた〝使命〟があるんだぞ。達成されるまでは、自分のことは後回しだ。ホープが俺に強《し》いているんじゃないか。よくそんなことが言えたものだな」
『今回の回収のお陰で、次の回収までは幾分か猶予がある。学生らしいことをろくにさせられなかった点については申し訳ないと思っているのだ』

 ホープの声はいつもの横柄な態度とは違って、語気が弱くてしおらしい。

「親みたいなことを言うんだな」
『付き合いならば両親以上であろう? ――私は宝杖《ほうじょう》学院での抜折羅を見ていて気付いたことを伝えているだけだ』

 日常生活も監視されているとは思っていなかった。ホープの回収という仕事には興味があっても、抜折羅本人に興味を向けたりはしないと考えていたのだ。彼の台詞からは、昔からの感情なのか、気が変わったのかは判別できない。

 ――変化なのだとしたら、面白い話題だよな。

「――最初の話に戻るが、俺は仕事をしているだけだ。学生をやっている余裕はない。出資してくれる人たちのためにも、ホープの回収や鑑定鑑別の仕事で恩を返さないと。それが、俺にしかできないことだし、今までやってきたことだ。わかるだろう?」

 自分にホープを回収して諸国を巡るだけの財力がないことは承知している。だからこそ、タリスマンオーダー社という後ろ盾が必要なのだ。ホープの呪いに辟易《へきえき》しつつも、彼の願いを叶えるために奔走《ほんそう》できるのは所属を与えてもらったお陰。ホープの願いに賛同している以上、回収を続けていく環境の維持には全力を尽くす。できることは自分でやりたいのだ。

『抜折羅がそこまで言うなら、この件についてはこれ以上口出しはせんよ』
「そうしてくれ。益のない話だ」

 冷たくあしらうと、ホープは再び沈黙の世界に身を投じたようだった。

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