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崩壊

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「あなた、事故当日の記憶がないんでしょう? 記憶を奪ったのもあたしなのよ?」

 だからミコトが台詞を続けても、典兎の頭にはなかなか入ってこなかった。

(ミコトさんが……殺した?)

 気持ちがぐらつく。何が真実で、事実で、信じるべき物事がなんなのか見えない。暗闇の中に放り込まれたような気分になった。言葉を完全に失っていた。

「どう? これであたしがどんだけ危険な存在なのかわかったでしょ? 同情されるつもりもないわ」

(……違う)

「あー。もう、どうして影の爺さんに会っちゃうかなぁ。ついてないし、自分でばらしているし、なにやってんだろ」

 ミコトは投げやりに呟く。

(違うんだ)

「これでもう、典兎くんのそばにいる必要はないわね。典兎くんには祖父母がいるし」

(違うでしょう? ミコトさん……)

「あたしがそばにいる理由もなくなったし、これでお別れってことで」
「――馬鹿なことを言わないでください!」

 典兎の怒鳴り声が山に響いていった。

「ミコトさん! 僕を見くびらないでください! そんなことで、本当に僕があなたを恨むと思っているんですか!」
「!」

 ミコトは顔を強ばらせた。一生懸命に想いを伝えようとする典兎には敵わない。

「僕から離れなきゃいけない理由、他にもあるんでしょ! 言って下さい!」
「どうして? 普通は憎むでしょ? ううん、あなたはあたしを恨むべきだわ。嫌悪すべきでしょ?」
「ミコトさんっ! もう僕に隠し事をしないで下さい! 水くさいじゃないですか。僕はあなたを、家族だと思っているのに!」
「ほっておきなさいよっ!」

 ごぉぉぉぉっ!
 ミコトの足下に赤い円陣が出現する。彼女の顔が曇った。

「まずっ……」
「ミコトさん?」

 近付こうとした典兎を影が割って入って止める。

「退いて下さい!」
「手遅れだ、少年」

 影を掴んでなんとしても退いてもらおうとするが、ちっともびくともしない。

「どういう意味ですかっ! 僕は――」
「ノリト、お主の気持ちは分かる。しかし『孤独』を食すあの小娘にはその感情が堪えるのだ。わからないか?」
「!」

 ミコトは二人のやり取りを聞いて苦笑する。

「――そんなぁっ……」
「爺さん喋りすぎ。無口なタイプじゃなかったっけ?」

 全身に赤い模様が浮かび上がるとともに痛みが走るが、顔に表れないように必死に堪えながらミコトは指摘する。

「お主も慣れない嘘などつくでないぞ。崩壊が始まっている痛みは抑えられまい」

(崩壊?)

「だから、言わないでよ――うっ……」

 若い女性の姿から、着物をまとった角を持つ少女の姿に変化へんげする。
 すぐに膝をつき、肩で荒く呼吸をしているミコトを見て、典兎は焦った。明らかに様子がおかしい。

「崩壊って……」
「――人魚姫も……はぁ……こんな気持ち……だったのかしらね」

 顔だけを典兎に向けて、寂しそうに見上げた。

「『孤独』を食すあたしが……はぁ……人間に……恋すべきじゃなかったのよ」
「ミコトさん!」
「あなたを……独りにして……はぁ……しまうわね……」
「別れの言葉みたいなことを言わないで!」
「ううん……もう限界……はぁ……なによぉ……ひっそり消える前に……はぁ……お参りくらいしようかなって……思っただけなのに……やぁねぇ……日頃の行いが……悪かったのかしら……」

 おどけて見せるが力はない。

「嫌だよ! そんな冗談、笑えないよぉっ!」

 典兎の頬を涙が伝った。
 ミコトは苦しくても笑顔を作り続ける。

「あなたの感情……とても美味しかったよ……あなたが……あたしを心配してくれたこと……嬉しかったよ……できるならずっと……あなたのそばに……いたかった……」

 姿が徐々に薄らいでゆく。

「つらい思いをさせて……ごめんね……」

 赤い光が強くなり、その輪郭を奪い去る。

「ミコトさん!」

 やがてその光も消え果てて、夏の陽射しだけが残った。

「どうしてこんな……」

 典兎は力なくその場にへたりこんだ。こぼれた涙を拭おうともせず、ただじっと、ミコトが消えた場所を見つめた。

「仕方あるまい、少年。『孤独』を食す者に満たされた心は毒のようなもの。食べることができなければ飢餓状態となり、存在を維持できなくなるのだ。彼女は自分を生かすことを捨て、貴様を護ることを選んだだけのこと。悲しむでない」
「……ねぇ……彼女を元に戻してよ」

 典兎は影を見上げる。

「血迷ったことを」
「いいから彼女を元に戻してよ! なんでもやるから!」

 影にすがる。典兎は必死に訴えた。あれだけ助けてもらいながら、ミコトになんの礼もしていないのだ。それが堪らなく悔しかった。

「いや……しかし……」

 影は狼狽していた。真っ直ぐな典兎の気持ちに気押されていたのだ。

「願いを今すぐ叶えてよっ!」

 両手を握り締め、典兎は影を力の限り叩いた。何度も、何度も、願いを叶えろと叫びながら。
 しばらく無言でいたが、さすがの影も参ったらしい。困り果てて、ついに森の中で待機していた人物に助けを求めることにする。

「――烏丸(カラスマ)殿。指示を」
「しょうがないねぇ……」

 気配を消して始めからずっと隠れていた男が木陰から姿を表す。
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