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水鏡の深淵
卒業したかっただけなのに 1
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ずっと出水(いずみ)昇太(しょうた)に憧れていた。
少女マンガに出てくるヒーローそのままの彼に惹かれないわけがない。ルックスは王子様だし、賢いし運動もできるし。おおらかで天然なところがあるけれど、肝心なところはきっちりと押さえている。男女ともに人気がある人。
たまたま近所に住んでいて、たまたま同じ保育園に通っていて、小学校も中学校もずっと一緒で。彼が県内でも偏差値上位の高校に進学すると聞いて必死に勉強してついて行った。
ずっと……心の底から憧れていた。私じゃ昇太のカノジョの座が務まるわけがないことはわかっていた。だから憧れに留めておこうと思っていた。
でも、憧れていたからこそ、一つだけ叶えたいことがあった。
「……うん?」
大学の入学式が迫る春休み。美容院から帰宅する途中、昇太と出水家の前で出会った。実家がマンションの同じフロアだとはいえ、私とは進学先がわかれて昇太は独り暮らしを始めたと聞いていたから、しばらく顔を合わすことはないだろうと寂しく感じていたのに。
こんなタイミングで会うだなんて想定外で、よほど焦っていたんだと思う。
きょとんとして首を傾げる彼を見て、私は自分が失言したことにようやく気づいた。
「わわ! なし! 今のナシ! 独り言だから!」
慌ててその場を立ち去ろうとした私の腕は彼に掴まれていた。振り解けない。
「逃げないでよ」
「に、逃げたくもなるよ! 今の、忘れて!」
「どうしてさ?」
「どうしても何も、昇ちゃん困ってるじゃん」
昇太は私の腕を掴んだまま離そうとしない。離さないという意志を感じるものの、強く握られているはずの腕に痛みはないから不思議だ。
「びっくりしただけだよ。困ってない」
「へ?」
聞き間違いかと思った。考え込んでいたら抵抗していた力が削がれたらしい。昇太に引き寄せられると、彼の腕の中にすっぽりと収まってしまった。
「ふふ。僕をからかいたかったわけではなさそうだね」
「じょ、冗談だったのっ」
真に受けないでほしい。
私が否定すれば、昇太は私の髪に触れて耳に掛ける。大学デビューしたくて初めて染めた長い髪に触られると、鼓動が跳ねた。
「ああ、耳まで真っ赤だ」
確認するようにそう告げると、私の耳を食む。
「ちょっ」
私は何をされているのだろう。確かにそういうことを連想させるような発言はしたけれど、今すぐにどうこうなるなんて考えていない。
「君が望むなら、僕が叶えてあげる。龍司(りゅうじ)がバイトから帰って来るまでは二人きりになれるし」
昇太の双子の弟である龍司はバイトに出ているらしかった。
「二人きりって」
「ん? 龍司もいてほしかった?」
なんてことを言うのだ。私は慌てて首を横に振る。
「父さんも母さんも仕事があるからね。新人歓迎会だの花見だので帰りは遅くなるってさ。せっかく僕が帰ってるのに、冷たいよねえ」
確かに我が家も似たような感じで、今夜の夕食は一人で適当に食べるようにと言われている。夕食を用意してくれなくなったのは受験生になってからで、気持ちに余裕が出てきた今は自分で料理をするようになっていた。
「じゃあ、ウチで夕食、食べてく? 私、作るよ。ウチも遅くなるって言ってたし」
「ふぅん?」
話題を変えてこの状況を乗り切ろうと思ったのに、昇太は許してくれないらしい。私の顔を見下ろしながらゆっくりと舌舐めずりをして、私の頬に手を添えた。
「食べるのは夕食だけ?」
その意味がわからないわけではない。そもそも、私が蒔いた種である。冷や汗を流しながら、私は視線をそらした。
「で、でも」
「こういう機会はもうないかもしれないよ?」
急展開すぎる。夢でも見ているんじゃないだろうか。
「しょ、昇ちゃんは嫌じゃないの?」
「誰でもいいってわけじゃないさ。幸菜(ゆきな)なら抱きたいって思えたから」
「私なら……いいって?」
どんな顔をしてそんなことを言うのだろう。私が盗み見るように見上げると、昇太はふんわりと微笑んだ。
「恋人から始めなくていいのかい?」
「わ、私じゃ務まりそうにないのでっ」
「僕の体が目当て?」
「そういうつもりじゃなかったけど……そういうことでいいです……」
どう説明したらいいのかわからない。ただ、昇太のカノジョという肩書きは私には荷が重すぎるのだ。
私が答えると、昇太は小さく笑った。
「あはっ、幸菜は面白いねえ」
「笑わせたかったわけじゃないんだけど」
「龍司だったら、絶対に恋人にならないと手を出さないだろうからさ。てっきり幸菜もそういう系統だと思っていたのに。あはは。なるほどなるほど」
「もういいですーっ。ちょっとスケべな体験ができたし、私にはこれがお似合いですよーっだ」
あんまりにも笑うので、私は昇太を引き離そうと手を動かす。しかし脱出できない。強く拘束されているわけではないのに、昇太は器用だ。
「ん? 終わらせないよ?」
「無理しなくていいよ」
「そうじゃない」
ごそっと大きく動いたと思ったら、私は壁に追い詰められていた。逃げ道を探すが、彼の長い足が私のロングスカートを壁に押さえつけている。容易に動けない。
「昇太?」
「優しくするから、幸菜に触れたい」
そう告げて私の顔を覗き込む彼は雄の顔をしていて。
「……お願い、します」
ぎこちない口づけを交わして、私は昇太と一緒に自宅に入った。
少女マンガに出てくるヒーローそのままの彼に惹かれないわけがない。ルックスは王子様だし、賢いし運動もできるし。おおらかで天然なところがあるけれど、肝心なところはきっちりと押さえている。男女ともに人気がある人。
たまたま近所に住んでいて、たまたま同じ保育園に通っていて、小学校も中学校もずっと一緒で。彼が県内でも偏差値上位の高校に進学すると聞いて必死に勉強してついて行った。
ずっと……心の底から憧れていた。私じゃ昇太のカノジョの座が務まるわけがないことはわかっていた。だから憧れに留めておこうと思っていた。
でも、憧れていたからこそ、一つだけ叶えたいことがあった。
「……うん?」
大学の入学式が迫る春休み。美容院から帰宅する途中、昇太と出水家の前で出会った。実家がマンションの同じフロアだとはいえ、私とは進学先がわかれて昇太は独り暮らしを始めたと聞いていたから、しばらく顔を合わすことはないだろうと寂しく感じていたのに。
こんなタイミングで会うだなんて想定外で、よほど焦っていたんだと思う。
きょとんとして首を傾げる彼を見て、私は自分が失言したことにようやく気づいた。
「わわ! なし! 今のナシ! 独り言だから!」
慌ててその場を立ち去ろうとした私の腕は彼に掴まれていた。振り解けない。
「逃げないでよ」
「に、逃げたくもなるよ! 今の、忘れて!」
「どうしてさ?」
「どうしても何も、昇ちゃん困ってるじゃん」
昇太は私の腕を掴んだまま離そうとしない。離さないという意志を感じるものの、強く握られているはずの腕に痛みはないから不思議だ。
「びっくりしただけだよ。困ってない」
「へ?」
聞き間違いかと思った。考え込んでいたら抵抗していた力が削がれたらしい。昇太に引き寄せられると、彼の腕の中にすっぽりと収まってしまった。
「ふふ。僕をからかいたかったわけではなさそうだね」
「じょ、冗談だったのっ」
真に受けないでほしい。
私が否定すれば、昇太は私の髪に触れて耳に掛ける。大学デビューしたくて初めて染めた長い髪に触られると、鼓動が跳ねた。
「ああ、耳まで真っ赤だ」
確認するようにそう告げると、私の耳を食む。
「ちょっ」
私は何をされているのだろう。確かにそういうことを連想させるような発言はしたけれど、今すぐにどうこうなるなんて考えていない。
「君が望むなら、僕が叶えてあげる。龍司(りゅうじ)がバイトから帰って来るまでは二人きりになれるし」
昇太の双子の弟である龍司はバイトに出ているらしかった。
「二人きりって」
「ん? 龍司もいてほしかった?」
なんてことを言うのだ。私は慌てて首を横に振る。
「父さんも母さんも仕事があるからね。新人歓迎会だの花見だので帰りは遅くなるってさ。せっかく僕が帰ってるのに、冷たいよねえ」
確かに我が家も似たような感じで、今夜の夕食は一人で適当に食べるようにと言われている。夕食を用意してくれなくなったのは受験生になってからで、気持ちに余裕が出てきた今は自分で料理をするようになっていた。
「じゃあ、ウチで夕食、食べてく? 私、作るよ。ウチも遅くなるって言ってたし」
「ふぅん?」
話題を変えてこの状況を乗り切ろうと思ったのに、昇太は許してくれないらしい。私の顔を見下ろしながらゆっくりと舌舐めずりをして、私の頬に手を添えた。
「食べるのは夕食だけ?」
その意味がわからないわけではない。そもそも、私が蒔いた種である。冷や汗を流しながら、私は視線をそらした。
「で、でも」
「こういう機会はもうないかもしれないよ?」
急展開すぎる。夢でも見ているんじゃないだろうか。
「しょ、昇ちゃんは嫌じゃないの?」
「誰でもいいってわけじゃないさ。幸菜(ゆきな)なら抱きたいって思えたから」
「私なら……いいって?」
どんな顔をしてそんなことを言うのだろう。私が盗み見るように見上げると、昇太はふんわりと微笑んだ。
「恋人から始めなくていいのかい?」
「わ、私じゃ務まりそうにないのでっ」
「僕の体が目当て?」
「そういうつもりじゃなかったけど……そういうことでいいです……」
どう説明したらいいのかわからない。ただ、昇太のカノジョという肩書きは私には荷が重すぎるのだ。
私が答えると、昇太は小さく笑った。
「あはっ、幸菜は面白いねえ」
「笑わせたかったわけじゃないんだけど」
「龍司だったら、絶対に恋人にならないと手を出さないだろうからさ。てっきり幸菜もそういう系統だと思っていたのに。あはは。なるほどなるほど」
「もういいですーっ。ちょっとスケべな体験ができたし、私にはこれがお似合いですよーっだ」
あんまりにも笑うので、私は昇太を引き離そうと手を動かす。しかし脱出できない。強く拘束されているわけではないのに、昇太は器用だ。
「ん? 終わらせないよ?」
「無理しなくていいよ」
「そうじゃない」
ごそっと大きく動いたと思ったら、私は壁に追い詰められていた。逃げ道を探すが、彼の長い足が私のロングスカートを壁に押さえつけている。容易に動けない。
「昇太?」
「優しくするから、幸菜に触れたい」
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ぎこちない口づけを交わして、私は昇太と一緒に自宅に入った。
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