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第5章:レモングラスの香り
虫除け
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あっという間に昼休み。
ひびの入った窓ガラスには模造紙が貼られていて、それを見ると落ち着かない気分になる。今週末には新しいガラスになるらしい。
窓際の私の席にやってきたコノミは、来るなり不思議そうな顔をした。
「どうかした?」
席に着く前から、この学校で最速と思われる恋愛情報を話し出すコノミが今日は黙っている。
「昨日とは違う匂いがする。シャンプー変えたの?」
私の前の席の椅子を借りてコノミは座りながら問う。
「ううん、これは――」
言いかけて、私ははっとする。
――コノミは弥勒兄さんのことが好きなんだよね。彼から貰ったって言ったら、誤解されるかな?
「なぁに?」
「新しいポプリの香りだと思うよ」
誰から貰ったのかは隠すことにして、私はポケットから弥勒兄さんがくれたオレンジ色の匂い袋を取り出す。ちなみに、典兎さんから貰ったポプリはスポーツバッグの中だ。
コノミに差し出したが、彼女は受け取らずに視線を向けるだけだった。
――ん?
「……えっと、レモンの匂いがちょっと苦手で」
言って、コノミは舌をちょこっと出した。
「あ、そうなんだ。ごめん、知らなかったから」
「ううん! 謝ることじゃないよ」
彼女はにっこりと笑って言ったが、少し顔色が悪そうに見えた。私は慌ててポケットにしまう。
――レモンの香りが苦手なんて、ちょっと珍しいなぁ。
比較的ありふれた香料だと思っていた私には、少々意外だった。
「さあ、一緒に食べよ!」
コノミは見慣れてきたサンドウィッチをメインにしたお弁当を広げる。
「うん!」
私もお母さんの手作りのお弁当を広げる。蓋を開けると、今日も彩り豊かなおかずがぎっしりと入っていた。
――あの朝の忙しい時間に、よくこれだけのものを作れるよなぁ。
要領の悪い私には倍の時間をかけても無理だろうな、なんて思いながら手を合わせる。
「いただきます」
「いただきます!」
食べ始めるが、今日のコノミはおとなしい。いつもの恋愛マシンガントークはなかなか始まらない。
「――大丈夫?」
昨晩見た動画の話が終わったところで、私はふと訊ねる。
「あぁ、うん。平気だよ!」
「そう?」
「ちょっと昨夜は夜更かししちゃったから、きっとそのせいだよ」
そう答えたコノミだが、あまり食事も進んでいないようだ。話しながらでもペースを落とすことなく食べるのに、今日はほとんど黙っているにもかかわらずちっともサンドウィッチは減らない。
「ひょっとして、匂い袋の香りがキツい?」
慣れてしまったのか、私はその香りが気にならない。元々柑橘系の香りが好きだということもあるのだろう。
とはいえ、苦手な香りならどんなに僅かであっても気になるものだと思う。コノミはそういうタイプなのかも知れない。
「そ、そんなことないよ!」
その慌てっぷりに私は引っ掛かりを感じる。
「無理しなくていいんだからね?」
「うん。心配してくれてありがと。わたしは平気だから」
明るい笑顔が無理をしているように私には映る。でも、彼女がそう言い切るのだからと、これ以上話題にはしなかった。
放課後になった。
普段ならホームルームが終わるとこちらにやってきて、一緒に帰ろうと誘ってくれるのに、彼女は来なかった。コノミは自分の荷物をバッグに詰め終えると、こちらを向き片手で「ゴメン」のジェスチャーをする。私が「気にしないよ」と手を振ると、ぴょこぴょことよく跳ねるポニーテールをこちらに向けて去っていった。
――今日は何か用事があるのかな? それとも、弥勒兄さんの虫除けがかなりキツいのか……。
虫除けなのに、友だち避けになってはいないかと非常に不安になる。
――しかし、なんで今ごろ虫除けなんか……。
さっぱり弥勒兄さんが考えていることがわからない。
――ま、深く考えたところで、わからないものはわからないけど。
木曜日なので今日はちゃんと部活に顔を出しておこうとスポーツバッグを手に取る。
その瞬間、異質なものが目に飛び込んできた。
「!」
窓ガラスに貼られて模造紙に、巨大な蜘蛛が張り付いている。
――これは前に……。
この教室で何度か見掛けたことのある緑色の巨大蜘蛛である。まだ残っているクラスメートたちが騒がないところを見ると、これが見えるのはやはり私だけのようだ。
――何にもしてこないよね?
全く動いていない。それで安心した私はバッグを掴むと、緑色の蜘蛛を無視して教室を出た。
――だけど、なんでこんなところに……?
気になって廊下から教室を見たときには、その蜘蛛はいなくなっていた。
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2021.11.27(土)
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