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第2章:恋愛トーク

典兎さんとふたりきりで

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*****


 街灯で照らされた住宅街をもたもたと歩く。思いがけず、また典兎さんと二人きりになってしまった。
 気まずい空気のせいか、並んで歩いているはずなのに微妙に離れている。

「――そう暗い顔をしないで」

 沈黙を破ったのは典兎さんだった。

「心配する気持ちはわかるけど、ミロクに任せれば大丈夫だって」

 典兎さんの声は優しい。

「……言葉では理解できるんです。でも、気持ちに折り合いをつけられなくて」

 ――あのとき、無理矢理でもついて行くべきだったのかな?

 揺れる心を落ち着かせることができない。

「そうだ。さっきのポプリ、嗅いでみたら? 少しは落ち着くんじゃないかな?」

 言われて、私はポプリをポケットから取り出すと、両手でそっと包み顔に近付ける。
 ローズの甘く華やかな香りは重い気持ちをふんわりと包んでやわらげる。

「――うん……少しだけ、気が紛れたかもしれません」
「ローズの香りは人を幸福な気持ちにさせるんだよ。嫌なことがあっても、前向きな気持ちになれるようにってね」

 典兎さんはいつも以上に明るい声で言う。私を励ますためかと思うと申し訳なくなる。それでもなかなか回復できなかった。

 ――私、ダメなコだなぁ。無理をして笑うこともできないなんて。

「――そういえば、さっきの話の続きだけど」
「続き?」

 ――さっきの話って、なんだっけ?

 私が典兎さんを見ると、彼はにっこりと笑んだ。

「僕にカノジョはいないけど、気になるコならいるよ」
「……え?」

 その話のことだとは思わなかった。てっきりはぐらかされておしまいだと思っていたのに。あの時ああいう言い方をしたのは、たんに戻ってきた弥勒兄さんを見つけたのでからかってみただけなのだろうとすっかり思い込んでいた。
 目をぱちくりさせている私を見ながら、典兎さんは微苦笑を浮かべる。それから頬を軽く掻いて、空を見上げた。

「――ただ、ライバルが多いみたいだから、諦めようかなーなんて考え中」

 ライバルが多いとなると、典兎さんの好きな人ってよーちゃんみたいな人だろうか。典兎さんなら他のライバルを余裕で蹴散らせそうな気がするんだけど。少なくとも、誰かのために自分の想いをしまいこんでしまうのは、良くないと思う。

「諦めるなんてもったいないですよー。典兎さん、格好いいのに」

 私は正面を向いて言う。素直な気持ちだ。
 顔は悪くないし、背はそれなりにある。男にしては華奢な感じだが、比較対象がゴツイ感じの弥勒兄さんなので、標準よりやや痩せているというところなのだろう。服装はいつもきちんとしていて好印象。なにより、その優しげな笑顔が魅力的である。喋り方も優しいし。まぁ、人をからかうことをこよなく愛している節があるのが減点要素になりそうだけど。

「……お世辞でも嬉しいよ」

 詰まらせたような間の後に典兎さんの言葉。

 ――あれ? 照れている?

「お世辞じゃないですよー?」

 本当にお世辞ではないのでそう伝えると、典兎さんの足音が途絶えた。私は立ち止まって振り向く。

「じゃあさ――僕の好きなコが君だって言ったら、付き合おうって気持ちになれる?」
「え……?」

 言っている意味がわからない。
 しばらく状況が理解できなくて呆然としていた。

「……や、やだなぁ。私の気を紛らわせるための冗談ですか?」

 ――そうだよね、冗談に決まっているよね?

 いつもの軽い冗談だと思っているはずなのに、すごくドキドキする。

「あ、やっぱりそう思う?」

 絶妙な距離が典兎さんの表情を隠す。

「だって今の、何かのついでみたいな言い方だったじゃないですか」
「……だよね」

 典兎さんは何か呟くと、ゆっくりとこちらに歩いてくる。

「あ、でも、ドキドキはしましたよ?」

 今でも鼓動は少し早めだ。

「ふーん。なら、少しはからかいがいがあったかな? もうちょっと照れるとか恥じらうとかの反応があるかと思ったんだけど」

 典兎さんの口調はいつもならもっと軽いだろうに、今は少し沈んでいるように感じた。

 ――気のせいだよね? 私の勝手な思い込みだよね?

「どうも恋愛の経験値が低すぎて、反応が鈍いようなのです」

 私はドキドキの気持ちが穏やかになっていくのを感じながら、コノミに指摘されたことを思い出す。
 恋愛話をするコノミに対して私の反応は鈍いらしい。もっとリアクションがあってもいいところなのに乗ってこないので、盛り上がりに欠けるのだと言っていたっけ。
 私の台詞に典兎さんはくすくすと笑い出す。

「それ、年頃の女のコの台詞とは思えないよ」
「でも、彼氏にしたいって思える人に出会ったことがないんですよ。唯一感じたのはよーちゃんだけでして」

 あのとき、心底残念に思ったのだ。自分の理想を挙げてみて、ぴたりとはまったのがよーちゃんだけだったという事実に気づいたときに。

「葉子ちゃんは女のコのはずだけど?」

 歩きながら、典兎さんは私の顔を覗き込むように頭を動かした。

「えぇ。わかっているつもりです。そんで、私が末期であるってことも」

 それでも、理想はよーちゃんなのだ。これはどうにも譲れない。

「末期かどうかはおいておくとして、同性相手に憧れることはあると思うよ。僕だって、ミロクや蓮さんを格好いいと思うことはあるし。それに葉子ちゃんは確かに魅力的だからね」
「ですよねー!」

 ――良かった。典兎さんも同意見なんだ。

 それが嬉しくて、ついテンションが上がる。

「だけど」
「ふぇ?」

 典兎さんは続ける。

「いつか、君の前にも葉子ちゃんと同じくらい大切にしたいと思える人が現れると思うなぁ」

 ――よーちゃんと同じくらい大切な人……?

 そんな人が現れる日が本当に来るのだろうか。私には実感が湧かなかった。

「えっと……結衣ちゃんの家ってここだっけ?」

 いつの間にか、私の家の前にたどり着いていた。いつもよりもずっとのんびり歩いていたので時間が掛かったはずだが、それでもあっという間に思えた。

「はい。ここです」

 自宅に花束を届けてもらったことがあるので、典兎さんも私の家を知っている。この辺りでは一般的な二階建ての一軒家だ。猫の額ほどの庭にはお母さんの趣味で始めたハーブが適当に植えてあり、最近の暖かな気候に合わせて新芽が出始めている。妹たちが帰っているのか、二階の部屋の電気が点いていた。

「もう着いちゃいましたね」
「そうだね」

 私は敷地を仕切る鉄格子の扉に手をかける。

「じゃあ、これで」
「あ」

 扉を開けた私に、典兎さんは声を掛けた。

「なんですか?」

 なんでこのタイミングで声を掛けられたのかわからなかった私は、典兎さんの顔を見た。

「さっきの告白もどき、ミロクには内緒にしておいてね。恥ずかしいから」
「えー、どうしようかなー」

 いつもからかわれているし、などと悩む振りをしていると、典兎さんにしては珍しく不安げな顔をした。

「って、本気で心配しないでくださいよ。ちゃんと内緒にしますから」

 ――そんなに私が信用できないのかな? 私って、そういうコに見える?

 すると、典兎さんは大げさにふうと息を吐いて笑った。

「はははっ。わかってるって。結衣ちゃんは優しいコだもんね」
「あっ! またからかったんでしょっ! ひどーいっ!」
「結衣ちゃんもミロクもからかいやすいからねー」

 言って、典兎さんは私に手を振った。私が振り返すとくるりと身体の向きを変えて駅のほうへと歩いて行ってしまう。小さくなっていく後ろ姿を見送ると、私は玄関のドアを開けた。




 家に着いてすぐに私はよーちゃんにメッセージを送った。だけどその返事は私がベッドに潜り込むまでに届くことはなかった。
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