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転生令嬢は大切なあなたと式を挙げたい
5.盗み聞き
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豊穣の神殿に戻ると、先ほどまでいた事務室に通された。私は長椅子に座るように促され、素直に従う。ジョージ神父は私が落ち着いたのを見計らい、何か温かいものを出すからと言って席を外した。
足、痛いな……
靴が脱げても気にせずに走ったので、素足になった右は指先から血が出ていた。見ているだけで痛々しい。放っておいたら破傷風になってしまうだろうか。王都の衛生状態はいい方だが、清掃が行き届いているわけではない。
神殿なら治療の道具は揃っているだろうし、ジョージ神父が戻ってきたら事情を説明して借りないとね。
縁結びの神殿で見てしまった状況を、私は足の怪我を気にかけることで思い出さないように努めた。ジョージ神父には、まだ私がどうして泣いていたのかを説明できていない。きっと気にかかっているだろうが、急いで話を聞き出そうなどとはしないように感じられた。
ジョージ神父、早く戻ってこないかな……
小さなあくびを一つして、長椅子に横になった。気分が悪かったのと、眠気がひどくなってきたのとで、起き上がっていられなかった。私は自然と目を閉じる。
部屋に残された私はジョージ神父が戻ってくるのを待っている間に眠ってしまったらしかった。そんなに長く待たされていたわけではないのに意識を手放してしまったのは、この現実を受け止められなかったからだろう。
どのくらい長く寝ていたのかわからない。身体にかけられた毛布の暖かさに安堵し、もうひと眠りしようかと微睡んでいたところで、話し声が耳に入った。
この声はオスカー? もう一人はジョージ神父よね? 何を話しているんだろう。
私は自分が置かれた状況を思い出せないまま、黙って聞き耳を立てた。
「――ったく、らしくねえな。マリッジブルーなんて言葉があるくらいにデリケートな時期だってえのに、何やっているんだよ」
ジョージ神父の指摘に、もう一人のため息が被さる。
「はぁ……ジョージのおっしゃる通りです」
肯定した声は、やはりオスカーのもののようだ。
私は彼らの姿を確認しておこうかと思ったが、寝たふりを続けることに決めた。
音量や声の響きかたから想像するに、彼らは私のいる部屋の外にいる。私がここで目を開けていても気づかれることはないだろう。だが、より聞きやすい場所へ移動することで不用意に音を立ててしまい、会話が中断されるよりは、彼らが部屋に入ってくるまで盗み聞きをしているのが賢い選択であるように思えたのだった。
「こういうことが起きないように縁を切ってきたんだろうに」
あきれたと言わんばかりの口調。ジョージ神父はオスカーの正体を知っているわけで、オスカーが何を考えて行動してきたのかも察しているに違いない。
「最近が幸せすぎて、油断してしまったのでしょう」
気を引き締めないといけませんねと言葉が続いて笑うオスカーに、ジョージはつられて笑うようなことはなかった。
「――それ、正気で言っているか?」
少し間があいてのジョージ神父の問いは、いつもの明るく軽い口調ではなく重々しい。疑う気持ちがそこにはあった。彼はきっと、今のオスカーに違和感を抱いている。
その感情は私にもあった。オスカーは油断するような人ではない。ましてや、「幸せすぎて」だなんてことが理由になるわけがない。
オスカーは笑うのをやめた。
「なあ、オスカー。それ、本当に大丈夫なのか? 君がしっかりしないと、この王国は崩れるんだぞ。信仰心が極端に薄くなったというわけでもないのに、そんな調子だったら――」
「ええ、そうですね。あなたに言われずとも存じていますよ」
指摘を皆まで言わせず、オスカーは深刻そうな声で返した。
「それに手は打っていますので、ご心配なく。この土地はレネレットさんが生きる場所ですからね。そう簡単に奪わせたり失わせたりしません」
王都を守護しているのは縁結びの神さまだ。縁結びの神さまの力が弱まると、このシズトリィ王国も揺らいでしまう――そういう話をしているらしかった。
神さまの仕事って、国にも関係あるものなのね。
オスカーが手を打ったと言っていることから、シズトリィ王国は安泰なのだろう。私がこの国にいるからそうした、という理由を彼がつけることにモヤモヤしたものを感じるけれど、ツッコミは野暮なのだろう。
私はそろそろ起きていることを明かそうかと身をよじる。
すると、ジョージ神父の声が続いて、私はその言葉の内容に一時停止した。
「そうは言うが、オスカー。そもそも君と彼女は、本来結ばれてはならないんだろう? それでいいのか? だからあの子がこっちに偵察に来たんじゃ……?」
君と彼女は……どういう意味? オスカーと私が、ってこと?
脈拍が増加する。ジョージ神父の言葉がわからない。具体的な名前を出してくれたらいいのに。
私が聞いているとは思っていないだろうオスカーが返事をした。
「それはこれまでの世界の話でしょう? ここは例外ですよ」
これまで? ここは例外?
オスカーの言葉を反芻する。その部分を聞くに、やはり私とオスカーのことのように思える。
動揺の様子を見せないオスカーに、ジョージ神父の困惑が滲む言葉が続く。
「そんな権限、俺たちは持っていないじゃないか。――オスカー、こっちに来てからの君は、なんか変だ。誰かと取引でもしたのか?」
「僕は起点の世界からずっとこうです。一貫していると思いますがね。――あまり暗くなると寒さが増します。レネレットさんを返してください」
様子がおかしいとの指摘に関しては、オスカーは真面目にとりあう気がないようだ。話を終えるために私の名を出す。
ああ、そっか。私、オスカーに裏切られたと思ってジョージ神父に助けを求めて……豊穣の神殿でお世話になっているんだったわね。迎えにきてくれたのか……
放置されるんではないかとも考えていたので、すぐに追いかけて来てくれたらしいことがわかって嬉しい。使者とのキスについての事情は本人からちゃんと聞こう。
私はオスカーに甘えるために寝たフリをしておこうと毛布を被り直す。
足、痛いな……
靴が脱げても気にせずに走ったので、素足になった右は指先から血が出ていた。見ているだけで痛々しい。放っておいたら破傷風になってしまうだろうか。王都の衛生状態はいい方だが、清掃が行き届いているわけではない。
神殿なら治療の道具は揃っているだろうし、ジョージ神父が戻ってきたら事情を説明して借りないとね。
縁結びの神殿で見てしまった状況を、私は足の怪我を気にかけることで思い出さないように努めた。ジョージ神父には、まだ私がどうして泣いていたのかを説明できていない。きっと気にかかっているだろうが、急いで話を聞き出そうなどとはしないように感じられた。
ジョージ神父、早く戻ってこないかな……
小さなあくびを一つして、長椅子に横になった。気分が悪かったのと、眠気がひどくなってきたのとで、起き上がっていられなかった。私は自然と目を閉じる。
部屋に残された私はジョージ神父が戻ってくるのを待っている間に眠ってしまったらしかった。そんなに長く待たされていたわけではないのに意識を手放してしまったのは、この現実を受け止められなかったからだろう。
どのくらい長く寝ていたのかわからない。身体にかけられた毛布の暖かさに安堵し、もうひと眠りしようかと微睡んでいたところで、話し声が耳に入った。
この声はオスカー? もう一人はジョージ神父よね? 何を話しているんだろう。
私は自分が置かれた状況を思い出せないまま、黙って聞き耳を立てた。
「――ったく、らしくねえな。マリッジブルーなんて言葉があるくらいにデリケートな時期だってえのに、何やっているんだよ」
ジョージ神父の指摘に、もう一人のため息が被さる。
「はぁ……ジョージのおっしゃる通りです」
肯定した声は、やはりオスカーのもののようだ。
私は彼らの姿を確認しておこうかと思ったが、寝たふりを続けることに決めた。
音量や声の響きかたから想像するに、彼らは私のいる部屋の外にいる。私がここで目を開けていても気づかれることはないだろう。だが、より聞きやすい場所へ移動することで不用意に音を立ててしまい、会話が中断されるよりは、彼らが部屋に入ってくるまで盗み聞きをしているのが賢い選択であるように思えたのだった。
「こういうことが起きないように縁を切ってきたんだろうに」
あきれたと言わんばかりの口調。ジョージ神父はオスカーの正体を知っているわけで、オスカーが何を考えて行動してきたのかも察しているに違いない。
「最近が幸せすぎて、油断してしまったのでしょう」
気を引き締めないといけませんねと言葉が続いて笑うオスカーに、ジョージはつられて笑うようなことはなかった。
「――それ、正気で言っているか?」
少し間があいてのジョージ神父の問いは、いつもの明るく軽い口調ではなく重々しい。疑う気持ちがそこにはあった。彼はきっと、今のオスカーに違和感を抱いている。
その感情は私にもあった。オスカーは油断するような人ではない。ましてや、「幸せすぎて」だなんてことが理由になるわけがない。
オスカーは笑うのをやめた。
「なあ、オスカー。それ、本当に大丈夫なのか? 君がしっかりしないと、この王国は崩れるんだぞ。信仰心が極端に薄くなったというわけでもないのに、そんな調子だったら――」
「ええ、そうですね。あなたに言われずとも存じていますよ」
指摘を皆まで言わせず、オスカーは深刻そうな声で返した。
「それに手は打っていますので、ご心配なく。この土地はレネレットさんが生きる場所ですからね。そう簡単に奪わせたり失わせたりしません」
王都を守護しているのは縁結びの神さまだ。縁結びの神さまの力が弱まると、このシズトリィ王国も揺らいでしまう――そういう話をしているらしかった。
神さまの仕事って、国にも関係あるものなのね。
オスカーが手を打ったと言っていることから、シズトリィ王国は安泰なのだろう。私がこの国にいるからそうした、という理由を彼がつけることにモヤモヤしたものを感じるけれど、ツッコミは野暮なのだろう。
私はそろそろ起きていることを明かそうかと身をよじる。
すると、ジョージ神父の声が続いて、私はその言葉の内容に一時停止した。
「そうは言うが、オスカー。そもそも君と彼女は、本来結ばれてはならないんだろう? それでいいのか? だからあの子がこっちに偵察に来たんじゃ……?」
君と彼女は……どういう意味? オスカーと私が、ってこと?
脈拍が増加する。ジョージ神父の言葉がわからない。具体的な名前を出してくれたらいいのに。
私が聞いているとは思っていないだろうオスカーが返事をした。
「それはこれまでの世界の話でしょう? ここは例外ですよ」
これまで? ここは例外?
オスカーの言葉を反芻する。その部分を聞くに、やはり私とオスカーのことのように思える。
動揺の様子を見せないオスカーに、ジョージ神父の困惑が滲む言葉が続く。
「そんな権限、俺たちは持っていないじゃないか。――オスカー、こっちに来てからの君は、なんか変だ。誰かと取引でもしたのか?」
「僕は起点の世界からずっとこうです。一貫していると思いますがね。――あまり暗くなると寒さが増します。レネレットさんを返してください」
様子がおかしいとの指摘に関しては、オスカーは真面目にとりあう気がないようだ。話を終えるために私の名を出す。
ああ、そっか。私、オスカーに裏切られたと思ってジョージ神父に助けを求めて……豊穣の神殿でお世話になっているんだったわね。迎えにきてくれたのか……
放置されるんではないかとも考えていたので、すぐに追いかけて来てくれたらしいことがわかって嬉しい。使者とのキスについての事情は本人からちゃんと聞こう。
私はオスカーに甘えるために寝たフリをしておこうと毛布を被り直す。
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