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後日譚・番外編置き場

寒い夜だから

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番外編 寒い夜だから


 夜中、どうしてもお手洗いに行きたくなった私は、そっと自分の部屋を出た。廊下は屋内だというのに息が白く濁る。
 私の故郷と比べて王都の冬はとんでもなく寒いと感じている今日この頃であるが、例年はここまでではないとオスカーは教えてくれた。今年はとりわけ寒いらしい。
 なんで私の初めての王都の冬に限ってそんなに冷え込むのよ……
 オスカーがクリスマスにくれた寝間着はとても暖かいものだが、それを着ていても足下から冷えてくるので凍えてしまいそうだ。
 私の身体は結構丈夫みたいだけど、油断したら流行り病にやられてしまいそうね。この辺りは衛生状態もいいし、疫病を流行りにくくするための対策も立てられているとはいえ、撲滅したわけじゃないもの。気をつけないと。
 指先に暖かな吐息を吹きかけながら、私はお手洗いまでの道を急いだ。




 用を済ませると、私はふとオスカーを思った。彼の部屋には暖房設備――ストーブがある。寝ている間ずっと焚いているわけではないのだが、この時間はそれでも私の部屋よりも暖かいはずだ。
 暖まりに行ったら怒るかな……
 オスカーの朝は早い。日が昇る前から神職の仕事が始まるので、ここで私が起こしてしまったら迷惑になるだろう。
 でも、身体がすっかり冷えてしまったのよね……
 ベッドに潜り込むつもりはないので、部屋で少し暖まるだけなら問題ないのではないか――そう考えてからの私の行動はとても早かった。
 私はオスカーの部屋の前に行くと、まず扉に耳を押しつけた。中の様子を伺うためだ。
 静かね……
 扉越しでは寝息は確認できない。いびきをかく人ではないので、中が静かであることくらいしかわからなかった。
 まあ、それならそれでいいわ。
 鍵がかけられる扉ではないので、私はノブを回して引く。冷気が中に入り込まないように扉を開けて身体を滑り込ませると、すぐに閉めた。
 よし。
 部屋の温度が急に下がったらオスカーに気づかれてしまうかもしれない。扉は瞬時に閉めることができたし、音も立てなかったので完璧だ。

「あったかい……」

 思ったように、オスカーの私室は充分に暖かかった。手足の冷えが改善していくのがわかる。
 生き返るわ……。私のために暖かい毛布を用意してはくれたけど、部屋全体が冷えるとやっぱり身体がきついのよね。この部屋で私も一緒に寝させてくれたらいいのに。できれば、ただの添い寝で。
 ベッドで眠っているオスカーを発見し、私は足音を忍ばせてそっと近づく。仰向けで眠っている彼は人形みたいに動かない。だが、規則正しく呼吸をしていることはわかるので、これが彼にとって普通の寝姿なのだろう。
 ほんと、無駄に綺麗な顔をしてるわよね……
 この世界で再会した時、彼を美形だと感じたのだが、今でもそれは変わらない。サラサラの黒髪も、色白の肌も、長めの睫毛やすっと鼻筋が通った様子も、美形と呼ぶに相応しいものだと思う。
 最初に出会ったあの世界の顔も、今とそう変わらないのよね。私はこの顔が好きってことなのかしら?
 せっかくオスカーが動かずに眠っているので、私はまじまじと至近から見つめた。
 最近の彼は私が油断をするとちょっかいを出してくるので、この顔をじっくりと堪能する時間はない。それに、今は寝ているからこそ眼鏡をかけていないわけで、より近くで見ることが可能だ。
 まあ、見飽きる顔ではないわね。美人は三日で飽きるって話も聞くけど、オスカーについてはそんなことはない。うん、よかった。
 そう考えて、私はふと思った。
 ん? じゃあ、噂される程度には美人なのだろう私は、オスカーに飽きられちゃうのかしら?
 ここ最近はじっと私の顔を見てくれていないような気がする。彼がちょっかいを出してくるのは、私に飽き始めた兆候の一つなのではなかろうか――そう考えると、すっと血の気が引いた。
 え、待って。でも、その仮説が真実だったら、私はどうしたらいいの? 化粧で顔を変えてみる? わざと変な仮面でもつけて、私の素顔が見えないようにする方がいいかしら?
 不安でオロオロとしていると、オスカーの目がパチっと開いた。彼の目に私が映る。

「……おや? どうかしましたか、レネレットさん。怖い夢でも見たような顔をしていますが」

 オスカーの両手が伸びてきて、私の頬を挟み込んだ。彼の大きな手は毛布の中に入っていただけあって温かい。

「オスカー……ねえ、私の顔を見ていて飽きない?」

 今にも泣き出してしまいそうな声が出た。もっと強気な調子で尋ねるつもりだったのに。
 しょんぼりした様子の私を、オスカーはプッと吹き出して笑った。

「何をおっしゃいますか。それだけコロコロ表情を変えるあなたを見て、そう簡単に飽きるとでも?」

 そう告げるなり、オスカーは私を掴まえて、ベッドの中に引き込んだ。

「ちょっ! オスカー⁉︎」

 ベッドの中は暖かいな、などと頭の片隅でのんきに考えている間に私はオスカーに組み敷かれてしまう。

「まだ僕は、あなたが感じている顔をちゃんと見ていないのです。入浴中はあなたの背後にいることが多いですし、このベッドに呼んだ時だって、暗いのと眼鏡がないのとでよく見えませんからね」
「それと、この状況は、あの……」

 逃げようと思って身体をひねると、オスカーに止められた。間髪入れずに唇を唇で塞がれる。驚いて唇が開けば、あっさりと舌の侵入を許してしまった。
 あ、あれ。どうしてこんなことに……
 強く拒むにも理由がすぐに浮かばなくて、オスカーの自由にさせる。さっきまで凍えそうだったのに、身体の芯から熱くなっていく気配を感じた。

「ん……オスカー……」

 助けを求めて彼の名を呼ぶと、キスをやめたオスカーが私の顔を覗き込む。じっと見つめたあとで、唇の端をしっかりと上げた。

「まったく……可愛い顔を見せてくれるものですね。寝ぼけていらっしゃるようですし、今はここまでにして差し上げますよ」
「この先は……何があるの?」

 知識として持っていても、経験は少しもない。オスカーがどんな選択をするのか、想像ができなかった。そもそも彼は性欲というものを持たないと言っている。子どもがほしいと言っているけれど、どうしようと考えているんだろうか。

「さて、なにがあるんでしょうね。方法ならわかりますが、僕だって初めてですから。レネレットさんと一緒に経験していくしかないでしょう」

 困ったように笑って、オスカーは私の頭を撫でる。くすぐったくて、私は目を細めた。

「そうね……経験、か……」

 たぶんだけれど。
 私は彼が《自分には性欲はない》と言い切る理由が、自分の中に湧く衝動が何に由来するものなのかを認識できていないが故ではないかと疑っている。オスカーの今の身体が人間なのであれば、衝動があって身体を重ねたいと考えるのは自然な道理なのではなかろうか。
 それを指摘してしまったら、もう、私は退路を完全に断たれてしまうんだろうけど。
 私が黙ると、オスカーはチュッと軽いキスをして隣に寝転んだ。

「レネレットさん、夜這いの時はもっと可愛くおねだりしてくださいね。そうでないと、僕はあなたを慰めることしかできません」
「きょ、今日のは、夜這いじゃないもん……」

 反論する私を、オスカーはギュッと抱きしめてくれた。
 私はおとなしくされるがままになっておく。オスカーが暖かくて、この温もりがほしかったのだと素直に認めたからだ。

「――おやすみ。愛しいレネレット」

 私の耳元で優しく囁いて、オスカーは目を閉じる。彼の寝息が聞こえてくるのは数秒後。

「うん……おやすみ、大好きなオスカー」

 聞かれたくなくて、オスカーがしっかり眠ったという確証を得るまでたっぷり待って、私は呟く。
 そして、やっと目を閉じる。安心できるオスカーの温もりを感じながら、私は夢の世界に意識を向けたのだった。


《番外編 寒い夜だから 終わり》
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