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アフターストーリー【不定期更新】
アップルパイに蕩けるチーズを添えて
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アニキの店のこの秋の新作はアップルパイらしい。ワンハンドで食べられるそのアップルパイの中には、とろりととろけるチーズも入っているそうだ。カスタードクリームではないあたりにこだわりを感じる一品である。
「――熱々のがおすすめだから、情報だけ共有しておくよ。近々食べにおいでだって」
夕食を片付けながら、彼は今季の新作がアップルパイに決まったことを伝えてきた。食べ終えたばかりだというのに、美味しそうな情報を聞いてついついよだれが溢れてしまう。
「そうやって私を釣ろうっていう魂胆ですか」
「僕が行き来していることもあって、梓くんと顔を合わせていないでしょう?」
「それは、まあ、そうですけど」
アニキの店で彼が働いているから、土日の食事名目で注文することもすっかりなくなっている。夕食の差し入れがあるときでさえ、彼が運んでくれるからアニキの姿をしばらく見ていないのだった。
まあ、元々私が出不精なうえに、神様さんが甲斐甲斐しく世話をしてくれるから店に行く理由が皆無なんだよね……。
「そろそろ涼しくなってきたことだし、お散歩もいいんじゃないかなあって」
「涼しくなったって言っても、朝晩の冷え込みが秋らしさを帯びてきただけで、昼間は暑いですよ。陽射しも強いし」
午後から客先に行くことがあるのだが、先日がまさにそれでとんでもなく暑かった。暑さ寒さも彼岸までとはいうけれど、酷暑が去っただけの真夏日続きでは寒くなったとは認められん。秋が小さすぎて顕微鏡でも見えんぞ。
うんざりした調子で返せば、彼は小さく笑う。
「あはは、それはそうなんだけどさ」
「一緒にお出かけしたいんですか?」
「いろいろ見たいじゃない」
「……向こうに帰る前に?」
探るように尋ねれば、彼の手が止まって私の顔を覗いた。
「うん」
真面目な顔。美人がそういう顔をしないでほしい。言葉や展開に関係なく心臓に悪いぞ。
「その感じだと、アニキにも相談してあるってことですかね」
私はそっと視線を外す。まだ夕食の片付けは終わっていない。手を動かそう。
「お酒もらったときにちょっと話を聞いてもらったからさ」
「…………」
面白くなくて私は黙り込む。
彼はフライパンを洗う作業に戻る。
「弓弦ちゃん的には怖いのかい?」
「まあ、そうですね。便利に使っていたから、いろいろと」
私は言葉を濁す。この気持ちをはっきりとした言葉では表せない。それに、きちんと表したくないという気持ちもちょっとある。これはきっと曖昧なままがいい。
「……そう」
フライパンを水切りカゴに立てて、彼は手をタオルで拭った。
「ふふ。難しい話は梓くんのところですることにして、お店で一緒に食べようよ。ついでに写真撮って、宣伝するように頼まれているんだ」
「……って、深刻な様子で話を振るから覚悟したのに、そっちが本題なんじゃないですかっ? アップルパイの宣伝写真」
「どっちも重要事項だよ」
けらけらと彼は明るく笑う。私は大きく頬を膨らませる。
どっちも……か。多分、それは本当なんだろうな。
意図的に嘘をつけないとしつこく説明する彼のことだ。彼にとっては同じくらい深刻な話題なのだろう。
「あー、食べに行くのめんどうくさいなー。絶対に美味しいやつだけど!」
気持ちが沈みそうになるのを、冗談めかした大きな声でごまかす。気持ちが揺らぐのは天候が不安定なせいだ。台風から変化した低気圧が秋雨前線を刺激しているからに決まっている。
「美味しいと思うよ。冷えたのは乾酪がかたまって食感が悪くなるから、絶対に熱いうちに食べること」
「言い方がアニキに似てきた気がするんですけどぉ」
私がからかうと、彼は目をぱちぱちとさせた。
「ありゃ、真似たつもりはなかったんだけどな」
そう返してきた神様さんは、はっと目を丸くした。どうした?
「あ。最近僕の前で不機嫌な顔をすることが増えたのは、そういう理由だったのかな?」
「アニキが?」
「夏休み期間中はうまくやれていたと思うんだけどね。ここのところ、眉間に皺を寄せている顔をされるから」
「あー……原因に含まれていそうですね……」
敵対しているわけではないが、別に好意的に接している訳でもないのがアニキと神様さんの間柄である。ビジネスライクの付き合いよりはもうちょっと距離が近いのだろうと思っているけれど、そういう関係の中で眉間に皺が寄っているのが気になるのであれば、この絶妙な関係が崩れつつあるのをお互いが気にかけているからかもしれない。
それに、実家に帰るかもだなんて言っているならなおさら。
「そっかぁ。なるほどなるほど。気をつけよう」
ちょうどお皿をしまい終えた。手が空いた彼と目が合う。
「さて、この後の予定は?」
「月見のイベントがあるので」
「げぇむかあ……」
「またランキング戦なんですよ。手は抜けません」
私はスマートフォンを取り出して時間を確認する。イベントは二十時に始まるのだ。なんとか滑り込めそうで何よりである。
「僕とイチャイチャして、さくっと終わらせないかい?」
「すぐに片付けるので、いい子にして待っていてください。スタートダッシュが肝心なんです」
「いい子にしているから、約束だよ?」
「はい」
まもなく二十時。私は神様さんと約束をして寝室に向かうのだった。
《終わり》
「――熱々のがおすすめだから、情報だけ共有しておくよ。近々食べにおいでだって」
夕食を片付けながら、彼は今季の新作がアップルパイに決まったことを伝えてきた。食べ終えたばかりだというのに、美味しそうな情報を聞いてついついよだれが溢れてしまう。
「そうやって私を釣ろうっていう魂胆ですか」
「僕が行き来していることもあって、梓くんと顔を合わせていないでしょう?」
「それは、まあ、そうですけど」
アニキの店で彼が働いているから、土日の食事名目で注文することもすっかりなくなっている。夕食の差し入れがあるときでさえ、彼が運んでくれるからアニキの姿をしばらく見ていないのだった。
まあ、元々私が出不精なうえに、神様さんが甲斐甲斐しく世話をしてくれるから店に行く理由が皆無なんだよね……。
「そろそろ涼しくなってきたことだし、お散歩もいいんじゃないかなあって」
「涼しくなったって言っても、朝晩の冷え込みが秋らしさを帯びてきただけで、昼間は暑いですよ。陽射しも強いし」
午後から客先に行くことがあるのだが、先日がまさにそれでとんでもなく暑かった。暑さ寒さも彼岸までとはいうけれど、酷暑が去っただけの真夏日続きでは寒くなったとは認められん。秋が小さすぎて顕微鏡でも見えんぞ。
うんざりした調子で返せば、彼は小さく笑う。
「あはは、それはそうなんだけどさ」
「一緒にお出かけしたいんですか?」
「いろいろ見たいじゃない」
「……向こうに帰る前に?」
探るように尋ねれば、彼の手が止まって私の顔を覗いた。
「うん」
真面目な顔。美人がそういう顔をしないでほしい。言葉や展開に関係なく心臓に悪いぞ。
「その感じだと、アニキにも相談してあるってことですかね」
私はそっと視線を外す。まだ夕食の片付けは終わっていない。手を動かそう。
「お酒もらったときにちょっと話を聞いてもらったからさ」
「…………」
面白くなくて私は黙り込む。
彼はフライパンを洗う作業に戻る。
「弓弦ちゃん的には怖いのかい?」
「まあ、そうですね。便利に使っていたから、いろいろと」
私は言葉を濁す。この気持ちをはっきりとした言葉では表せない。それに、きちんと表したくないという気持ちもちょっとある。これはきっと曖昧なままがいい。
「……そう」
フライパンを水切りカゴに立てて、彼は手をタオルで拭った。
「ふふ。難しい話は梓くんのところですることにして、お店で一緒に食べようよ。ついでに写真撮って、宣伝するように頼まれているんだ」
「……って、深刻な様子で話を振るから覚悟したのに、そっちが本題なんじゃないですかっ? アップルパイの宣伝写真」
「どっちも重要事項だよ」
けらけらと彼は明るく笑う。私は大きく頬を膨らませる。
どっちも……か。多分、それは本当なんだろうな。
意図的に嘘をつけないとしつこく説明する彼のことだ。彼にとっては同じくらい深刻な話題なのだろう。
「あー、食べに行くのめんどうくさいなー。絶対に美味しいやつだけど!」
気持ちが沈みそうになるのを、冗談めかした大きな声でごまかす。気持ちが揺らぐのは天候が不安定なせいだ。台風から変化した低気圧が秋雨前線を刺激しているからに決まっている。
「美味しいと思うよ。冷えたのは乾酪がかたまって食感が悪くなるから、絶対に熱いうちに食べること」
「言い方がアニキに似てきた気がするんですけどぉ」
私がからかうと、彼は目をぱちぱちとさせた。
「ありゃ、真似たつもりはなかったんだけどな」
そう返してきた神様さんは、はっと目を丸くした。どうした?
「あ。最近僕の前で不機嫌な顔をすることが増えたのは、そういう理由だったのかな?」
「アニキが?」
「夏休み期間中はうまくやれていたと思うんだけどね。ここのところ、眉間に皺を寄せている顔をされるから」
「あー……原因に含まれていそうですね……」
敵対しているわけではないが、別に好意的に接している訳でもないのがアニキと神様さんの間柄である。ビジネスライクの付き合いよりはもうちょっと距離が近いのだろうと思っているけれど、そういう関係の中で眉間に皺が寄っているのが気になるのであれば、この絶妙な関係が崩れつつあるのをお互いが気にかけているからかもしれない。
それに、実家に帰るかもだなんて言っているならなおさら。
「そっかぁ。なるほどなるほど。気をつけよう」
ちょうどお皿をしまい終えた。手が空いた彼と目が合う。
「さて、この後の予定は?」
「月見のイベントがあるので」
「げぇむかあ……」
「またランキング戦なんですよ。手は抜けません」
私はスマートフォンを取り出して時間を確認する。イベントは二十時に始まるのだ。なんとか滑り込めそうで何よりである。
「僕とイチャイチャして、さくっと終わらせないかい?」
「すぐに片付けるので、いい子にして待っていてください。スタートダッシュが肝心なんです」
「いい子にしているから、約束だよ?」
「はい」
まもなく二十時。私は神様さんと約束をして寝室に向かうのだった。
《終わり》
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