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室長の誤算

一目惚れでした。

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 まさか、この僕が一目惚れなんてするとは思わなかった。これまで一度も女性に興味を持てなかった僕である。
 新種の植物を見るときのように、つい彼女を頭のてっぺんからつま先までまじまじと観察してしまう。
 サラサラストレートの金髪は柔らかそうで、青空に新緑を足したような瞳はくりくりっとしていてとても大きい。
 まつげは上下ともにフサフサで、しなやかな毛がならぶ様は飼育中のハエトリグサを想起させる。顔を近づけなくても瞬きがわかるくらいにとても目立つ。
 やや低めの鼻に薔薇色の小さな唇、雪のように白い肌に薄桃色の頬。新入りなので確実に僕よりは若いのだろうけれど、それにしても若すぎる気がした。
 ただ、顔立ちは十代のように幼いにもかかわらず、ワンピースの上に白衣をまとった身体は美しい瓢箪型。胸も尻も大きく実った果実のように美味しそうに思えた。今すぐかじりついて、その味を確かめたい――

 ああ、ひょっとして、この衝動が欲情と呼ばれているものではなかろうか?

 ハッとして、正気に戻らねばと自分に言い聞かせる。僕は彼女と向き合った。

「こんにちは。初めまして、フィルギニアと申します。まだ所属先を決めていないので、見学に参りました。今、お時間はよろしいでしょうか?」
「こんにちは。僕は第五研究室室長、アナスタージウスです。ここは植物の研究を中心に、僕の好きなことを勝手にやっている部署なんだ。どうぞ自由に見ていって」

 うまく紹介できていたかわからない。それは彼女を見てドキドキしたからというわけではなく、普段からあまり他人と喋らないために話し慣れていないだけである。
 この研究室生活は自分に部下がいないこともあってコミュニケーションの必要性が低い。この研究室自体も王立魔導研究所のメインの研究棟から離れており、そもそも研究対象が植物なので、ほとんど喋る必要がないのだった。

 こんなことなら、もう少し身なりを整えておくべきだっただろうか――なんて自分らしからぬ色気づいた発想が湧いてきて、僕は内心苦笑する。
 不潔にならないように心がけてはいるが、少々癖のある黒髪はボサボサだし、面倒で気が向いたときにしか剃らない髭はいわゆる無精髭状態。支給されている白衣はこまめに洗濯はしているけれど、長年愛用している都合でヨレヨレだ。
 そういえば、この銀縁眼鏡は度が合わなくなって新調したばかりでピカピカなのだが、そこだけ輝いているのもかえってアンバランスかもしれない――などと、自分の今の姿を思い返す。

「ありがとうございます」

 フィルギニアと名乗った彼女は明るくにこやかに話し、適当に研究室を歩き回る。時々こちらの様子を窺うような仕草をするので、適宜説明をしてみた。その都度、彼女は大きな目をキラキラさせて楽しそうに振る舞う。こんな女性は初めてだ。
 それに放っておいたところで、部屋のものを勝手にいじったり触ったりしないのが好ましい。
 これまでの助手たちは、僕が指示を出していないにもかかわらず勝手なことばかりする人で、それが心底煩わしかった。そういう面倒を起こして僕の気を引こうとしているのが伝わると、なおさら嫌悪した。
 だから、次に助手を頼むなら彼女しかいないだろうな、と密かに考えた。
 彼女が今年の試験の首席であり、引く手数多な人材だと知ったときに彼女のことは諦めなければと自分に言い聞かせていた。しかし、どういうわけか僕のところに来てくれた。このことがどれだけ嬉しかったことか。
 だが、僕は生まれて三十八年、異性との接し方についてはまともな経験が皆無である。彼女は二十二歳という若さで、どう考えてみても恋愛対象にはならないだろう。
 僕は彼女と仕事をしながら、この劣情をどう処理したものか考えあぐねる日々に突入することになる。
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