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湖までの道中で

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 フィロに見送られ、馬を走らせてどのくらい経っただろうか。陽射ひざしは高いところから降り注いでいる。

「うぅ……酔う……」

 アリスはローブのポケットの中にいた。もちろん、ウラノスのローブの、である。

 しかしそのローブにはアリスが昨日見た水の精霊の紋章は入っていない。上官に嘘をついて出てきたため、身分が知られないようにそれを着ているのだ。

「文句を言うなんて贅沢ぜいたくですね」

 ウラノスは聖水が湧くと言われている湖に向かって馬を走らせている。現在は森が深くなる街道を通っているはずだ。

「――目的地まで魔法を使うわけにはいかなかったんですか?」

 昨日のように鷹の姿で目的地に向かった方が簡単に違いないと思いながらアリスは問う。

「よくそんなことが言えますね。君は王宮魔導師の規則が頭に入っていないようだ」

 ため息混じりにウラノスは指摘する。彼は手綱を握り、馬をさばきながら話を続ける。

「――王宮魔導師の規則には魔法の使用に関して三つの決まりがあります。

 一、訓練時は上官のいる場所でのみ使用を許可する。
 二、上官の命令があるとき、その使用を許可する。
 三、命の危機が迫っている場合、例外的にその使用を許可する。

 ――何故そんな決まりがあるのか、君は理解していないらしいですね」

 ウラノスはトゲのある口調で厳しく諭す。

「わ……わかってますよ。王宮魔導師は魔導師の中でも優秀な者の集まり。国に所属するそんな人間が、むやみやたらと魔法を使うと困るんでしょ?」

 腹を立てたアリスはムッとした気持ちを乗せて答える。いちいちしゃくにさわるような言い方をしなくてもいいのにと思わずにはいられない。

「全然足りていませんね。君はその程度しか理解していなかったということですか」

 はぁ、とため息をついたあとでの台詞。落胆っぷりをここまで誇張こちょうする必要はいかほどあるのだろうか、とアリスは思う。

「――王宮魔導師は国王に仕える存在であり、国を守る義務があります。ですから、万が一誤った使用をされると国が責任を取らねばなりません。状況によっては国の存続に関わることになりかねない。ゆえに、責任を取ることができる人間の前でしか魔法の使用を許可しないのです。これは大事なことです。覚えておきなさい」

「はーい」

 怒られてばかりで面白くない。アリスが気の乗らない声で返事をすると、ウラノスの手が伸びてきた。そしてポケットから出ていたアリスの鼻先をピンと弾く。

「痛っ! 女の子の顔を弾くだなんて信じられないっ! 傷になったら、どうしてくれるのよっ!」

「王宮魔導師に性別は関係ありません。必要だと思ったから、それ相当の罰を与えただけ。女性だからといって手を抜けば、王宮魔導師全体の質が下がります」

 ぎゃあぎゃあ騒ぎ立てるアリスに、ウラノスは当然とばかりにきっぱり返す。

「――しかしそうですね。傷が残ったので責任を取れとおっしゃるなら、きちんと代償を払いますよ? 責任を取る覚悟なくして人の上に立つなかれ、です」

「じゃあ、そのときは遠慮なく請求させてもらいますからっ」

 ふんっと鼻息荒く言ってやると、アリスは前足で鼻をさする。ヒリヒリ痛むところからすると、赤くなっているのかもしれない。

「やれやれ――ん?」

 何かに気づいたらしい。ウラノスは急ぎ走らせていた馬を止め、視線を背後に向ける。

「どうしたんですか?」

 様子がおかしいのを不審に感じ、アリスはポケットの中から頭を出す。そして、ウラノスの視線の先に目を向けた。

 見えるのは平凡な街道だけである。道行く人々も違和感に気づかず行き交っている。

「こちらに何かが向かってきます」

 そりゃ道なんだから人も馬も通るわよ――そうアリスが返す前に、ウラノスが何に気づいたのか理解した。煙のようにあがる砂埃すなぼこりが目に入ったからだ。

「――暴走しているのか」

 ウラノスはそうつぶやくと、すぐに呪文じゅもん詠唱えいしょうをはじめる。浮かび上がる魔法式、編まれる魔力。その力を前にアリスの身体は小さく震えた。

 やがて向かってくるものの正体――四頭立ての馬車が見えてくる。馬の制御がきかなくなり、真っ直ぐの街道をひたすら全力で走り続けているらしい。さすがに周囲の人々も察したらしく、道の端に寄るなどして行き過ぎるのを待っている。

「――太陽の使者よ、の者の目を覚めさせたまえ!」

 錯乱さくらん状態の者の正気を取り戻す呪文。ウラノスの魔法は視界にとらえていた暴走馬車に向かって放たれる。

 魔法の力を受け、馬たちは次第にしずまってゆく。ウラノスたちの脇を通る頃になって、なんとか馬車は停止した。

 自然とわき上がる拍手の中、暴走馬車の御者ぎょしゃが下りてきてアリスたちの元へやってくる。そして深々と頭を下げると礼を告げた。

「ありがとうございました。あなたのおかげで助かりました。どう礼をしたものか」

「礼など滅相めっそうもない。人として当然のことをしただけですよ。この先もお気をつけて。――では急ぎますので」

 対外用らしい優しげな笑顔を御者に向けると、ウラノスは馬に命ずる。御者は口を開きかけたが、何を言おうとしていたのかはわからぬまま遠ざかっていく。

 ――礼はいらない、か。

 格好いいことを言うな、なんて見直しながらアリスはウラノスの横顔を見る。少し頬が赤い。

 ――あ……ひょっとして、照れ屋さん?

 だとしたらかなり面倒な人物だ。

 アリスがそんなことを思っていると、視線に気づいたのかウラノスが喋り出した。

「――言っておきますが、今は上官に嘘をついて出かけている身なんですからね。私がここにいると知られるとよろしくないのです。また、王宮魔導師は支給以外に他人から物品を受け取ることを禁じられています。賄賂わいろだと思われないために、ね」

「もうっ! なんでそこでそういう言い訳じみたことを言うのよ!」

 アリスの不満な気持ちが台詞の熱に変わる。

「君が勘違いしないようにという理由以外になにもありませんよ。しいて言うなら、こんな機会でもなければ、規則の説明はできませんからね」

「だからって――」

「実体験を通じて学んだことは頭だけじゃなく身体にもしみつくものです。機を逃すのはおろか者のすることだと思いますが?」

「もういいっ!」

 アリスは話を切るとポケットの中に潜り込む。話せば話すほど幻滅しそうで、それが怖くて嫌だった。

「全く、アリス君はわかっていませんね」

 ウラノスの小言はアリスが隠れてしまったあとも長々と続いたのだった。

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