多重世界シンドローム

一花カナウ

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情報保管庫(アーカイブ)

過去への潜入

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「――気分はどうだ?」

 聞き慣れた少女の低い声。あやめの顔を覗いている縁の姿が目に入る。

「……霧島さま? ――!」

 あやめは自分が縁に膝枕をしてもらっていることに気付いて慌てて身体を起こす。

「あ、こら、いきなり立つと――」

「ふわわっ!」

 止める縁を無視して立ち上がろうとしたあやめだったが、立ちくらみを起こして足をもたつかせる。

「ほらよっと。――緒方はんは乗り物酔いを起こすタイプかいな?」

 ふらふらするあやめを、近くで立っていた茜が支えてやる。背の高い茜にとって、小柄なあやめを支えることは大したことではない。

「うう……すみませぬ。足手まといで」

 めまいも落ち着いてきて、自力で立てるようになると頭を下げる。

「いや、そんなことはない。貴様のお陰で目的地に着けたようだからな」

「目的地……?」

 縁から貴家の過去を探ると聞いていたが、彼女にははじめから包括的ではなく焦点を絞った上で調査するつもりであったようだ。

 言われてあやめは辺りを見回す。

(この景色は……)

 そろそろ空が赤く染まる頃合いであろうか。だいぶ傾いた太陽が建物の間から覗いている。

(貴家さまの家の近所?)

 尾行している間にも何度か通った見慣れた風景。そしてあやめが貴家と初めて言葉を交わした場所でもある交差点。そこに三人は立っていた。

「世継学園高等部の一学期中間テスト後の土曜日夕方――時刻はそれで問題ないんかいな?」

 ――中間テスト後の土曜日夕方。

(それって……)

 あやめはそれを聞いて顔を縁に向けた。哀しげな縁の顔が視界に入る。

「笹倉一葉の死を検証するのだ」

「……なぜ彼女の名を?」

 笹倉一葉のことは縁に伝えていなかったはずだ。それなのに、彼女は知っている。

「多重世界シンドローム発症者自身を調べるのはあやめたちの役割であるが、その身辺を調査するのは私たちや監査部(ノルニル)の仕事だ。次期委員長(モイラ)にと決めた時点で、それなりの調査をするものなのだよ」

 視線をわずかに反らせ、縁は告げる。その事実はあやめには初耳であった。戸惑うままに次の質問を投げる。

「……なぜ彼女の死を検証する必要があるのです?」

 心拍数が徐々に上がっていく。井上が言っていたことがよみがえってゆく。できるなら、貴家が愛した笹倉一葉が死ぬところなど見たくない。

「特殊な事例だからだ」

「特殊な事例?」

 笹倉一葉は交通事故に遭って死んだ。そのどこに不審な点があるというのだろうか。あやめは答えを促すために見つめる。

「彼女の死には多重世界シンドロームの力が関与している可能性が高い」

「! 貴家さまが殺したのだと仰るのですか!」

 貴家が疑われているとあればあやめは気が気でない。つい声を荒げてしまう。

 そんなあやめに対し、縁はやれやれと首を横に振る。

「だから、それを検証するのだ。――彼が何故、笹倉一葉を護れなかったのかをな」

 ――護れなかったのかをな。

 その指摘にあやめは落ち着きを取り戻す。

(――そうです。その通りです。彼がそのとき、多重世界シンドロームを発症していたのであれば救えたはずです)

「――そろそろ来るところやな」

 茜の台詞に、あやめは言い争うのをやめ、彼女が見つめている方向に目をやる。

「ウチらは貴家はんの心の声をオンにしているんやけど、緒方はんはどうするん?」

「できるなら、切っておいてください」

 これ以上、無断で貴家のプライバシーを覗くような真似はしたくはない。あやめは嫌な気分になりながら答える。

「りょーかい」

 通りに入ってきた二つの影。一人は貴家礼於。ならばもう一人の少女が笹倉一葉だろうか。近付くにつれて声や姿がはっきりしてくる。

(確かに綺麗な方ですね……)

 遠くからでも彼女だと判別がつくだろう整った顔立ち。健康的な明るい色の肌に形の良いくちびる。化粧をしているようには見えないが、長いまつ毛がぱっちりとした目を縁取っていて大きく見える。背はあやめより高く、同じ年頃の少女の中でも高いほうだろう。貴家と並ぶとちょうどよい高さに映る。清楚な白いワンピースに長袖のカーディガンを合わせ、この天気に薄桃色の雨傘を持っていた。

「――ってどーして雨が降らないわけ? 天気予報の大ウソつきっ!」

「だってオレがいるんだぜ?」

 あやめの疑問を代弁するかのように始まった会話。呆れ顔の貴家が隣の少女の傘を見ながら問う。

「うるさいわね。念のためよ、念のため! 備えあれば憂いなしって言葉、知ってる?」

 少女は頬を膨らませて貴家に噛み付くように言う。

「今までのオレとのデートで雨に降られたことがあったか?」

 笑いながら言う貴家に、少女は不満げに睨んで口を開く。

「あら、あたしの期待を裏切ったことなら何度でもあるわ」

「うわっ、何。オレ、今地雷踏んだ?」

 言いつつも、互いに本気で文句を言っているのではない。冗談であることを了承しての会話であることは端から見ていてもすぐにわかる。それぞれに対する信頼が見えるのだ。

(うらやましい……)

 任務中であることを一瞬忘れ、ついあやめは二人の様子を妬んでしまう。その感情に気付くやいなや、首を小さく横に振って気持ちを切り替える。

(ワタシには貴家さまの隣を歩く資格がもとよりありませぬ。うらやんでも仕方なきこと。今は仕事に集中せねば)

 貴家たちはあやめたちに気付くことなく、そのまま通り過ぎた。明るい笑い声が耳元を掠めてゆく。

(――でも何故でしょう……。胸が苦しい)

 二人が楽しそうにしていればしているほど、変えることのできない永遠の別れが待っていることに耐えられない。見ていることしかできない歯がゆさに、ただじっと見ていられるか不安になる。

「伊予、あやめ、追うぞ」

 縁の声に我に返り、あやめは先を行く二人の背を追いかける。

「――今のところ異常ナシやな」

「貴家の多重世界シンドロームも安定して発動しているしな」

 隠れることなく大っぴらに尾行をしながら意見を交換する。記録された世界に入り込んでいるだけなので、向こうに気付かれることはまずないのだ。

(霧島さまの仰るとおりですね……)

 縁の指摘に、あやめは貴家の周囲を確認する。貴家の身体は多重世界シンドロームの発動によりぼやけて見えている。その力が安定していることは、歪みが一定の幅を保っている様子から読み取れた。

(一葉さまを想う気持ちが世界に干渉しているのですね)

 天気予報で雨が降ると言っていたのが、貴家の願いによって晴れに書き変わったのだろう。それゆえの一葉の傘なのだ。

「二人の関係も問題はなさそうやし、貴家はんに何があったんかな?」

「さぁ。それを調べにきたんだがな」

「確かにぃ」

 見たところ、これから不幸が訪れるようには見えない。どこにでもいるカップルのいつもどおりの日常があるだけだ。

(まさか――貴家さまの多重世界シンドロームの力が、別の誰かの多重世界シンドロームの力に負けたということ?)

 あやめはそこでようやく事態に気がつく。

(でしたら、その発症者は井上純也さま……)

 そうであるのなら、これまでの多重世界シンドローム発症者の死亡が重なったのも井上純也の意志に因るものである可能性も出てくる。

(――そういえば)

 井上純也は言っていた。一葉の事故現場に居合わせたのだと。ならば彼は、この時間のこの近所にいたことになる。

(このまま貴家さまを観察していたのでは、きっと真実にたどり着けませぬ!)

「――あぁ、もう着いちゃったかぁ」

 前を歩いていた一葉が残念そうに言う。

「そんなふうに言うなら自宅まで送ろうか?」

 そう問い掛けて何かを思い付いたらしく、貴家はにやりと口元を上げて続ける。

「――それとも、まだ早い時間だしウチに来る?」

 それに対し、一葉は軽く小突いた後で舌を出す。

「下心見え見えで言うヤツのところには行きませーん」

「期待して何が悪い? オレは素直な人間なのさ」

「ばーかっ」

 肩を竦めておどける貴家に、笑いながら離れる一葉。

「今日はこのあと勉強するの! あんたと同じ大学に行きたいからね! 三人の約束でしょ?」

(――三人の約束?)

 遠ざかる一葉を貴家は追わない。これがいつもの別れであるかのように。

「二人してオレが目指す大学に行こうって、何か間違ってないか?」

「いーじゃんいーじゃん! 世継学園を受験したときみたいに、レオがあたしたちを引っ張ってくれるって期待してる!」

(――あたしたち?)

 ある程度離れたところで、一葉は大きく手を振った。

「じゃ、また明日ね!」

「おう! 一葉、また明日!」

 貴家が手を振り返すと、二人は別れる。彼は一葉が見えなくなるまで見送っていた。

「――この数分後に事故かぁ」

「それを知っている分だけ、つらいものがあるな」

 茜のため息混じりの台詞に縁が応じる。

(しまった、これでは一葉さまを見失ってしまいます!)

 あやめは意を決して割り込んだ。

「霧島さま!」

「何だ?」

 縁は顔を貴家からあやめに向ける。

「貴家さまのご友人である井上純也さまにも多重世界シンドロームを発症している疑いがあるのです。その彼は、今この近くで、一葉さまを見ているはずなのです!」

 あやめの発言に縁は目を丸くする。

「井上純也に発症の可能性?」

「とにかくワタシは一葉さまを追います。事故を目撃したと言っていた彼は、きっとなんらかの事情を知っているに違いありませぬゆえ」

 できるなら事故の現場には居合わせたくはない。当時の状況は井上から聞いている。それだけでも苦しかったのに、それを目の当たりにするなんてもっとつらいはずだ。それでも、ヒントをもらった以上確かめねばならない。

 縁に一礼すると、急いで一葉のあとを追ったのだった。




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