2 / 31
記憶喪失の少女
2
しおりを挟む自由に使ってよいと言われた、通りに面した二階の部屋。そこはサンドラが目覚めたときにいた部屋で、客室として利用しているのだとキースは説明した。
(男性の一人暮らしだと言うにしては、ちゃんとあたしが着られるようなものもあったり、調度品があったりして妙なのよね……)
サンドラのために用意した服。それは大きめではあったが女性用のもので、麻でできたゆったりとしたワンピースだった。外を眺める限りでは、似たような衣裳の女性が行き来しているので、この地域では一般的な格好なのだろう。
部屋に置かれた小物に目を向ける。
紗幕は茜色をしていて、窓の外に見えた屋根の色に似ている。敷布も同じ茜色だ。色は好みにも依るだろうから男女でどうこう言うことはできまい。しかし、扉の近くに置かれた姿見や綴れ織壁掛けは男性が使用するものとは思えない。
(母親かお姉さんが使っていた部屋なのかしら……?)
サンドラは窓際から扉に移動する。扉の横に掛けられた綴れ織壁掛けを間近で見る。
(それにしても、この綴れ織壁掛けは大した物よね)
とても手の込んだ織物だ。大きさは並ぶように置かれた姿見と同程度。蒼い蝶の意匠が特徴的な作品だ。
(朱色の大地に舞う蒼い蝶の乙女、か……)
遠くから見れば蒼い蝶が大地の上を舞っているように見えるのだが、よく見ればその胴は人の形をしているのだった。
「んっ?! ……いたたっ」
頭痛を伴って、一瞬何かが脳裏を過ぎる。誰かの影であったような気がしたが、鮮明ではなく判別できない。痛みが引くにつれてその姿も霞んで消えていく。
この綴れ織壁掛けが閉じられた記憶に引っかかったらしい。サンドラは手をこめかみに当てたまま再び視線を向けるが、結局何も思い出せなかった。
(なに、今の……)
綴れ織壁掛けと向き合っていると、扉が軽く叩かれる。
「食事、できましたけど、着替え終わりましたか?」
「え、あっ、はいっ!」
声の主はキースだった。着替えを渡したっきり階下に行っていたようだが、様子を見に戻ってきたらしい。サンドラは返事をすると扉を開ける。
「あぁ、やっぱり少々大きかったようですね」
スカートの裾が足首にまで届いているのを見てキースは言う。
「小さいよりは良いですよ。とても助かります」
微笑んで答えると、視線を綴れ織壁掛けに向ける。
「この綴れ織壁掛け、素敵ですね。蝶々の少女の意匠がとても絵になっていて」
「おや? この街では一般的な題材ですよ。ご存知ないのですか?」
「えぇ」
頷くサンドラに、キースは意外そうな顔をする。そして部屋に入り、彼も綴れ織壁掛けに目をやった。
「この蝶の乙女、プシュケっていうんですよ。魂の化身だそうで。この街では、死んだ者の魂がプシュケとなって残された者に会いに来ると伝えられているんです」
「へぇ……ところで、男性でも少女の姿なんですかね?」
ふとした疑問を口にしたサンドラに、キースは小さく噴き出す。
「くくくっ……あなた、面白いですね」
「ま、また、あたしのこと笑ってっ……!」
むっとしてキースを睨むが、彼は笑いをこらえるのに必死のようで腹に手を当てて身をよじっていた。
(そこまで笑うことないのにっ……!)
からかわれているみたいで腹立たしいが、これ以上何を言っても深みにはまるような気がしてサンドラは堪える。ただ顔を真っ赤にしてじっと睨み続けた。
「くくくっ……えっと、少女の姿をしているのは、ですね。きっとそのほうが絵になるからですよ。少女の方が清らかで美しく見えますから。魂の純潔を示すのにもちょうど良いのでしょう」
笑いを抑えて説明するキースの台詞に、サンドラはふむふむと頷く。
「あぁ、なるほど。確かにごついオジサンの蝶々は見たくないですものね」
少女の幼い肢体のほうが絵に映える。それはこの綴れ織壁掛けを見ればわかることだ。
「……あなた、天然ですね」
「えっと……それ、あたしのことをけなしていますよね?」
「いえ、褒めていますよ。あなたのような発想、僕には到底及びませんから」
「あたし、普通のつもりなんですけど……」
とても真面目に考えていたつもりだのに笑われて、サンドラは今ひとつ承服しかねる。小さく膨れていじける彼女に、キースは優しく微笑んだ。
「怒らないでくださいよ。せっかくの可愛い顔が台無しですよ?」
「ご機嫌取りをしようっていったってそうはいきませんよ」
「でしょうね」
「?」
すぐに引いたキースに、やはり調子を崩されてサンドラは首をひねる。
問う前に、キースが続けた。
「久し振りなんですよ、こんなに笑うの。接客業ですからさすがに仕事として人に接することはありますけど、そんなに笑えることってありませんからね」
「…………」
寂しげな微笑みにそんな台詞を付け足されては何も言えない。噛み付いてやりたい衝動は萎え、サンドラは黙り込む。
「――さぁ、食事が冷える前にどうぞ。お腹が空いているのではありませんか? 苛々されるのも、空腹が原因では?」
言われて、サンドラは自分の腹部に手を当てる。ちょうどいい具合にぐぅと鳴った。
「サンドラさんのお腹は正直でよろしいですね」
口元に手を当てて笑いを飲み込みながら言うキース。一挙手一投足、その言動すべてが笑われているみたいで気に喰わないが、キースを楽しませているのならそれでいいか、とサンドラは自分に強く言い聞かせる。
「……お腹だけじゃなく、あたし自身も素直で正直者のつもりですけど?」
「天然さんな部分も含めて、ですけどね」
「き、キースさんっ!」
「行きましょうか。案内します」
顔を真っ赤にして怒鳴るサンドラをいなし、キースは部屋を先に出たのだった。
0
お気に入りに追加
31
あなたにおすすめの小説
もしもしお時間いいですか?
ベアりんぐ
ライト文芸
日常の中に漠然とした不安を抱えていた中学1年の智樹は、誰か知らない人との繋がりを求めて、深夜に知らない番号へと電話をしていた……そんな中、繋がった同い年の少女ハルと毎日通話をしていると、ハルがある提案をした……。
2人の繋がりの中にある感情を、1人の視点から紡いでいく物語の果てに、一体彼らは何をみるのか。彼らの想いはどこへ向かっていくのか。彼の数年間を、見えないレールに乗せて——。
※こちらカクヨム、小説家になろう、Nola、PageMekuでも掲載しています。
LOVE NEVER FAILS
AW
ライト文芸
少年と少女との出逢い。それは、定められし運命の序曲であった。時間と空間の奔流の中で彼らが見るものは――。これは、時を越え、世界を越えた壮大な愛の物語。
※ 15万文字前後での完結を目指し、しばらく毎日更新できるよう努力します。
※ 凡人の、凡人による、凡人のための物語です。
チェイス★ザ★フェイス!
松穂
ライト文芸
他人の顔を瞬間的に記憶できる能力を持つ陽乃子。ある日、彼女が偶然ぶつかったのは派手な夜のお仕事系男女。そのまま記憶の奥にしまわれるはずだった思いがけないこの出会いは、陽乃子の人生を大きく軌道転換させることとなり――……騒がしくて自由奔放、風変わりで自分勝手な仲間たちが営む探偵事務所で、陽乃子が得るものは何か。陽乃子が捜し求める “顔” は、どこにあるのか。
※この作品は完全なフィクションです。
※他サイトにも掲載しております。
※第1部、完結いたしました。
三度目の庄司
西原衣都
ライト文芸
庄司有希の家族は複雑だ。
小学校に入学する前、両親が離婚した。
中学校に入学する前、両親が再婚した。
両親は別れたりくっついたりしている。同じ相手と再婚したのだ。
名字が大西から庄司に変わるのは二回目だ。
有希が高校三年生時、両親の関係が再びあやしくなってきた。もしかしたら、また大西になって、また庄司になるかもしれない。うんざりした有希はそんな両親に抗議すべく家出を決行した。
健全な家出だ。そこでよく知ってるのに、知らない男の子と一夏を過ごすことになった。有希はその子と話すうち、この境遇をどうでもよくなってしまった。彼も同じ境遇を引き受けた子供だったから。
かあさん、東京は怖いところです。
木村
ライト文芸
桜川朱莉(さくらがわ あかり)は高校入学のために単身上京し、今まで一度も会ったことのないおじさん、五言時絶海(ごごんじ ぜっかい)の家に居候することになる。しかしそこで彼が五言時組の組長だったことや、桜川家は警察一族(影では桜川組と呼ばれるほどの武闘派揃い)と知る。
「知らないわよ、そんなの!」
東京を舞台に佐渡島出身の女子高生があれやこれやする青春コメディー。
雨、時々こんぺいとう
柴野日向
ライト文芸
「俺は、世界一の雨男なんや」
雨を操れるという少年・樹旭は、宇宙好きな少女・七瀬梓にそう言った。雨を操り、動物と会話をする旭を初めは怪しく思っていた梓だが、図書館で顔を合わせるにつれて次第に仲を深めていく。星の降る島で流星を見よう。そんな会話を交わす二人だったが、旭が更に背負う秘密は、相手を拒む大きな障害となっていた――。
宇宙に恋する夏休み
桜井 うどん
ライト文芸
大人の生活に疲れたみさきは、街の片隅でポストカードを売る奇妙な女の子、日向に出会う。
最初は日向の無邪気さに心のざわめき、居心地の悪さを覚えていたみさきだが、日向のストレートな好意に、いつしか心を開いていく。
二人を繋ぐのは夏の空。
ライト文芸賞に応募しています。
昆虫採集セットの正しい使い方
かみゅG
ライト文芸
私が子供の頃に暮らしていた場所は田舎だった。
古き良き昭和の空気が漂う場所。
そう言えば聞こえはよいが実態は違う。
過疎が進む田舎だった。
そこには四人の子供達がいた。
安藤アオイ。
学校で唯一の男の子で、少しワガママ。
安藤アンズ。
アオイの双子の妹で、甘えっ子。
加藤カエデ。
気が強くて、おませな女の子。
佐藤サクラ。
好奇心が旺盛だけど、臆病な女の子。
どこにでもいる子供達だが、田舎に暮らしているおかげで純粋で無邪気だった。
必然的にそうなる環境だったし、それが許される環境でもあった。
そんなどこにでもある田舎の思い出話を、少し語ろうと思う。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる