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第五話 消えたおきつねさまと烏天狗
消えたおきつねさまと烏天狗12
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釈然としない気持ちを抱きつつも、私は目の前の家に向かって近づいていった。
「すみませーん」
昔ながらの藁葺きの日本家屋は、見慣れていないはずなのに、どこか懐かしいような思いを抱かせた。私が家の周りを見て回りながら歩いていると、ふいにどこかから人の声のようなものが聞こえてきた。
はっと息を飲み、耳を澄ませてみると、それは歌声のようだった。
「歌……?」
透き通るような美しい声が、先に見える竹垣の向こうから響いている。竹垣に近づいてそっと中を覗き見ると、そこには不思議な光景があった。
庭先で女性が歌を歌っていた。その優しい歌声に誘われるように、女性の周りには何羽もの小鳥たちが集まって、逃げることもなく彼女を取り囲んでいた。
神秘的で静謐な空間。小鳥たちに囲まれながら歌を口ずさむその女性は、穢れを知らぬ聖女のように見えた。
彼女がちづさんだということは、訊ねずともわかった。
なぜかは自分でも説明できないけれど、ひと目で彼女がその人であることを理解していた。
ふいに歌がやんだ。と同時に、彼女の視線がこちらを捉えた。私は緊張して呼吸を止めたまま、微動だもせずに立ち尽くしていた。
「私に会いにきた方ですね」
彼女は真っ直ぐに私のほうを見ながら、そう話しかけてきた。どきりとしたが、私はこくりとうなずく。
「どうぞ中に入ってください。話を聞きましょう」
すでに私がここに来ることをわかっていたかのような彼女の態度が不思議だったが、とにかく私は彼女の言に従って、庭のほうへと足を踏み入れていった。
バランスよく配置されている低木や花。華美ではないものの、掃除の行き届いた庭は質素でも上品に感じられる。
そんな庭に面した家の縁台に、彼女はいた。
先程まで彼女の周囲にいた小鳥たちは、私が近づくのと同時に、どこかへと飛び立っていった。
美しい人だった。
単なる美人という言葉では言い表せない。顔だけの美しさではなく、内面から滲み出している美しさを体現している人だと思った。私は緊張しながらも、彼女の傍へと近づいていく。
「隣へ」
彼女にうながされ、隣に座る。視線は正面の庭へと移り、次第に鼓動の高鳴りは景色に同調するかのように鎮まっていった。初めて来たはすなのに、不思議とこの場所が懐かしいような気がするのはなぜだろうか。
「美しい庭ですね」
始めに口を突いて出た言葉は、自分でも馬鹿馬鹿しく思うほどに陳腐なものだった。しかし、ちづさんは少しもこちらを嘲るような様子を見せず、真摯に受け答えてくれた。
「なにも特別なものはありませんが、手入れだけは欠かさずしております。己の身なりとともに、住み処も清らかに整えておくと、自然と悪いものは近くに寄りつかなくなりますゆえ」
ちづさんの言葉は、発した傍から癒しの力を周囲の大気に溶け込ませていっているようだった。なぜ先程まで鳥たちが彼女を取り囲んでいたのか、わかったような気がする。
「あの……私……。実はあなたにお願いがあってやってきました」
「はい」
彼女はすでに私が言う言葉を知っていたかのようだった。ふと横を見ると、ちづさんは美しいまなざしで正面を見つめていた。もしかするとそのまなざしは、もっと遙か遠くを見つめているのかもしれない。
「そのお願いというのは、この妖怪にかけられた呪いを解いてもらいたいという……」
言いながら私は自分の周囲に目を走らせる。
「って、え……?」
しかし、先程まで近くにいたと思っていたはずのおきつねさまの姿が、いつの間にか見えなくなっていた。私は少なからず困惑したが、ちづさんはあくまでも落ち着いていた。
「大丈夫。わかっています。その妖怪というのは、空孤のことですね」
「あ、はい……。さっきまで近くにいたんですけど……。って、どうして空孤のことを知っ
ているんですか?」
「かの妖怪は、この時代でも有名です。随分悪さを働いて、私も苦労をさせられました」
三千年も生きている大妖怪である。ここは私の知る令和の時代よりも遙か昔の時代ではあ
るけれど、空孤は存在していたはず。けれども、それは私の知っている空孤とは違う空孤だ。それに、どうしてちづさんは私がこうして頼み事をしにくることを知っていたのだろう。
私の疑念を察したかのように、ちづさんはにこりと微笑んでからこう口にした。
「夢のお告げがあったのです」
「夢のお告げ?」
「ええ。遙か遠い未来よりの旅人が、私に空孤を救うよう頼みにくると」
私は驚きに目を瞠った。
「そんな不思議なことが……。でも、そうだったんですね。だから私みたいなこんな格好の人間をすんなり受け入れてくれた」
やはりとてもすごい霊力を持った巫女である。なにか神懸かった力が彼女に働いたのだろう。
「それに、あなたをひと目見た刹那、わかりました。あなたと私の深い縁を」
縁。
それは、私がちづさんの来世の姿だとわかったということだろうか。
「あの……」
私が声を発しようとすると、ちづさんはそれを制するように片手を挙げた。
「いいんです。深い事情は訊きません。あなたと私との縁は、簡単に壊れるものではないとは思いますが、いささか複雑な事情を孕んでいるようですから」
私の心配事などすべてお見通しであるかのように、ちづさんは優しく微笑んで見せた。包み込むような安心感。包容力は、単に彼女が大人の女性だからだというだけではない。彼女自身が持つ心の強さ、気品、清らかさから生まれるものに違いない。
こんな素敵な人が自分の前世だなんて、光栄だけど恐れ多いというか。
それを思うとともに、ある事柄が私の脳裏をよぎった。
――ちづさんは、ある妖怪の呪いにかかってその命を落とす。
目の前の美しくも聡明な人が、今から遠くない未来で死んでしまう。その事実は、突如として私の身を引きちぎるような焦燥感として襲いかかってきた。
「ち、ちづさん……っ!」
私は、思わず口を突いて出そうになる言葉を必死に食い止めた。
いけない。これはすでに決まった運命なのだ。その運命を変えてしまったら、彼女の来世である私の身にも大きく関わってくる。
でも。
それでも私はなにかを伝えずにはいられない気持ちになり、抑えていた言葉を次の瞬間吐き出していた。
「どうか、命を大事にしてください……っ」
こんなことを言ったところで、どうにかなるようなものではないのかもしれない。私が彼女を救うことなどできないのかもしれない。それでも。
「どうか幸せに生きて」
この先彼女を待ち受ける過酷な運命が不可避なものであろうとも、そう祈らずにはいられなかった。
「……ありがとう」
そう答えたちづさんの表情は、深い慈愛に満ちていた。
「すみませーん」
昔ながらの藁葺きの日本家屋は、見慣れていないはずなのに、どこか懐かしいような思いを抱かせた。私が家の周りを見て回りながら歩いていると、ふいにどこかから人の声のようなものが聞こえてきた。
はっと息を飲み、耳を澄ませてみると、それは歌声のようだった。
「歌……?」
透き通るような美しい声が、先に見える竹垣の向こうから響いている。竹垣に近づいてそっと中を覗き見ると、そこには不思議な光景があった。
庭先で女性が歌を歌っていた。その優しい歌声に誘われるように、女性の周りには何羽もの小鳥たちが集まって、逃げることもなく彼女を取り囲んでいた。
神秘的で静謐な空間。小鳥たちに囲まれながら歌を口ずさむその女性は、穢れを知らぬ聖女のように見えた。
彼女がちづさんだということは、訊ねずともわかった。
なぜかは自分でも説明できないけれど、ひと目で彼女がその人であることを理解していた。
ふいに歌がやんだ。と同時に、彼女の視線がこちらを捉えた。私は緊張して呼吸を止めたまま、微動だもせずに立ち尽くしていた。
「私に会いにきた方ですね」
彼女は真っ直ぐに私のほうを見ながら、そう話しかけてきた。どきりとしたが、私はこくりとうなずく。
「どうぞ中に入ってください。話を聞きましょう」
すでに私がここに来ることをわかっていたかのような彼女の態度が不思議だったが、とにかく私は彼女の言に従って、庭のほうへと足を踏み入れていった。
バランスよく配置されている低木や花。華美ではないものの、掃除の行き届いた庭は質素でも上品に感じられる。
そんな庭に面した家の縁台に、彼女はいた。
先程まで彼女の周囲にいた小鳥たちは、私が近づくのと同時に、どこかへと飛び立っていった。
美しい人だった。
単なる美人という言葉では言い表せない。顔だけの美しさではなく、内面から滲み出している美しさを体現している人だと思った。私は緊張しながらも、彼女の傍へと近づいていく。
「隣へ」
彼女にうながされ、隣に座る。視線は正面の庭へと移り、次第に鼓動の高鳴りは景色に同調するかのように鎮まっていった。初めて来たはすなのに、不思議とこの場所が懐かしいような気がするのはなぜだろうか。
「美しい庭ですね」
始めに口を突いて出た言葉は、自分でも馬鹿馬鹿しく思うほどに陳腐なものだった。しかし、ちづさんは少しもこちらを嘲るような様子を見せず、真摯に受け答えてくれた。
「なにも特別なものはありませんが、手入れだけは欠かさずしております。己の身なりとともに、住み処も清らかに整えておくと、自然と悪いものは近くに寄りつかなくなりますゆえ」
ちづさんの言葉は、発した傍から癒しの力を周囲の大気に溶け込ませていっているようだった。なぜ先程まで鳥たちが彼女を取り囲んでいたのか、わかったような気がする。
「あの……私……。実はあなたにお願いがあってやってきました」
「はい」
彼女はすでに私が言う言葉を知っていたかのようだった。ふと横を見ると、ちづさんは美しいまなざしで正面を見つめていた。もしかするとそのまなざしは、もっと遙か遠くを見つめているのかもしれない。
「そのお願いというのは、この妖怪にかけられた呪いを解いてもらいたいという……」
言いながら私は自分の周囲に目を走らせる。
「って、え……?」
しかし、先程まで近くにいたと思っていたはずのおきつねさまの姿が、いつの間にか見えなくなっていた。私は少なからず困惑したが、ちづさんはあくまでも落ち着いていた。
「大丈夫。わかっています。その妖怪というのは、空孤のことですね」
「あ、はい……。さっきまで近くにいたんですけど……。って、どうして空孤のことを知っ
ているんですか?」
「かの妖怪は、この時代でも有名です。随分悪さを働いて、私も苦労をさせられました」
三千年も生きている大妖怪である。ここは私の知る令和の時代よりも遙か昔の時代ではあ
るけれど、空孤は存在していたはず。けれども、それは私の知っている空孤とは違う空孤だ。それに、どうしてちづさんは私がこうして頼み事をしにくることを知っていたのだろう。
私の疑念を察したかのように、ちづさんはにこりと微笑んでからこう口にした。
「夢のお告げがあったのです」
「夢のお告げ?」
「ええ。遙か遠い未来よりの旅人が、私に空孤を救うよう頼みにくると」
私は驚きに目を瞠った。
「そんな不思議なことが……。でも、そうだったんですね。だから私みたいなこんな格好の人間をすんなり受け入れてくれた」
やはりとてもすごい霊力を持った巫女である。なにか神懸かった力が彼女に働いたのだろう。
「それに、あなたをひと目見た刹那、わかりました。あなたと私の深い縁を」
縁。
それは、私がちづさんの来世の姿だとわかったということだろうか。
「あの……」
私が声を発しようとすると、ちづさんはそれを制するように片手を挙げた。
「いいんです。深い事情は訊きません。あなたと私との縁は、簡単に壊れるものではないとは思いますが、いささか複雑な事情を孕んでいるようですから」
私の心配事などすべてお見通しであるかのように、ちづさんは優しく微笑んで見せた。包み込むような安心感。包容力は、単に彼女が大人の女性だからだというだけではない。彼女自身が持つ心の強さ、気品、清らかさから生まれるものに違いない。
こんな素敵な人が自分の前世だなんて、光栄だけど恐れ多いというか。
それを思うとともに、ある事柄が私の脳裏をよぎった。
――ちづさんは、ある妖怪の呪いにかかってその命を落とす。
目の前の美しくも聡明な人が、今から遠くない未来で死んでしまう。その事実は、突如として私の身を引きちぎるような焦燥感として襲いかかってきた。
「ち、ちづさん……っ!」
私は、思わず口を突いて出そうになる言葉を必死に食い止めた。
いけない。これはすでに決まった運命なのだ。その運命を変えてしまったら、彼女の来世である私の身にも大きく関わってくる。
でも。
それでも私はなにかを伝えずにはいられない気持ちになり、抑えていた言葉を次の瞬間吐き出していた。
「どうか、命を大事にしてください……っ」
こんなことを言ったところで、どうにかなるようなものではないのかもしれない。私が彼女を救うことなどできないのかもしれない。それでも。
「どうか幸せに生きて」
この先彼女を待ち受ける過酷な運命が不可避なものであろうとも、そう祈らずにはいられなかった。
「……ありがとう」
そう答えたちづさんの表情は、深い慈愛に満ちていた。
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