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第五話 消えたおきつねさまと烏天狗

消えたおきつねさまと烏天狗7

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 その後何人かの現場作業者に訊ねて回ったが、おきつねさまに関する目立った新情報は得られなかった。

「なかなかそう簡単には事は進まないな」

「烏の情報ならどんどん集まるんだけどね」

 烏たちが随分ここの工事現場で妨害を働いているということは、数人の作業者と会話しただけでよくわかった。しかし、肝心のおきつねさまに関する情報は特に得ることはなかった。

「おきつねさまー。どこに行ったんだよー」

 私が思わず空に向けてそう声を飛ばした時だった。
 ガサガサッ、と脇から物音が聞こえた。なにかと思いそちらに視線を向けると、藪が動いており、その間からぴょこりと太い筆先のようなものが一瞬だけ見えた。

「あ!」

 胸が高鳴った。
 見間違い……じゃない。たぶん。いや、絶対。

「乾くん、今そこに……!」

 前を歩く同級生は、くるりとこちらを振り向く。私は高鳴る鼓動を落ち着かせながら、彼の目を見つめた。

「いた。狐……」

 みるみる丸くなっていく乾くんの目の中に、希望のともしびが見えた気がした。





 きつねの尾が見えた場所から近い場所に、以前よりあったらしい山道への入り口があった。それを見つけた私たちは辺りに目を配りながら、山道へと足を踏み入れていった。

「本当におきつねさまだったのか?」

「えっと、おきつねさまかどうかはわからないけど、確かにあれはきつねの尻尾だったと思う」

 特徴的なふっくらした尾っぽは、犬や猫では決してない。前に見た狸のものとも似ているといえば似ているが、直感的にあれは狐のものだと思った。
 そう。おきつねさまの生やしていた狐の尾にそっくりの。

「ただ、それがおきつねさまだったかと言われると、自信を持ってそうだとは言い切れないんだよね」

「それはどうして?」

「色がね。違ったから」

「色?」

「ほら、おきつねさまは白狐でしょ。さっき一瞬見えた尾っぽは黄金色みたいな色だったんだ」

「ああ、そうか」

 けれども、おきつねさまを捜しにやってきた場所で、狐の姿を見かけた。おきつねさまとなんの関係もないと一蹴するには、あきらめきれない程度には状況は好転したと思う。

「でも、ここまできたら納得いくまで調べてみるしかないよね」

 一歩前を歩く乾くんに、明るく声をかける。乾くんは一瞬驚いた表情を見せてから、にこりと笑顔を見せた。
 しばらく山道を進んでいくと、ふと前を歩く乾くんが足を止めた。

「ん? どうしたの? 乾くん」

「ああ、いや……」

 言葉を濁すようにする彼を怪訝に思いつつ、その視線の先を追う。するとそこには、大きな大木が天を衝くように高く伸びていた。

「この木がどうかした?」

「いや、特に大したことではないんだが、なぜかこの木に見覚えがあるような気がして」

「見覚え? 乾くん、以前にここに来たことがあるの?」

「それは……ないはずなんだが」

 乾くんはそう言って、軽く頭を抱えるような仕草をした。私はなんとなく気軽に声をかけてはいけないような気がして、彼から視線を外し、目の前の大木に目をやった。
 樹齢百年は軽く超えていそうな、立派な大木。太い幹と枝。そして鮮やかな緑色の葉が数え切れないほどに揺れている。

 美しい、と感じた。
 自然と。素直な気持ちで。

 そう思ったあとに、先程見た工事現場の映像が脳裏に浮かんだ。木々を切り倒し、自然を根こそぎ壊していく。
 どうしてだか切ない気持ちが沸き起こり、胸がきゅっと痛んだ。

「記憶の断片」

 隣からぽつりと、そんな言葉が降ってきた。

「……なんだと思う」

 まったく違うことを考えていた私は、思いがけない台詞に目を丸くする。

「記憶の断片?」

「ああ。前に話しただろう? 俺の前世のこと」

 そう。乾くんは前世でちづという人物の護衛をしていたらしい。彼のように前世の記憶を持たない私には、ちづという女性が自分の前世だということにいまだぴんとこないのだが。それはそれとして、今の話の流れからいうと、つまりなんらかのきっかけでそのときの記憶が蘇ったということ?

「この木を見たとき、ふいに俺の中で既視感っていうのか、そんな感情が芽生えた。たぶん以前に、俺はこの木の前に立ったことがある」

「この木の前に?」

「ただその前後の記憶ははっきりとしていない。なにか大事な出来事があったような気もするんだが」

 乾くんは大木を見上げながら、遠くを見るように目を眇めた。彼の瞳に映るのは遙か遠い過去の記憶。なんだか急に目の前にいるはずの彼が遠くへ行ってしまったような気がして、私はちょっぴり寂しいような気持ちになった。私も前世で同じ時を過ごしてきたらしいけれど、実感がなければそれは他人事という感覚でしかない。

「とりあえず、この先になにかある気がする。行ってみよう」

 しかし、もう少し森を奥へと進んでいくと、そこは行き止まりになっていた。

「ここで行き止まり、か」

 さすがにこれ以上山に足を踏み入れるのは危険を伴う。どうすべきかと私が思案していると、突然乾くんがあっと声を上げた。

「乾くん?」

 私が彼のほうを振り向いて見ると、彼は俯いてその顔を手で覆っていた。なにか辛そうな様子に、私は心配になる。

「ど、どうしたの? 大丈夫?」

「あ、あああ……」

 覆った手の下から漏れる声が苦しそうに聞こえ、胸がざわりとした。

「乾くん?」

 呼びかけるが、なかなか乾くんは俯けた顔を上げようとはしなかった。代わりに激しく肩を上下させている。

「乾くん? 乾くん!」

 声を張って呼びかけると、ようやく乾くんは私の存在に気がついたようにこちらを見た。

「あ……東雲さん……」

 少しやつれたような表情で乾くんは私の名を呼ぶ。心配で胸が苦しいが、私は辛抱強く彼の次の言葉を待った。

「ごめん。ちょっと……記憶のフラッシュバックが急に来て……」

 段々と落ち着いてきたのか、顔を上げて息を整えている乾くんの表情は先程よりも緩んで見える。緊張から解き放たれたように。

「前世の記憶が戻ったの……?」

「ああ。記憶の一部が、だけどね」

 前世の記憶が蘇る。漫画とか映画とかではよくある設定だけど、実際そんな記憶が突然蘇ったとしたら、きっと私ならパニックになってしまうだろう。
 そんな記憶に日々をかき乱されながら過ごしているのだとしたら。
 今の人生を乱されるほどに、乾くんが前世の記憶に振り回されているのだとしたら。
 背の高い目の前の男の子を見上げながら、私は胸に己の握り拳を当てていた。

「この先に古い祠がある」

「え? 乾くん、ここに来たことがあるの?」

「どうやら前世で、ね」

 先程のフラッシュバックでそのときの記憶を見たということだろう。

「やはりここにはなにかがある。それがおきつねさまの行方と関わりがあるかどうかということまでははっきりとは言えないが、確かめてみる必要はあると思う」

 そう言って、乾くんはさっさと先に歩みを進めた。先程のことなどなにもなかったかのような彼の姿に戸惑いながら、私もそれに遅れないように続く。
 この先に待ち受ける不穏な気配を、つま先に感じながら。
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