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第五話 消えたおきつねさまと烏天狗
消えたおきつねさまと烏天狗2
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私が足を向けたのは、家の近くにある夕陽公園。
日曜日ということもあり、公園内の遊具には何人かの子供たちがそれぞれ遊びに精を出していた。私が向かったのは、そんな遊具のあるエリアではなく、それよりも少し離れた場所にある池のほうだった。庭園風になっている通路を渡り、池の中央辺りに作られた東屋に到着する。東屋の手すりから下を覗き見ると、池には何匹もの鯉が泳いでいた。
そんな鯉の様子をしばらく眺めていると、ふいに低い声が後頭部に響いた。
「東雲さん」
振り向くと、東屋の天井に頭がつきそうな身長の少年が立っていた。
「乾くん」
乾くんを夕陽公園に呼び出したのは、ある相談事があったからである。ひとまず東屋に作りつけられているベンチに、私と乾くんは隣り合う形で腰掛けた。
「ごめんね。こんな日曜日に呼び出しちゃって」
「いや。特になんの予定も入ってなかったから」
作り笑いを顔に貼り付け、話しかけた私に、乾くんはあくまでも生真面目な表情のまま答える。公園のどこかで高く鳥の鳴き声が響く。なんとなくすぐに話を切り出すことができず、しばらく彼との間に沈黙が続いた。ぱしゃりと池で鯉がはねた音がして、ようやく私は次の言葉を発した。
「あのね。実は相談したいことがあって」
彼なら理解してくれるかもしれない。他の誰にも相談できない。だからこそ。
「いなくなっちゃったんだ」
誰が、とは言わなかった。だけど、乾くんはわかってくれた。
「あの空孤という妖怪のことだな」
「うん。一週間前から、突然」
「そっか」
乾くんはそれだけ言うと、微かに上を見上げ、なにか言葉を探すように考え込んだあとこう口にした。
「つまり、東雲さんは、あの妖怪がいなくなったことを心配している。……もしくは寂しいと感じている?」
「寂しい……?」
「あの妖怪と仲がよかったんだよな?」
「え? 仲がいい? 私がおきつねさまと?」
「だって、いつも一緒だったじゃないか」
そう……か。そうだった。最初は妖怪と一緒に過ごすことに、強い抵抗を感じていた。けれど、そんなことも考える暇もないくらいいろいろあって、おきつねさまにはなんだかんだでいつも助けられてきた。そのうち彼の存在に抵抗も感じなくなって、妖怪と一緒にいるというのに、ある意味安心感すら感じるようになっていた。
「……うん。なんか、自分でもわからないけど、急に彼にいなくなられてどうしたらわからなくて、それで、私と同じように妖怪を見ることのできる乾くんなら相談に乗ってくれるんじゃないかって、思って……」
「それで、どうしたらいいかっていうのを俺に訊こうと?」
「えっと、どうしたらいいかっていうか……うん、そうだね。私はいったいどうしたらいいんだろう……?」
自分で自分がどうしたいのかがわからなかった。ただ、誰かになにかを言って欲しかった。突然なにも言わずに姿を消してしまった、自分とは違う妖怪という存在。彼のことを、どう言葉にすればいいのかすら、よくわからない。
でも。
「東雲さんにとって、あの空孤という妖怪は、大事な存在なんだね」
太陽の光が池に反射して煌めいていた。乾くんの言葉が、思いがけず私の胸に突き刺さった。
「大事な……? 私が妖怪を……?」
「まあ、どれほどの大事さなのかは俺にはわからないけど」
少しだけ、乾くんの声のトーンが落ちた気がした。
確かに、言われてみれば私の中でおきつねさまの存在はとても大きなものになっていた。それが突然失われて、心細く感じていたのは事実だ。
「そっか。私、いつの間にかおきつねさまのお陰で妖怪に対する抵抗感が薄れてたばかりか、もう家族に近いような存在に感じるようになっていたのかも」
そうだ。私にとって、おきつねさまはすでに家族か友達のような存在で。
だから、突然いなくなってしまったことで、寂しさや心配な気持ちが胸に沸き起こった。
「今までの私だったら、迷惑なだけの妖怪のことで、こんな気持ちになるなんて考えられなかった。でも、今は違う。妖怪だからとか、人間だからとか、もう関係ない。おきつねさまは私にとって、もう他人じゃない。大切な存在なんだ。だからこんなふうに突然消えてさよならすることになるなんて、納得がいかない」
私は顔を横に向け、隣の少年の黒い瞳を見つめた。
「乾くん。私、おきつねさまが今どこにいるのか知りたい。そして、もう一度会いたい」
それに対し、乾くんは少しの間遠くを見つめたあと、ゆっくりとうなずいたのだった。
日曜日ということもあり、公園内の遊具には何人かの子供たちがそれぞれ遊びに精を出していた。私が向かったのは、そんな遊具のあるエリアではなく、それよりも少し離れた場所にある池のほうだった。庭園風になっている通路を渡り、池の中央辺りに作られた東屋に到着する。東屋の手すりから下を覗き見ると、池には何匹もの鯉が泳いでいた。
そんな鯉の様子をしばらく眺めていると、ふいに低い声が後頭部に響いた。
「東雲さん」
振り向くと、東屋の天井に頭がつきそうな身長の少年が立っていた。
「乾くん」
乾くんを夕陽公園に呼び出したのは、ある相談事があったからである。ひとまず東屋に作りつけられているベンチに、私と乾くんは隣り合う形で腰掛けた。
「ごめんね。こんな日曜日に呼び出しちゃって」
「いや。特になんの予定も入ってなかったから」
作り笑いを顔に貼り付け、話しかけた私に、乾くんはあくまでも生真面目な表情のまま答える。公園のどこかで高く鳥の鳴き声が響く。なんとなくすぐに話を切り出すことができず、しばらく彼との間に沈黙が続いた。ぱしゃりと池で鯉がはねた音がして、ようやく私は次の言葉を発した。
「あのね。実は相談したいことがあって」
彼なら理解してくれるかもしれない。他の誰にも相談できない。だからこそ。
「いなくなっちゃったんだ」
誰が、とは言わなかった。だけど、乾くんはわかってくれた。
「あの空孤という妖怪のことだな」
「うん。一週間前から、突然」
「そっか」
乾くんはそれだけ言うと、微かに上を見上げ、なにか言葉を探すように考え込んだあとこう口にした。
「つまり、東雲さんは、あの妖怪がいなくなったことを心配している。……もしくは寂しいと感じている?」
「寂しい……?」
「あの妖怪と仲がよかったんだよな?」
「え? 仲がいい? 私がおきつねさまと?」
「だって、いつも一緒だったじゃないか」
そう……か。そうだった。最初は妖怪と一緒に過ごすことに、強い抵抗を感じていた。けれど、そんなことも考える暇もないくらいいろいろあって、おきつねさまにはなんだかんだでいつも助けられてきた。そのうち彼の存在に抵抗も感じなくなって、妖怪と一緒にいるというのに、ある意味安心感すら感じるようになっていた。
「……うん。なんか、自分でもわからないけど、急に彼にいなくなられてどうしたらわからなくて、それで、私と同じように妖怪を見ることのできる乾くんなら相談に乗ってくれるんじゃないかって、思って……」
「それで、どうしたらいいかっていうのを俺に訊こうと?」
「えっと、どうしたらいいかっていうか……うん、そうだね。私はいったいどうしたらいいんだろう……?」
自分で自分がどうしたいのかがわからなかった。ただ、誰かになにかを言って欲しかった。突然なにも言わずに姿を消してしまった、自分とは違う妖怪という存在。彼のことを、どう言葉にすればいいのかすら、よくわからない。
でも。
「東雲さんにとって、あの空孤という妖怪は、大事な存在なんだね」
太陽の光が池に反射して煌めいていた。乾くんの言葉が、思いがけず私の胸に突き刺さった。
「大事な……? 私が妖怪を……?」
「まあ、どれほどの大事さなのかは俺にはわからないけど」
少しだけ、乾くんの声のトーンが落ちた気がした。
確かに、言われてみれば私の中でおきつねさまの存在はとても大きなものになっていた。それが突然失われて、心細く感じていたのは事実だ。
「そっか。私、いつの間にかおきつねさまのお陰で妖怪に対する抵抗感が薄れてたばかりか、もう家族に近いような存在に感じるようになっていたのかも」
そうだ。私にとって、おきつねさまはすでに家族か友達のような存在で。
だから、突然いなくなってしまったことで、寂しさや心配な気持ちが胸に沸き起こった。
「今までの私だったら、迷惑なだけの妖怪のことで、こんな気持ちになるなんて考えられなかった。でも、今は違う。妖怪だからとか、人間だからとか、もう関係ない。おきつねさまは私にとって、もう他人じゃない。大切な存在なんだ。だからこんなふうに突然消えてさよならすることになるなんて、納得がいかない」
私は顔を横に向け、隣の少年の黒い瞳を見つめた。
「乾くん。私、おきつねさまが今どこにいるのか知りたい。そして、もう一度会いたい」
それに対し、乾くんは少しの間遠くを見つめたあと、ゆっくりとうなずいたのだった。
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