44 / 53
第八章 夜の学校
夜の学校5
しおりを挟む
白いワンピース姿の彼女がそこにいた。美しく髪を揺らし、月の光を反射させている。
彼女がここにいるのは偶然なんかではありえない。加奈子ちゃんの言うことを信じるならば、呼び出したのは百合子ちゃんということになるのではないか。
もしそうなら、人形を操って加奈子ちゃんを襲わせたのは彼女という可能性が高い。
いや。違う。まだ彼女がそんなことをしたと決まったわけじゃない。
百合子ちゃん本人から話を聞かなくては。
僕は百合子ちゃんに近付いた。近くに寄ると、月明かりで彼女の姿が青白く光って見えた。長い黒髪は光沢を放ち、白い肌は透明度が増していた。その姿は美しく清らかだった。
彼女の数歩手前で足が止まった。なぜかそれ以上近付いてはいけないような気がした。
「百合子ちゃん。どうしてきみは……」
そこまで言いかけたところで、息が止まった。
百合子ちゃんの右肩のところに目が光っていた。人形の目が、こちらを見ていた。
「彼女なの! 彼女が私をここへ呼び出したのよ!」
後ろから加奈子ちゃんが叫んでいた。僕は振り向くことができなかった。体が金縛りにあったように動かない。
そんな。
嘘だ。
やっぱりきみなのか?
きみが人形を操っていた犯人なのか?
百合子ちゃん。
ひやり、と首筋に冷たい感触がした。途端に脊髄に氷水を流し込まれたような、耐え難い悪寒に襲われた。
夜とはいえ、蒸すような暑さだったはずだ。先程までは。
しかし、今は震えが止まらない。寒さで凍え死にそうだ。
首筋にあった冷たい感触は、少しずつ移動して、僕の耳たぶを擦り抜け、頬まで移動した。そしてそれは徐々に僕の顔を這い上ってきた。視界に入ったそれは、黒ずんで斑になっていた。
手だ。人の手。
しかしそれは、生きている人間の手では有り得なかった。黒ずんだ手は血管が浮き出、爪もぼろぼろだった。急に、鼻を突く腐臭が漂ってきた。腐臭を発しているのは間違いなく僕の頬に這い上っている手。死人の手。
心臓が鷲づかみされたような恐怖を感じた。殺される。このままではこの手の持ち主に持って行かれる。
嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ!
死にたくない!
そのとき、視線を感じた。正面にいる百合子ちゃんではない。もっと近く。強烈な悪意に満ちた視線。
心臓が早鐘を打ち、冷や汗が吹き出る。
ぞろり。
まただ。またあの音が聞こえる。
ぞろり。
近い。もうそれは、僕の頭に息を吹きかけている。
死の匂いが僕の体を内側から蝕んでいる。
いけない。これ以上蝕まれたら。
頭の中で警鐘がやかましく鳴り続けている。
ぞろり。
死へのカウントダウンが始まっている。
どうしたらいい?
僕は、どうしたら。
僕は目を固く閉じ、祈るように拳を握り締めた。
そして、その光明は僕に道を指し示してくれた。
そうだ。
負けたら駄目だ。
死に飲み込まれたら、負けだ。
連れて行かれてなるものか。挫けたら終わりだ。
しっかりしろしっかりしろしっかりしろ!
右腕に力を入れる。渾身の力を振り絞り、腕を持ち上げる。少しだけ動いた。
大丈夫だ。
僕は死んだりなんかしない。
ミナミが言ったんだ。
私が死なせたりなんかしないって。
そして、急に今朝見た夢のことを思い出した。
小学生のミナミが僕に訴えかけていた。
僕に向かって必死に。
その口の形を思い出す。
そうか。あれはこう言っていたんだ。
僕はその言葉をゆっくりと口にした。
ま、け、る、な。
僕はゆっくりと右腕を持ち上げた。そして、僕の頭のすぐ後ろにいるそいつに向けて、
突き上げた。
『ィギギヤァアアアアアァアアアアアァアアアアアアアアアアアアア―――――ッッッ!』
この世のものとは思えない叫び声がした。手に灼けるような熱さを感じていたが、僕は歯を食い縛って耐えた。
死なない死なない死なない!
「僕は死んだりなんかしない! お前なんかに殺されたりなんかしないんだっっっ!」
体中のすべての力で叫んだ。僕は知っている。こんなところで僕が死んだりなんかしないことを。
なぜなら僕のこの右手には、最強の武器があるのだから。
そう、ミナミのくれた御守りが。
※ ※ ※
叔母が死んだ。叔父が死んだ。千夏が死んだ。
あの腐った家が燃えてなくなった。
キヒヒヒ!
ざまみろ!
死ね死ね死ねシネシネシネ!
由美がやった! やってくれた!
ウフフフ。
これで邪魔者はいなくナった!
もう私は苦シマなくて済むンダ!
コレカラハスベテワタシノオモイドオリ!
アハハハ!
サイコー! ウヘヒャハハハ(以下判読不能)
(少女の日記29ページより)
彼女がここにいるのは偶然なんかではありえない。加奈子ちゃんの言うことを信じるならば、呼び出したのは百合子ちゃんということになるのではないか。
もしそうなら、人形を操って加奈子ちゃんを襲わせたのは彼女という可能性が高い。
いや。違う。まだ彼女がそんなことをしたと決まったわけじゃない。
百合子ちゃん本人から話を聞かなくては。
僕は百合子ちゃんに近付いた。近くに寄ると、月明かりで彼女の姿が青白く光って見えた。長い黒髪は光沢を放ち、白い肌は透明度が増していた。その姿は美しく清らかだった。
彼女の数歩手前で足が止まった。なぜかそれ以上近付いてはいけないような気がした。
「百合子ちゃん。どうしてきみは……」
そこまで言いかけたところで、息が止まった。
百合子ちゃんの右肩のところに目が光っていた。人形の目が、こちらを見ていた。
「彼女なの! 彼女が私をここへ呼び出したのよ!」
後ろから加奈子ちゃんが叫んでいた。僕は振り向くことができなかった。体が金縛りにあったように動かない。
そんな。
嘘だ。
やっぱりきみなのか?
きみが人形を操っていた犯人なのか?
百合子ちゃん。
ひやり、と首筋に冷たい感触がした。途端に脊髄に氷水を流し込まれたような、耐え難い悪寒に襲われた。
夜とはいえ、蒸すような暑さだったはずだ。先程までは。
しかし、今は震えが止まらない。寒さで凍え死にそうだ。
首筋にあった冷たい感触は、少しずつ移動して、僕の耳たぶを擦り抜け、頬まで移動した。そしてそれは徐々に僕の顔を這い上ってきた。視界に入ったそれは、黒ずんで斑になっていた。
手だ。人の手。
しかしそれは、生きている人間の手では有り得なかった。黒ずんだ手は血管が浮き出、爪もぼろぼろだった。急に、鼻を突く腐臭が漂ってきた。腐臭を発しているのは間違いなく僕の頬に這い上っている手。死人の手。
心臓が鷲づかみされたような恐怖を感じた。殺される。このままではこの手の持ち主に持って行かれる。
嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ!
死にたくない!
そのとき、視線を感じた。正面にいる百合子ちゃんではない。もっと近く。強烈な悪意に満ちた視線。
心臓が早鐘を打ち、冷や汗が吹き出る。
ぞろり。
まただ。またあの音が聞こえる。
ぞろり。
近い。もうそれは、僕の頭に息を吹きかけている。
死の匂いが僕の体を内側から蝕んでいる。
いけない。これ以上蝕まれたら。
頭の中で警鐘がやかましく鳴り続けている。
ぞろり。
死へのカウントダウンが始まっている。
どうしたらいい?
僕は、どうしたら。
僕は目を固く閉じ、祈るように拳を握り締めた。
そして、その光明は僕に道を指し示してくれた。
そうだ。
負けたら駄目だ。
死に飲み込まれたら、負けだ。
連れて行かれてなるものか。挫けたら終わりだ。
しっかりしろしっかりしろしっかりしろ!
右腕に力を入れる。渾身の力を振り絞り、腕を持ち上げる。少しだけ動いた。
大丈夫だ。
僕は死んだりなんかしない。
ミナミが言ったんだ。
私が死なせたりなんかしないって。
そして、急に今朝見た夢のことを思い出した。
小学生のミナミが僕に訴えかけていた。
僕に向かって必死に。
その口の形を思い出す。
そうか。あれはこう言っていたんだ。
僕はその言葉をゆっくりと口にした。
ま、け、る、な。
僕はゆっくりと右腕を持ち上げた。そして、僕の頭のすぐ後ろにいるそいつに向けて、
突き上げた。
『ィギギヤァアアアアアァアアアアアァアアアアアアアアアアアアア―――――ッッッ!』
この世のものとは思えない叫び声がした。手に灼けるような熱さを感じていたが、僕は歯を食い縛って耐えた。
死なない死なない死なない!
「僕は死んだりなんかしない! お前なんかに殺されたりなんかしないんだっっっ!」
体中のすべての力で叫んだ。僕は知っている。こんなところで僕が死んだりなんかしないことを。
なぜなら僕のこの右手には、最強の武器があるのだから。
そう、ミナミのくれた御守りが。
※ ※ ※
叔母が死んだ。叔父が死んだ。千夏が死んだ。
あの腐った家が燃えてなくなった。
キヒヒヒ!
ざまみろ!
死ね死ね死ねシネシネシネ!
由美がやった! やってくれた!
ウフフフ。
これで邪魔者はいなくナった!
もう私は苦シマなくて済むンダ!
コレカラハスベテワタシノオモイドオリ!
アハハハ!
サイコー! ウヘヒャハハハ(以下判読不能)
(少女の日記29ページより)
0
お気に入りに追加
42
あなたにおすすめの小説
醜い屍達の上より
始動甘言
ホラー
男は教祖だった。彼は惨めな最期を遂げる。
それまでに彼が起こした軌跡を描く。酷く、醜い一人の男の軌跡。
彼が敷くのは崩壊への序曲か、それとも新しい世界への幕開けか。
これまで書いた5作の裏を書く、胸焼けするような物語。
とある闇医者の冒涜
始動甘言
ホラー
闇医者、毬月故由の元に一つの死体が運び込まれる。
その死体は腹を大きく膨らませた死体だった。
甥の頼瀬仁太と共にその死体の謎に迫る。
そこにはとある組織の影があった・・・・
よろず怪談御伽草子
十ノ葉
ホラー
七歳になったばかりの恵介は、ある日母親と大喧嘩して家を飛び出してしまう。
行く当てもなく途方に暮れた恵介は近所の古びた神社へ身を寄せた。
今日はここに泊まらせてもらおう・・・。
人気のない神社に心細さと不安を覚えるものの、絶対に家に帰るものかと意地になる彼の前に、何とも風変わりな人が現れて―――――!?
――――ポク。ポク。ポク。ポク。ポク。ポク。ポク。ポク。ポク。ポク。ポク。ポク。ポク。ポク。
神崎
ホラー
―――――――ポク。ポク。ポク。ポク。ポク。ポク。ポク。ポク。ポク。ポク。ポク。ポク。ポク。ポク。ポク。ポク。ポク。ポク。ポク。ポク。ポク。ポク。ポク。ポク。ポク。ポク。ポク。ポク。ポク。ポク。ポク。ポク。ポク。ポク。ポク。ポク。ポク。ポク。ポク。ポク。ポク。ポク。ポク。ポク。ポク。ポク。ポク。ポク。ポク。ポク。ポク。ポク。ポク。ポク。ポク。ポク。ポク。ポク。ポク。ポク。ポク。ポク。ポク。ポク。ポク。ポク。ポク。ポク。ポク。ポク。ポク。ポク。ポク。ポク。ポク。ポク。―――ズリ。ズリ。ズリ。ズリ。ズリ。ズリ。ズリ。ズリ。ズリ。ズリ。ズリ。ズリ。ズリ。ズリ。ズリ。ズリ。ズリ。ズリ。ズリ。ズリ。ズリ。ズリ。ズリ。ズリ。ズリ。ズリ。ズリ。ズリ。ズリ。ズリ。ズリ。ズリ。ズリ。ズリ。ズリ。ズリ。ズリ。ズリ。ズリ。ズリ。ズリ。ズリ。ズリ。ズリ。ズリ。ズリ。ズリ。ズリ。ズリ。ズリ。ズリ。ズリ。ズリ。ズリ。ズリ。ズリ。ズリ。ズリ。ズリ。ズリ。ズリ。ズリ。ズリ。ズリ。――――ザラ。ザラ。ザラ。ザラ。ザラ。ザラ。ザラ。ザラ。ザラ。ザラ。ザラ。ザラ。ザラ。ザラ。ザラ。ザラ。ザラ。ザラ。ザラ。ザラ。ザラ。ザラ。ザラ。ザラ。ザラ。ザラ。ザラ。ザラ。ザラ。ザラ。ザラ。ザラ。ザラ。ザラ。ザラ。ザラ。ザラ。ザラ。ザラ。ザラ。ザラ。ザラ。ザラ。ザラ。ザラ。ザラ。ザラ。ザラ。ザラ。ザラ。ザラ。ザラ。ザラ。ザラ。ザラ。ザラ。ザラ。ザラ。ザラ。ザラ。
投稿:カクヨム、アルファポリス、ノベルアップ、なろう
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる