想い月々

希家由見子

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噴水のある広場で午後二時に

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 駅に設置された階段を駆け足で下り、駅前の広場へ向かう。駅ビルの自動ドアを潜ると、熱い空気が全身に襲いかかった。
「あっつー! まずいな、また不機嫌になってそうだ」
 俺は腕時計で素早く時間を確認すると、待ち合わせ場所へと走った。
 午後二時過ぎの駅前広場は、平日なのと厳しい暑さのせいか人通りは疎らだった。それでも、待ち合わせ場所の噴水がある一角には、僅かな涼を求めて四、五人の男女が集まっている。立って扇子をはためかせながら電話をする人や、噴水近くに設置された石造りのベンチに腰掛けてスマートフォンを操作している人など。思い思いの時間を過ごしているようだった。
「あ、いた」
 ベンチの右隅に、待ち合わせていた相手・佐伯優斗さえきゆうとがいた。炎天下なのに涼しい顔で文庫本を読んでいる。案外、怒っていないかも。そんな思いがフッと頭を過った。
「優斗!」
 俺が声を掛けると、優斗は文庫本に向けていた目線を俺に投げかける。途端、切れ長で一重の目が、俺に文句を言っているような鋭い視線に変わった。
「悪い、遅れちまった」
 俺は胸の前で両手を合わせ、謝罪を表現した。それを見た優斗は、パタンと音を立てて文庫本を閉じると、持っていた黒いショルダーバッグにしまった。終始無言で。あぁ、怒っている。瞬時に優斗の感情を読み取れるのは、長年一緒にいた幼馴染のなせる業だろうか。
「あぁ、三分遅刻だぞ、和成かずなり
 優斗はそう言いながら立ち上がる。身長一八五センチのスラッとしたモデル体型は相変わらず。白いインナーに淡い水色の半袖シャツ、黒いパンツとラフな格好だが、顔立ちが端正だったから、自然と女性達の注目の的になってしまう。
「相変わらずだな」
「何が?」
「見た目もそうだが厳しいところとかも、な。それじゃあ場所を移そうぜ。こんなに暑くちゃ茹で上がっちまう」
「あぁ」
 行き交う女性達の目線が集まり始めたのを感じ、俺は優斗を連れ、急いで噴水近くのベンチから離れた。



 駅前の交差点を渡り、駅から徒歩二分ほどのカフェに入る。入った瞬間、心地よい冷気が火照った肌に降り注いだ。
「いらっしゃいませ! 空いているお席へどうぞ!」
 店内に俺達以外の客はいなかったから、一番奥にある四人掛けのテーブルスペースに座ることにした。オルゴールの音にアレンジされたアニメ映画の音楽が、店内を優しく包んでいる。ほっと一息ついたのと同時に汗が額から流れ始める。急いでハンカチを取り出したのと同時に声をかけられた。
「ご注文がお決まりになりましたら、お呼びください」
 ウェイトレスさんが水の入ったグラスとおしぼりを持って、俺達の座る席にやって来た。
「あ、早速注文いいですか?」
「はい!」
「えっと、オリジナルアイスコーヒーを二つと、プレーンワッフルを二つ。以上で」
「はい、かしこまりました! 少々お待ちください」
 ウェイトレスさんが席を離れる。同時に、俺は運ばれて来た水を二口飲んだ。
「人の意見を聞かずに注文するのは相変わらずだな」
「あ、悪い。でも、あれで良かっただろ?」
「まぁ、異論はないよ」
「だろ」
 俺はニッと笑ってみせる。そんな俺の顔を見て、優斗は今日初めて微笑みを浮かべた。
 優斗と俺は、家が近かったこともあって保育園の頃から仲良しだった。それからほぼ同時に、卒園直前から二人でピアノを習いだしたこともあって、ライバル関係が自然にできあがっていった。それから月日が経ち、優斗は世界中を飛び回るプロのピアニストに、俺は医療機関に音楽療法用の音楽を作成する会社を立ち上げ、社長になった。進む道は違ってしまったけれど、ライバル関係だった子供時代よりお互いを尊重できるようになったから、いい友人関係を築けて今日まで続いている。
「それにしても久しぶりだよな。最後に会ったのが……」
「二年前の冬、だな」
「そうそう! 大雪が降った日で、会うのはやめようかって話になったんだけど、お前が頑なに予定を強行したんだよな。んで、予約してた居酒屋の入口が雪で埋もれてて。二人で雪かきを手伝ったんだっけ」
「そうだったな。なんで客が雪かきをするのかと、文句の一つも言いたかったけれど」
「結局その後、熱燗をご馳走になったから良しとしたんだよな」
「あぁ。雪かき後の熱燗は最高だったけれど、もうあんな経験はしたくないね」
「予定を強行したのが、まずかった気もするけどな」
「……反省しているよ」
 優斗が水の入ったグラスに手を伸ばす。しかし口はつけずにグラスを回し、氷と水を混ぜただけだった。カラカラと軽い音が店内に響く。困ったときに手で何かを触るのは、優斗の癖の一つだった。
「調子は、どうなんだ?」
 優斗がグラスから手を離し、手に着いた水滴をおしぼりで拭った。
「悪くないよ。来月から始まるコンサートツアーの打ち合わせも進んでいるし」
「来月からツアーなのか? 大変な時に呼んじまったなぁ」
「気にしなくていい。今日一日は休みにすると、以前から宣言していたからね」
「全国を回るんだろ?」
「うん。と言っても、北海道、東京、愛知、大阪、福岡の五ヵ所だけだよ」
「それでも凄いぜ。すっかり有名人だな」
「そんなことはないよ。チケットだって、まだ完売していないんだから」
「俺もまた協力しようか? チケットの斡旋」
「ありがたいけど遠慮しておくよ」
「どうして?」
「今回は、自分の知名度でどれだけチケットが売れるかの確認でもあるんだ。外国では有名でも、日本ではまだまだ僕の知名度は低いってマネージャーから言われて。そんなはずないって反論もしたけれど、それならチケットの販売数を見てみようって話しになってね」
「結構、厳しいマネージャーさんだな。世界的な有名人にそこまで言える人なんて、探してもなかなかいないぜ」
「厳しいけれど、それだけ僕の心配もしてくれているから、信頼はしているよ。仕事の手配や時間の配分とかも、僕の調子を見て判断してくれるからね」
「そっか。お前が任せられるって言うなら、俺も安心だよ」
 俺は再び水を二口飲んだ。
「それより、和成の方はどうなんだ?」
「俺か? まぁ、ぼちぼちだな」
 俺のグラスの氷が、カランと音を立て僅かに崩れた。
「ぼちぼちって……。芳しくないのか?」
「まぁ、厳しいことは厳しいんだ」
 グラスに入った氷に目線を落とす。
「音楽療法用の音楽を作るって会社は、全国的に見てもほとんど無いからさ。いざ医療機関に営業をかけても、門前払いされることが多いんだ。需要はあると思うんだが、まだ『音楽療法は気休めだ』って考えの所が多くてさ。療法用の音楽を作る前に、音楽療法の効果を実証するプレゼン資料を作る方に、たくさんの時間を割いているのが現状だよ」
 優斗に話しながら、自分の言葉を反芻(はんすう)した。
 音楽で誰かの役に立ちたい。中学三年生になった頃、俺の中で自然に湧いてきた意志だった。ピアノを習うほど音楽が好きだったこと、そして両親が医療関係の職に就いていたことが大きな理由だったと思う。
 当時は音楽療法という言葉が出始めたくらいだったから、本格的にその道に進もうと思ったのは高校二年生の頃だった。おそらく、まだ誰も歩んだことのない道。苦労するのは誰の目にも明らかだった。猛烈に反対されるのを覚悟で両親に話したら、風が暖簾を潜るように「やってみなさい」と、すんなり許しをもらってしまった。あまりにもあっけなかったから、俺の方が気後れしたぐらいだ。でも俺を信じて許してくれた点は、今でも両親に感謝している。大学は音楽療法も科目に入っている所を選び、卒業すると同時に会社を立ち上げた。俺の考えと志に共感してくれた二人の同級生と一緒に。
「和成は、後悔しているのか? その道に進んだこと」
 優斗がグラスを回しながら俺に問いかける。小さくなった氷がサラサラと軽い音を立てた。
「俺は……」
 頭の中で様々な思いが和音を作る。医療機関への営業が上手くいかない時や、納得できる音楽がなかなかできない時の不協和音が最初に響く。けれどそれを打ち消すように、誰かの役に立つ音楽を作りたい、音楽で誰かを助けたいという、ハ長調の主要三和音が強く響いた。
「後悔、していないよ。今は大変なこともあるけど、それもまとめて俺が選んだ道だから」
 グラスを両手でギュッと包み込む。
「夢ってさ、和音みたいだよな。一人じゃ響く音が限られていても、同じ夢を持つ人が集まれば、それは綺麗な音色になる。俺も、もう一人じゃない。一緒に起業した同級生や、会社の理念に共感して投資してくれた協力者もいる。同じ所を目指す仲間がいるから、これからも頑張っていける。そんな気がするよ」
 優斗がグラスを回す手を止めた。
「そうか、和成らしいね。僕にも手伝えることがあったら言ってね」
「あぁ、そう言ってもらうと助かるよ」
 二人で笑顔になった直後「お待たせいたしました!」と、ウェイトレスさんがアイスコーヒーとワッフルを運んできた。氷が五・六個入ったアイスコーヒーからは鼻をくすぐる香ばしい匂いがする。そして焼きたてのワッフルには、ほんのり溶けたバニラアイスが乗っている。こちらからは甘い香りが食欲をそそった。
「……美味しそうだね」
「だろ? 絶対好きだと思うぜ」
「いただきます」
 ワッフルをナイフで小さく切り、バニラアイスを添えて二人同時に口に運ぶ。しつこくない甘さの饗宴が口の中で催された。優斗は結局、食べ終わるまで一言も発しなかった。これは優斗にとって最大級の「美味しい」という感想表現でもある。やっぱりここに連れて来て正解だった。俺も優斗に負けないように、ワッフルを美味しく平らげる。
「ごちそうさま」
「満足したか?」
「うん」
「相変わらず、甘いものが好きなんだな」
「まぁね」
「ここも地元の新聞で紹介されている店なんだぜ」
「そうなんだ。どおりで美味しいわけだね」
 冷たいアイスコーヒーに口をつける。口の中に残っていた甘さを、ほろ苦い液体がリセットしてくれた。
「あ、新聞で思い出した。お前、一週間くらい前にコンクールの審査員、してなかったか?」
「一週間前……。あ、していたよ。小学生のコンクールだったかな」
「やっぱり。新聞に載っていたんだよ、写真付きで。とってあるけど、いるか?」
 俺の問いに、優斗は一瞬考えた後、困ったように首を横に振った。
「……いや、遠慮しておくよ。写真写りは悪い方だからね」
「そっか。あの記事見てさ、俺達が初めて出たコンクールを思い出してな」
「初めて……。あぁ、小学六年生の時の」
「そうそう。最初に俺、次がお前でさ。大喝采を浴びたよな。懐かしいー」
「そうだったね」
「あまりにも盛り上がったから、俺達の後に発表した女の子、演奏しづらかっただろうなぁって。ほら、なかなかステージに上がらなかっただろ? 今でも申し訳ない気持ちになるよ」
「人は人だろ。そんなに気にする必要はないさ」
「まぁ、そうだろうけど」
 そこまで喋ると、俺は残ったコーヒーを一気に飲み干した。
「店、出ようか?」
「あぁ、そうしよう。割り勘でいいか?」
「そうじゃないと後味が悪いよ」
「確かに。それじゃあ、先にまとめて払うな」
 俺は会計用紙を持ってレジに向かった。



 午後三時を回っていたが、外は相変わらず灼熱の太陽が支配している。店先に打ち水をしている場所もあったが、「焼け石に水」ということわざが見事に当てはまっているようだった。ビルや看板の影など、歩行者は意識的に日陰を選んで歩いている。
「そういや、この後はどうしようか?」
「僕はまだ、時間あるよ」
「また駅前まで戻るのもなぁ」
 迷っている俺の目に、一軒の店が映った。
「……なぁ優斗。このまま飲みに行かないか?」
「いいけど、今からやっている店なんてあるの?」
「あるんだな、それが。目の前の、ほら、あの店」
 優斗の目線を、道を挟んだ向かいに促す。
「あの店?」
「あぁ。お前、ああいう店好きだろ?」
 向かいにあったのは看板に「築地直送!」と大きな筆文字で書かれた店だった。風向きの関係なのか、魚の湿った匂いがこちらまで届いている。見ている最中にも、お客が続々と店内に吸い込まれていった。
「……確かに。ガヤガヤしていて、いいね。早速行こうか」
「おう!」
 俺達は連れ立って横断歩道へと歩き始めた。
 夢や目標は違うが、こうして今でも一緒に飲みに行ける。悩みも喜びも素直に共有できる。そんな親友に感謝をしつつ、俺は何を注文しようかと頭を巡らした。
「やっぱりハイボールだな。キンキンに冷えた」
「いつも一緒だな、頼むの」
 二人で笑いながら横断歩道を渡り、魚の匂いが漂う店に向かった。



八月二十一日 噴水の日
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