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変化

月夜の散歩

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 始終和やかな晩餐会が終わり、私は微笑みながら立ち去った侯爵夫人の後ろ姿をホッとしながら見送った。引きこもりがちと言う話だったので、どんなに難しい方かと思っていたが、印象としては優しくて押し付けがましい所など一切ない様だった。

 それは強面のダミアンとはまるで違っていたけれど、ダミアンも実際素顔は繊細な一面を持っている。あえて他人に見せないだけだ。この方向性の違う似た者同士の親子は、終始上部だけの身内とは程遠い会話に甘んじていた。


 「今夜は母上も体調は良いみたいだ。」

 そう言ってグラスを傾けるダミアンに、私は微笑んで頷いた。時間があれば侯爵夫人と直接話をしてみたいと思った。そうは言っても婚約者である私が、図々しくも侯爵家のお家事情に乗り込むわけにもいかないと分別は弁えていた。

 私はダミアンの気を引き立てようと、昼間馬車から見かけた景色を思い出しながら言った。

「私、大人しい乗馬であちこちを見て回りたいですわ。美しい景色でしたもの。」

 するとダミアンは面白そうに笑いを堪えて呟いた。


 「自分で自覚があるなら大丈夫かな。乗馬の腕は私も認める所だが、無茶するのは君の良い面でもあり、悪い面でもあるからね。…それに母上は君が馬に乗ってたら心配するかもしれない。いや、母上もそろそろ現実を見た方が良いのかもしれない。」

 最後は自問自答に変わったダミアンは、やはり侯爵夫人の事を気にしているのだと感じた。私は立ち上がるとダミアンの手を取って誘いをかけた。

「少し外の空気を吸いましょう。今夜は美しい月明かりですもの。」


 秋を感じる最近は、満月も殊更美しい。実りの秋なので、侯爵家の領地経営も忙しい頃合いで、きっと明日は家令もダミアンを見逃してはくれないだろう。

「こんなにゆったりとした気分で、月夜の散歩など久しぶりだ。若い頃は胸にモヤモヤが溜まると、こうして夜の庭園をほっつき歩いたものさ。この侯爵家に澱む陰鬱とした空気を振り払うためにね。

 少なくとも月明かりの下では、私は照らされた道をただ歩けば良かった。多くは闇の中に沈んでいたから気にしなくて済んだんだ。」


 私は当時少年だったダミアンが葛藤を感じながらも、自分の中で上手く折り合いをつけていたのだと知って、思わず微笑んだ。

「さすがね。誰しも乗り越えなければならない事はあるけれど、自分なりに上手く工夫しようと思えるのは、その時点でもう前を向いて歩き出している証拠だわ。

 ダミアンは強い意志があったのだし、同時にそうあろうと頑張ったのよね?ご両親に頼れなかったのですもの、まだほんの少年だった事を考えれば、驚くべき事だわ。

 …私は、まだ9歳の弟の不安そうな顔を見て、歩き出さなくちゃと自分を奮い立たせたけれど、一人になればどうして良いか分からず泣いていたわ。泣いてもどうにかなる訳じゃないのに。」


 するとダミアンは立ち止まって私を見下ろした。

「クレアは泣いたかもしれないけれど、自分でできる事はしていただろう。そうしないクレアを想像する方が難しいよ。…君の弟のアンソニーは以前婚約の取り決めに挨拶に行った際、私を随分敵視したんだ。」

 私は初めて聞く話に目を見開いた。

「アンソニーは君の事が大事なんだ。君がかつて苦難の時に、家やアンソニーのために心を配った事を子供心にちゃんと分かっているんだよ。だから私が姉を幸せにする男なのか、随分色々と質問を受けたよ。まるで尋問の様にね。

 私も勿論真摯に答えさせて貰った。君の身内を敵に回したくないからね。」


 私は弟の愛を感じて思わず感情を高ぶらせてしまった。頬を伝う涙を慌てて指先で拭うと、ダミアンに引き寄せられて逞しい胸に頬を寄せた。

「知らなかったわ。そう考えると私は弟を守る事ばかり考えていたけれど、守られてもいたのかしら。自分では分からないものね。」

 私の呟きをダミアンは黙って聞いていた。

「…私も気づいていない事があったのかもしれないな。気づいたかい?私と母上がまるで余所余所しいのを。お互いにどうして良いのか分からないんだ。時々感じるんだ。私は母上を恨んでいるのかもしれないって。

 すっかり大人なのにおかしいだろう?」


 私はぎゅっとダミアンを抱きしめて囁いた。

「おかしくは無いわ。月明かりの中ほっつき歩いていたダミアンの満たされない気持ちが、未だに何処かしこりになっているのかもれないでしょう?何かきっかけか、時間が必要だと思うわ。

 焦る事はないわ。自分も相手も少しづつ変わって行くんですもの。私に打ち明けただけ、貴方の心は変化したって事だわ。」

 するとダミアンは私を見つめて呟いた。

「君は私の秘密の小箱だから。…私も少しづつ変わっているのかもしれない。ありがとう、クレア。変われたとしたら、君のお陰だよ。…愛してる。」

 私達は美しい夜に優しい口づけをした。それは慈しむような敬愛の口づけでもあったし、同時に真っ直ぐに届く、お互いを信じている愛の口づけでもあった。


 
 すっかり寝坊した翌朝、私は気怠い身体を起こした。侍女達が湯浴みの用意をしてくれている。ダミアンが何か囁いて部屋を出て行ったのは朝方だったかしら。まるで秘密の恋人の逢瀬の様だと、私はくすぐったい気持ちになった。

 ガウンを脱いで湯浴みをすれば、胸や太腿の内側に赤い印が残っている。私は隠しようのないこの印に恥ずかしさが募って、でもどうしようもなくて、侍女達に何か言われるのではないかと様子を伺った。

 しかし主人の成すことには暗黙の了解があるのか、見えないふりで、でも胸の印が目立たないドレスを選んでくれた。


 「クレア様はいずれこの城の女主人になられるのですもの、ドレスの方も寸法を測って用意いたしませんと。王都とこちらに十分な数をお支度いたしましょう。」

 そう侍女頭がにこやかに言うので、私はダミアンのお母様の侯爵夫人を差し置くようで気が咎めると思わず言ってしまった。すると侍女頭は微笑んで鏡に映る私の姿をチェックしながら言った。

「クレア様、これは侯爵夫人の願いでもあるのですわ。あの方は早くご自分が侯爵夫人の立場から引退したいと常々願っていらっしゃるのです。まだお若くしていらっしゃいますけど、元々繊細な方ですから、責任の大きな侯爵夫人のお立場はお負担にお思いなのです。」


 私はやはりダミアンのお母様と話しがしたいと思った。侍女頭にその旨をお願いすると、侯爵夫人に聞いてみてくれると言うことだった。

「侯爵夫人はダミアン様の婚約が決まってから、随分調子が宜しいのです。クレア様にお会いするのを楽しみにしてらっしゃるご様子ですわ。では、お聞きして参りますわね。」

 私は侍女に髪を整えられながら、侍女頭が部屋を出ていくのを鏡越しに見送った。


 私にお会いして下さると嬉しいのだけれど…。窓から見える、雲ひとつない高い空が私の心を浮き立たせた。




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