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変化

引き裂く悲鳴

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 さっきまでダミアンが慣れない手つきで私に食べさせてくれたあの時間を思い出して、私は思わず微笑んだ。そんな私を微笑ましいものを眺める様に見つめて侍女長は言った。

「クレア様、湯浴みの用意が出来ましたわ。くつろげる様に花のオイルを垂らしておきました。入浴のお手伝いをいたしましょうか。」

私は湯浴みから出たら髪を乾かすのを手伝ってもらうことにして、一人湯船に身体を沈めた。薔薇の甘い香りの中に少しスッとするハーブの混ざった香りは、気持ちをリフレッシュさせた。


 私は湯船の中で美しい型取りの石鹸を泡立てながら、撫でる様に身体を洗った。頬に手を触れても、もう痛みは無い。後で鏡を見てみよう。朝よりはましになっていると良いけれど。

結局倒れてしまったせいで、私は侯爵家に泊まることになってしまった。屋敷の者達が心配しすぎないと良いのだけれど、今更どうしようもないわ。


 …ダミアンが私を見つめる眼差しが、何か言いたげな気がしたのは勘違いかしら。それとも私があまりにも参ってしまっていたから、同情して面倒を見てくれただけ?

私はあの忌まわしい男が、想像以上に凶悪な男だったのを思い出して、思わず周囲を見回してしまった。馬鹿ね、ここにあの男が居る訳もないのに。けれど、あの男はきっと私を恨む事でしょうね。

自分のしでかした自業自得とは言え、私を殴った事でヴォクシー侯爵を怒らせた事が、あの男の没落のキッカケにはなったのだろうから。そう考えるとやはり恐ろしさは拭えなかった。


 私はパシャリと拳で湯面を叩いて飛沫を飛ばした。こんな想像ばかりで恐ろしがっているのは情けないわ。今は、何も私を脅かすものは無いのだから。もう一度湯面をパシャリと波立たせると、少し恐怖が薄れた気がした。

丁度長湯になって心配した侍女長が声を掛けてきたので、私は湯浴みから出た。

侍女長と侍女が私の寝支度の手伝いに待機していてくれた。貴族令嬢なら当たり前なのかもしれないけれど、我が家の様に貧乏貴族ではせいぜい侍女のメアリだけ、下手すると一人でと言うことも少なくない。


 身体に良い香りのクリームを塗り込められて、髪も丁寧に水分を拭き取られて、風を送られて、オイルを塗られて、私は甘やかされた気分で息をついた。今夜の様に心細い夜は、こうして女達でざわめき合いながら、たわいもない話をしている時間が心落ち着けるものだ。

ガウンを脱いで、用意されたナイトドレスを着せかけられて、私は少し目を見開いた。それは私が見てもさっきより美しいものだったからだ。

「…素敵ね。」

思わずそう言うと、侍女長は嬉しげに言った。

「こんな事もあろうかと準備させておいたものなんですよ。クレア様によくお似合いです。」

私はハッとして侍女長の顔を見て尋ねた。

「私のために作らせたの?」

侍女長はさも当然と言った様に微笑んで、私のベッドサイドにナイトティーを淹れて周囲を見回すと、満足げに頷いて囁いた。

「侯爵はお隣のお部屋ですから、何も心配する様な事はございませんからね。安心してお休みください。」


 隣にダミアンが眠ると聞いて、ホッとしていいのか、ドキドキしていいのか一気に分からなくなった私は、慌ててナイトティーを飲み干すと、ベッドに潜り込んだ。

ああ、侍女長があんな余計な事を言うから、気になってしまう。けれど、実際ダミアンが側にいてくれると思うと安心感が増したのは確かだった。そうでなくては、私はあの男の残虐な行いを想像して恐怖に震えて眠れなかったかもしれない。

ナイトティーが効いたのか、さっきも眠っていたのにも関わらず、私は優しい微睡に吸い込まれて行った。



 暗い部屋に響く女の悲痛な叫び声に追い立てられる様に、私は走り出していた。後ろからあの張り付いた笑顔のジョバンニ様が音もなく追いかけてくる。私は恐怖で声も出す事も出来ずに、必死で走った。

けれども暗い街角で方向を見失った私は、行き止まりに追い詰められてしまった。ジョバンニ様は顔を歪めてニタリと笑うと、私に言った。

「クレア嬢、お前の血はさぞかし赤く芳しいだろうな?」



 身体を縮めて必死に叫んだその声が、自分の耳にも聞こえた時、同時に大きな手で身体を掴まれているのを感じて、私は更に叫んだ。

「クレア!クレア!目を覚ましなさい!君の見ているのは夢だ!」

その現実に引っ張り出される様な低い声に、私はハッとして目を開けた。部屋には灯りを持った侍女とダミアンが心配そうに私を覗き込んでいた。

「…もう、戻っていい。灯りは置いていけ。」


 扉の閉まる音がして、ぼんやりと柔らかな蝋燭の灯りが照らされて、私は悪夢に囚われていたのだと気がついた。

「ああ、クレア。可哀想に。酷く怯えて…。」

そう言うと、ダミアンは私をそっと抱き寄せた。まだ恐ろしさで心臓は激しく鼓動していて、私はダミアンの指先になぞられて初めて自分が涙を流しているのを感じた。


 「あの男がっ、…私を袋小路に追い詰めて、…お前の血は…って。」

私がそう泣きながら呟くと、ダミアンは優しくシーっと囁きながら、私の髪を撫でて、額に何度も口づけを落とした。私はその口づけがゆっくり瞼や頬に落ちて来るのを感じながら、恐怖も同時に薄れていくのを感じた。

ああ、私はダミアンの腕の中に居たい。ここは私の一番安心できる場所なのだわ。だからダミアンの優しい口づけが唇に触れても、それはもう私にとっては必然でしか無かった。

啄む様に私の唇を引っ張るダミアンがため息をついて離れると、私を見つめながら掠れた声で呟いた。


 「これ以上ここに居たら私も自分を制御出来なくなる。…クレア、君の望まない事はしたくないんだ。ああ、だけど私は君が欲しくて堪らない…!あの男に殴られた君を見た時、私は人生で経験のない怒りを感じたんだ。

それがどうしてなのかは、もう目を逸らしていられなくなった。私は君を愛してしまった。だが、君は私を愛していないだろう?君がそれを望まないのなら、ここから立ち去って契約もお終いにしよう。

…君が他の若い貴族と人生を送るのを、私は苦しみながら見つめる事になっても、君の幸せを願うよ。クレアを契約で縛りつけた罰が当たったのだから。」


 私はダミアンの言葉が少し遅れて身体に染み渡って来ていた。だからダミアンが苦しげな表情で立ちあがろうとする手を慌てて掴んだ。ハッとして私を見つめるダミアンのいつもより暗く見える瞳に浮かんだのは希望かしら。

私は胸いっぱいに広がる目の前の不器用なダミアンへの愛しい気持ちを感じて、心臓をドキドキさせながら言った。

「ダミアン、行ってはダメよ。私を愛してるのなら、側にいて…。」

ダミアンはベッドに腰掛けて、まるで私に騙されているのではないかと疑っているように悲痛な表情で尋ねた。

「クレア、お願いだ。…君の気持ちを聞かせてくれ。」

私はこの愛しい繊細な男の顎を指で引き寄せると、囁いて口づけた。

『ええ、ダミアンを私も愛しているの。…私も貴方が欲しいわ。』



















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