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夜の社交場
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私は怒りでむしゃくしゃしながら、責任者が居るという社交場へと足を踏み入れた。冷血漢としか思えないその仕打ちに、怒りの勢いのままやって来た。でも我にかえって周囲を見渡すと、ここは私の様な若い貴族の令嬢が来る様な場所ではないのかもしれないわ。
葉巻を吸いながら、不躾な視線を私に寄越す貴族の男達や、私を品定めして嘲笑う着飾った娼婦達を気にしない様にしながら、にこやかに近づいて来た社交場を仕切る男と向き合った。
「これはこれは。貴族のご令嬢がこの様な場所に何の用向きですかな?」
明らかに場違いだと教える様なその言い草と、馬鹿にした様な丁寧な態度に、私は怖気付いた気持ちを奮い立たせて言った。
「私、こちらにいらっしゃるヴォクシー閣下にお会いしたいんですの。少しお聞きしたい事がありまして。」
すると目の前の厳しい男は片眉を上げて、チラッと奥の個室を見た。やっぱりここに居るんだわ。すると男は私に笑顔を崩さず言った。
「残念ながら、本日ヴォクシー閣下はこちらへいらっしゃっておりませんな。」
私はあの向こうに閣下が居るのにも関わらず、何も収穫がないままに帰る事になるのかと悔しさに唇を噛み締めた。けれど、無理に押し通した所で、目の前の社交場の男に軽くあしらわれて追い出されるだけだろう。
私が伯爵令嬢だとしても没落寸前の家名は何の力もないことは分かっていた。
するとさっきから様子を見てニヤついていた若い貴族の男の一人が、私を上から下まであからさまに品定めする様に見つめると、社交場の男に何か耳打ちした。
肩をすくめた男が急に私をヴォクシー閣下のところまで案内する気になった様で、私を奥の個室のひとつへと連れて行ってくれるようだ。けれどあのニヤついた男も私の隣を一緒に歩いて来る。
「あの、どうして一緒にいらっしゃいますの?」
私が顔を顰めてそう尋ねると、身なりの良い若い貴族は楽しそうに手に持ったグラスを掲げると私に囁いた。
「君をヴォクシー閣下に会える様に口添えしてあげたのは私だよ?そんな冷たい事言わないで欲しいな。彼は気難しいからね。ちょっとした私の余興なのさ。」
私はヴォクシー閣下については今朝話を聞いたばかりで、侯爵である事しか分からない。そもそも没落寸前のお金のない我が家では社交場にさえなかなか出られないから、情報にも疎い。貴族界の端の方で、商人よりも貧しい暮らしをしている形ばかりの貴族なのだ。
正直余興だとしても、目的のヴォクシー閣下に会えるのだから文句は無いと思った。豪華な扉の前に立つと、私は胸元に片手を当てて深呼吸した。そんな私を面白そうに横目で眺めながら、若い貴族は相変わらずニヤニヤと面白がっていた。
「ヴォクシー様、お客様がおいでです。」
店の者がそこまで言うと、若い貴族が出しゃばって部屋の扉を開けて勝手に入って行った。
「ヴォクシー閣下、面白い客を連れて来てやったぞ?」
「…チャールズ、またふざけてるな?何か用なのか?」
そんな声を聞きながら、私は緊張しながら部屋の前で立ちすくんでいた。社交場を仕切っている男は後ろも見ずに立ち去ってしまったので、廊下に一人残された私は、どうして良いか分からなくて開いた扉の前で顔を顰めて突っ立っているしか無かった。
するとあのにやけた貴族が扉から顔を覗かせて、私の手をいきなり掴んで部屋に連れ込んだ。こんなに乱暴に扱われた事は無かったので、私は慌てて手を引き剥がすと後ろに手を隠した。
「可愛いお嬢さん、こちらがヴォクシー閣下だよ。君、あんなに会いたがってたろう?何か話があったんじゃないのかい?」
私はにやけた貴族から目を移して、奥の大きな長椅子にどっしりと座る眼光鋭い男を、帽子飾りのベール越しに見つめた。この人がヴォクシー閣下?思っていたより随分若いわ。50歳ぐらいだと思っていたのに、目の前の男は下手すると20代に見えるわ。
私は騙されたのかと、チャールズと呼ばれた若い貴族の方を向いて小さな声で言った。
「…私はヴォクシー閣下にお会いしたいとお願いしたんです。あの方は本当に閣下なのですか?」
するとチャールズは目を見開いて口元に拳を当てると、笑いを堪えながら奥に座る人物へ話し掛けた。
「ダミアン、お前のことを知らない貴族令嬢がいるぞ?お前もまだまだだな?私はこの見ものを眺めていたいけどね、先約があるんだ。人気のマーリンを怒らせたら、暫く相手をしてくれないだろうからね?後はお二人さんでどうぞ。」
そう言いながら手をヒラヒラさせて扉から出て行ってしまった。扉が閉まるとガチャリと重い音がして、私はこの抜け目のなさそうな男と密室で二人きりになってしまった事に気がついた。
獰猛さと狡猾さを併せ持つ様な雰囲気の男は、私が話し出すのを待っている様だった。私は身じろぎをすると思い切って男の目の前の一人掛けのソファに座った。
それからテーブルに置いてあった美しい細工の小さなグラスに琥珀色の酒を少し注ぐと、目の前の無表情の男に盃を掲げて言った。
「ヴォクシー閣下の健康を祝して。頂きますわ。」
一気にあおると、強い酒だったのか喉が焼け付く様だった。私は少し涙目で咳き込むと、目の前の男がわずかに眉を上げた。少し悔しい気持ちで、さっさとここまで来た目的を果たす事にした。
「あの、私がヴォクシー閣下にお会いしたかったのは、お伺いしたかった事がありますの。ヴォクシー侯爵家管轄のベクトル教会付き孤児院の事ですわ。あと数日で孤児院を閉鎖するとの事ですが、本当なのでしょうか。
幼いあの子達を、これから冬の厳しい季節がやってくるこの時期に、着の身着のまま放り出すとか正気の沙汰ではございません。血も涙もない人間のすることですわ。どうかお考え直し頂けませんか。
私も貴族の端くれですけれども、質素を旨とする我が家では一人二人は兎も角、10人程の親を亡くしたあの子達を引き取る事は出来ません。閉鎖が避けられないのでしたら、どうかあの子達の行き先が決まるまで1ヶ月、いえ最低でも二ヶ月程の孤児院閉鎖の延期をお願い致します。」
私は途中ヴォクシー閣下を罵った気もしたけど、もうやぶれかぶれの気持ちだった。ほんの1ヶ月前に、いつも子供達の様子を見に行っている孤児院の閉鎖の話を聞いてどんなに驚いた事だろう。
『クレア様、牧師様も手を尽くしては下さったのですが、元々ここは、侯爵家が管轄してる孤児院を教会に委託されたものでございます。侯爵家が閉鎖と決定してしまえば、牧師様と言えどももうなす術がないのです。
大きな子供達は大体の奉公先を伝手で探すことが出来ましたが、さすがに奉公も出来ない赤ん坊から小さな子供達は引き受け手を見つけるのが難しいのです。他の孤児院に当たりを付けてはいますけれど、色良い返事もまだ頂けなくて…。』
いつも微笑みしか見た事のない修道女のマリーが、青ざめて疲れ切った表情を浮かべるのを見て、私は事の深刻さを知ったのだった。
それから私もあちこちの伝手を探して孤児の子供達の行き先を探したけれど、マリーの言う通り何の手伝いにもならない小さな子供達を引き受けてくれる者達はなかなか見つからなかった。
王都は他の地域と比べても豊かであるとはいえ、庶民にそこまでの余裕は無い。まして貴族もまた、自分たちの私利私欲のために生きていて、子供達が寒さで凍えようが、飢えようがお構いなしだ。
私は言いたい事を言ってヴォクシー閣下の反応を見つめていたけれど、少し眉を顰めただけでじっと私を見つめるばかりだった。私は今更ながら目の前のヴォクシー閣下が、ひと目を引く風貌をしている事に気がついた。
艶のある黒髪は撫で付けられているけれど、少し癖があって襟足にカールが出ているのが妙に色っぽい。獰猛だと感じた濃い青い瞳は、彫の深い顔つきのせいか時々もっと暗く感じて、底なしの海の様だった。
そして馬鹿みたいに太い首は、最近多い着飾るばかりの若い貴族とは違って、いつでも文字通り拳で相手を捩じ伏せる事が出来るのを物語っていた。
手の中のグラスの酒を少しあおったヴォクシー閣下は、グラスを持つ親指で唇を拭うと、不意に私を品定めする様に眺めた。つい先日後妻の紹介者から似た様な視線を受けて屈辱を感じた事を思い出したせいで、私はカッと頭に血が昇ってドレスを握りしめた。
「…お嬢さん、交渉事ならば、先ずは自分の名前を名乗るべきではないのかね。」
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すると目の前の厳しい男は片眉を上げて、チラッと奥の個室を見た。やっぱりここに居るんだわ。すると男は私に笑顔を崩さず言った。
「残念ながら、本日ヴォクシー閣下はこちらへいらっしゃっておりませんな。」
私はあの向こうに閣下が居るのにも関わらず、何も収穫がないままに帰る事になるのかと悔しさに唇を噛み締めた。けれど、無理に押し通した所で、目の前の社交場の男に軽くあしらわれて追い出されるだけだろう。
私が伯爵令嬢だとしても没落寸前の家名は何の力もないことは分かっていた。
するとさっきから様子を見てニヤついていた若い貴族の男の一人が、私を上から下まであからさまに品定めする様に見つめると、社交場の男に何か耳打ちした。
肩をすくめた男が急に私をヴォクシー閣下のところまで案内する気になった様で、私を奥の個室のひとつへと連れて行ってくれるようだ。けれどあのニヤついた男も私の隣を一緒に歩いて来る。
「あの、どうして一緒にいらっしゃいますの?」
私が顔を顰めてそう尋ねると、身なりの良い若い貴族は楽しそうに手に持ったグラスを掲げると私に囁いた。
「君をヴォクシー閣下に会える様に口添えしてあげたのは私だよ?そんな冷たい事言わないで欲しいな。彼は気難しいからね。ちょっとした私の余興なのさ。」
私はヴォクシー閣下については今朝話を聞いたばかりで、侯爵である事しか分からない。そもそも没落寸前のお金のない我が家では社交場にさえなかなか出られないから、情報にも疎い。貴族界の端の方で、商人よりも貧しい暮らしをしている形ばかりの貴族なのだ。
正直余興だとしても、目的のヴォクシー閣下に会えるのだから文句は無いと思った。豪華な扉の前に立つと、私は胸元に片手を当てて深呼吸した。そんな私を面白そうに横目で眺めながら、若い貴族は相変わらずニヤニヤと面白がっていた。
「ヴォクシー様、お客様がおいでです。」
店の者がそこまで言うと、若い貴族が出しゃばって部屋の扉を開けて勝手に入って行った。
「ヴォクシー閣下、面白い客を連れて来てやったぞ?」
「…チャールズ、またふざけてるな?何か用なのか?」
そんな声を聞きながら、私は緊張しながら部屋の前で立ちすくんでいた。社交場を仕切っている男は後ろも見ずに立ち去ってしまったので、廊下に一人残された私は、どうして良いか分からなくて開いた扉の前で顔を顰めて突っ立っているしか無かった。
するとあのにやけた貴族が扉から顔を覗かせて、私の手をいきなり掴んで部屋に連れ込んだ。こんなに乱暴に扱われた事は無かったので、私は慌てて手を引き剥がすと後ろに手を隠した。
「可愛いお嬢さん、こちらがヴォクシー閣下だよ。君、あんなに会いたがってたろう?何か話があったんじゃないのかい?」
私はにやけた貴族から目を移して、奥の大きな長椅子にどっしりと座る眼光鋭い男を、帽子飾りのベール越しに見つめた。この人がヴォクシー閣下?思っていたより随分若いわ。50歳ぐらいだと思っていたのに、目の前の男は下手すると20代に見えるわ。
私は騙されたのかと、チャールズと呼ばれた若い貴族の方を向いて小さな声で言った。
「…私はヴォクシー閣下にお会いしたいとお願いしたんです。あの方は本当に閣下なのですか?」
するとチャールズは目を見開いて口元に拳を当てると、笑いを堪えながら奥に座る人物へ話し掛けた。
「ダミアン、お前のことを知らない貴族令嬢がいるぞ?お前もまだまだだな?私はこの見ものを眺めていたいけどね、先約があるんだ。人気のマーリンを怒らせたら、暫く相手をしてくれないだろうからね?後はお二人さんでどうぞ。」
そう言いながら手をヒラヒラさせて扉から出て行ってしまった。扉が閉まるとガチャリと重い音がして、私はこの抜け目のなさそうな男と密室で二人きりになってしまった事に気がついた。
獰猛さと狡猾さを併せ持つ様な雰囲気の男は、私が話し出すのを待っている様だった。私は身じろぎをすると思い切って男の目の前の一人掛けのソファに座った。
それからテーブルに置いてあった美しい細工の小さなグラスに琥珀色の酒を少し注ぐと、目の前の無表情の男に盃を掲げて言った。
「ヴォクシー閣下の健康を祝して。頂きますわ。」
一気にあおると、強い酒だったのか喉が焼け付く様だった。私は少し涙目で咳き込むと、目の前の男がわずかに眉を上げた。少し悔しい気持ちで、さっさとここまで来た目的を果たす事にした。
「あの、私がヴォクシー閣下にお会いしたかったのは、お伺いしたかった事がありますの。ヴォクシー侯爵家管轄のベクトル教会付き孤児院の事ですわ。あと数日で孤児院を閉鎖するとの事ですが、本当なのでしょうか。
幼いあの子達を、これから冬の厳しい季節がやってくるこの時期に、着の身着のまま放り出すとか正気の沙汰ではございません。血も涙もない人間のすることですわ。どうかお考え直し頂けませんか。
私も貴族の端くれですけれども、質素を旨とする我が家では一人二人は兎も角、10人程の親を亡くしたあの子達を引き取る事は出来ません。閉鎖が避けられないのでしたら、どうかあの子達の行き先が決まるまで1ヶ月、いえ最低でも二ヶ月程の孤児院閉鎖の延期をお願い致します。」
私は途中ヴォクシー閣下を罵った気もしたけど、もうやぶれかぶれの気持ちだった。ほんの1ヶ月前に、いつも子供達の様子を見に行っている孤児院の閉鎖の話を聞いてどんなに驚いた事だろう。
『クレア様、牧師様も手を尽くしては下さったのですが、元々ここは、侯爵家が管轄してる孤児院を教会に委託されたものでございます。侯爵家が閉鎖と決定してしまえば、牧師様と言えどももうなす術がないのです。
大きな子供達は大体の奉公先を伝手で探すことが出来ましたが、さすがに奉公も出来ない赤ん坊から小さな子供達は引き受け手を見つけるのが難しいのです。他の孤児院に当たりを付けてはいますけれど、色良い返事もまだ頂けなくて…。』
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それから私もあちこちの伝手を探して孤児の子供達の行き先を探したけれど、マリーの言う通り何の手伝いにもならない小さな子供達を引き受けてくれる者達はなかなか見つからなかった。
王都は他の地域と比べても豊かであるとはいえ、庶民にそこまでの余裕は無い。まして貴族もまた、自分たちの私利私欲のために生きていて、子供達が寒さで凍えようが、飢えようがお構いなしだ。
私は言いたい事を言ってヴォクシー閣下の反応を見つめていたけれど、少し眉を顰めただけでじっと私を見つめるばかりだった。私は今更ながら目の前のヴォクシー閣下が、ひと目を引く風貌をしている事に気がついた。
艶のある黒髪は撫で付けられているけれど、少し癖があって襟足にカールが出ているのが妙に色っぽい。獰猛だと感じた濃い青い瞳は、彫の深い顔つきのせいか時々もっと暗く感じて、底なしの海の様だった。
そして馬鹿みたいに太い首は、最近多い着飾るばかりの若い貴族とは違って、いつでも文字通り拳で相手を捩じ伏せる事が出来るのを物語っていた。
手の中のグラスの酒を少しあおったヴォクシー閣下は、グラスを持つ親指で唇を拭うと、不意に私を品定めする様に眺めた。つい先日後妻の紹介者から似た様な視線を受けて屈辱を感じた事を思い出したせいで、私はカッと頭に血が昇ってドレスを握りしめた。
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