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接近
ルキアスside唇に残る体温
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王宮薬草園で倒れたあの彼に、もう一度会って確かめたい。そんな気持ちが抑えられなくて、とうとう言い訳を作ってここまでやって来てしまった。パッキアの屋敷の門の前に到着すると、我々を見た門番が慌てた様に立派な屋敷の中へと走って行く。
その後ろ姿を見つめていると、護衛の騎士が私に話しかけて来た。
「殿下、やはり事前に約束をした方が宜しかったのではありませんか?パッキア卿もどちらにいらっしゃるか…。」
私は手綱を握りながら、玄関から執事と一緒に夫人が姿を現したのを見た。今更もう引き返すことはできない。
執事に案内されて植物をモチーフとした美しい壁紙の洒落た応接でもてなされていると、扉からパッキア夫人と多分パッキア卿の末っ子だろう小さな男の子、そしてミルクティー色のサラリとした髪を背中まで流した『彼』が姿を見せた。
私は殊更彼を目に入れない様にしながら、突然約束もなく訪問した事を夫人に詫びた。
戸惑う夫人に畳かける様に、私は彼と話がしたいと誤魔化す事もなく単刀直入に申し出た。ますます困惑した夫人が彼の方へ尋ねると、私をじっと見つめた彼が肩をすくめて、夫人に王宮での話でしょうと上手く取り繕って立ち上がった。
私はそこで初めて、何とも不躾な申し出だったと我に返ったのだが、訝しげな表情を浮かべた夫人にこれ以上何を言っても余計に混乱させるだけだと一緒に立ち上がった。
皆に釣られて勢いよく立ち上がった小さな男の子に、彼が優しく頭を撫でて微笑んだのを、なぜだか胸を引き絞られる気持ちで眺めながら、彼と共に部屋を出た。
彼が案内してくれたのは薬草園だった。もっとも王宮で彼の身に起きた事を聞きたいと申し出たのだから、ここに連れて来られたのは当然なのだろう。
けれども直接彼と話がしたくて、忙しい職務の間を縫ってここまでせき立てられる様にやって来た理由は、彼が私の知るリアンなのかどうなのかを確認する事だった。
だから彼が記憶を引っ掻く様な気さくな態度を私に取った事にまず目を見開いた。そう誰にでも呼ばせない自分の名前を私から頼み込んで呼ばせたのも、彼が満月の夜に会っていたあの彼にあまりにもよく似ていたからなのだろうか。
ああ、やはり彼はあのリアンなのでは?
けれども目の前のリアンは私の事を何も覚えていなかった。私は冷静さを失わない様に理論立てて、リアンも知っている事を開示してみた。けれども目の前のリアンは髪色こそ違えど、同じ眼差し、面影を見せながらも、首を横に振って記憶にないと言う。
ただし、驚いた事に彼には失った記憶があると言う。ではやはり、彼は私の知るリアンなのかもしれない。とすると彼は私達のあの満月の時間を忘れてしまったのだ。
私は彼に頼んだ。この三年の間胸に燻る、彼を失ってしまったあの日の後悔を懺悔させて欲しいと。記憶を失ったかもしれない彼に今更謝ったとしても意味はないのかもしれない。でもそうしたかった。
私が胸の内を曝け出して彼に許しを請うと、彼は少し考え込むそぶりで首を傾げて私を見上げた。彼の黒い瞳は美しかった。彼に問われて、私は諦めに似た物分かりの良さで、自分の責務を全うするためだと言葉にしていた。
すると思いがけない事をリアンが提案した。何かして欲しい事は有るかと彼が聞いてくれたのだ。私は考える間もなく、口づけと口をついて出て来た。
三年前のあの頃、何度抱きしめて口づけたいと思ったか。
彼が私を許すと言葉にして、唇に柔らかなそれを感じた時、私は何を思った?それは甘い感傷的な気持ちでは無かった。腕の中に生々しく存在する彼は、私の心臓を震えさせた。
痺れる様な甘い心地に、もっと欲しくて唇を割って甘い口の中を味わったその時、胸を叩かれて私は我に返った。少し怒った様に私を睨んでやり過ぎと諌める彼は、思い出の彼ではなくて、まるで初めて会ったかの様に思う魅力的な青年だった。
その甘い唇から溢れる、初恋の鎖が外れたのかと問いに、私はぼんやりとしながら外れたと答えたけれど、本当にそうだろうか。
私は思い出の彼を美しい記憶に塗り替えるのと同時に、目の前のリアンに再び囚われた気がした。
縛り上げる鎖から解放されたかった筈なのに、私は自ら甘い鎖を巻きつけたのだ。騎士達が近づいて来た気配で慌てて身を離したけれど、私は自分でも混乱して彼と目を合わす事が出来なかった。
一度ゆっくり考えてみなければ。
逃げる様にパッキア卿の屋敷から立ち去って、王宮に向かって馬を走らせながら、私は顔が綻んでいるのを自覚していた。ああ、やはり私にとってリアンは鬼門だ。
考える間もなく、私はすっかり熱い血潮を感じて息を吹き返していた。三年前に私を取り巻く世界は輝きを失って、それが私の一生だと何処かで諦めていた。けれども今の私は彼を手に入れるためならどんな犠牲も払うと、心臓の鼓動を沸きたせながら決心していた。
そう、彼が私から逃げ出す前に捕まえなくては。彼と私は運命なのだから。
その後ろ姿を見つめていると、護衛の騎士が私に話しかけて来た。
「殿下、やはり事前に約束をした方が宜しかったのではありませんか?パッキア卿もどちらにいらっしゃるか…。」
私は手綱を握りながら、玄関から執事と一緒に夫人が姿を現したのを見た。今更もう引き返すことはできない。
執事に案内されて植物をモチーフとした美しい壁紙の洒落た応接でもてなされていると、扉からパッキア夫人と多分パッキア卿の末っ子だろう小さな男の子、そしてミルクティー色のサラリとした髪を背中まで流した『彼』が姿を見せた。
私は殊更彼を目に入れない様にしながら、突然約束もなく訪問した事を夫人に詫びた。
戸惑う夫人に畳かける様に、私は彼と話がしたいと誤魔化す事もなく単刀直入に申し出た。ますます困惑した夫人が彼の方へ尋ねると、私をじっと見つめた彼が肩をすくめて、夫人に王宮での話でしょうと上手く取り繕って立ち上がった。
私はそこで初めて、何とも不躾な申し出だったと我に返ったのだが、訝しげな表情を浮かべた夫人にこれ以上何を言っても余計に混乱させるだけだと一緒に立ち上がった。
皆に釣られて勢いよく立ち上がった小さな男の子に、彼が優しく頭を撫でて微笑んだのを、なぜだか胸を引き絞られる気持ちで眺めながら、彼と共に部屋を出た。
彼が案内してくれたのは薬草園だった。もっとも王宮で彼の身に起きた事を聞きたいと申し出たのだから、ここに連れて来られたのは当然なのだろう。
けれども直接彼と話がしたくて、忙しい職務の間を縫ってここまでせき立てられる様にやって来た理由は、彼が私の知るリアンなのかどうなのかを確認する事だった。
だから彼が記憶を引っ掻く様な気さくな態度を私に取った事にまず目を見開いた。そう誰にでも呼ばせない自分の名前を私から頼み込んで呼ばせたのも、彼が満月の夜に会っていたあの彼にあまりにもよく似ていたからなのだろうか。
ああ、やはり彼はあのリアンなのでは?
けれども目の前のリアンは私の事を何も覚えていなかった。私は冷静さを失わない様に理論立てて、リアンも知っている事を開示してみた。けれども目の前のリアンは髪色こそ違えど、同じ眼差し、面影を見せながらも、首を横に振って記憶にないと言う。
ただし、驚いた事に彼には失った記憶があると言う。ではやはり、彼は私の知るリアンなのかもしれない。とすると彼は私達のあの満月の時間を忘れてしまったのだ。
私は彼に頼んだ。この三年の間胸に燻る、彼を失ってしまったあの日の後悔を懺悔させて欲しいと。記憶を失ったかもしれない彼に今更謝ったとしても意味はないのかもしれない。でもそうしたかった。
私が胸の内を曝け出して彼に許しを請うと、彼は少し考え込むそぶりで首を傾げて私を見上げた。彼の黒い瞳は美しかった。彼に問われて、私は諦めに似た物分かりの良さで、自分の責務を全うするためだと言葉にしていた。
すると思いがけない事をリアンが提案した。何かして欲しい事は有るかと彼が聞いてくれたのだ。私は考える間もなく、口づけと口をついて出て来た。
三年前のあの頃、何度抱きしめて口づけたいと思ったか。
彼が私を許すと言葉にして、唇に柔らかなそれを感じた時、私は何を思った?それは甘い感傷的な気持ちでは無かった。腕の中に生々しく存在する彼は、私の心臓を震えさせた。
痺れる様な甘い心地に、もっと欲しくて唇を割って甘い口の中を味わったその時、胸を叩かれて私は我に返った。少し怒った様に私を睨んでやり過ぎと諌める彼は、思い出の彼ではなくて、まるで初めて会ったかの様に思う魅力的な青年だった。
その甘い唇から溢れる、初恋の鎖が外れたのかと問いに、私はぼんやりとしながら外れたと答えたけれど、本当にそうだろうか。
私は思い出の彼を美しい記憶に塗り替えるのと同時に、目の前のリアンに再び囚われた気がした。
縛り上げる鎖から解放されたかった筈なのに、私は自ら甘い鎖を巻きつけたのだ。騎士達が近づいて来た気配で慌てて身を離したけれど、私は自分でも混乱して彼と目を合わす事が出来なかった。
一度ゆっくり考えてみなければ。
逃げる様にパッキア卿の屋敷から立ち去って、王宮に向かって馬を走らせながら、私は顔が綻んでいるのを自覚していた。ああ、やはり私にとってリアンは鬼門だ。
考える間もなく、私はすっかり熱い血潮を感じて息を吹き返していた。三年前に私を取り巻く世界は輝きを失って、それが私の一生だと何処かで諦めていた。けれども今の私は彼を手に入れるためならどんな犠牲も払うと、心臓の鼓動を沸きたせながら決心していた。
そう、彼が私から逃げ出す前に捕まえなくては。彼と私は運命なのだから。
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