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接近
ルキアスside目の前の現実
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従者から例のエルフの馬車の同乗者が王宮薬草園に来ている様だと聞いて、言い訳をしながら足を向けたのは何故だっただろう。アンディから彼の名前をリアンと聞いたせいだったのか?
私にとって鬼門とも言えるその幻想の相手の名前は、忘れたくても染み付いて落ちないアザのように私をピクリと反応させる。一体何人のリアンが私の目の前から立ち去っただろう。
私は永遠にリアンの人相を確認しないではいられない呪いに掛かっているかの様だと苦笑しながら、衝動を止める事も出来なくて、こうして薬草園まで来たのだった。
私たちの姿を見た管理の者が畑の方を振り返った。ミルクティー色のサラリとした髪を背中まで流した青年と、付き従っている10代の少年に熱心に話をしている担当の研究員が、私の姿を見て慌ててこちらへと歩き寄ってくる。
あの長い髪の青年がリアンだろうか。後ろ姿だけでも妙な雰囲気だ。彼だけ纏う空気が違って見える。私はピリピリと引っ掻く様な刺激を肌に感じていた。
その覚えのない感覚は、彼がこちらを振り返った時に波となって私を襲ってきた。
あの顔、あの時より少し大人びているけれど、幻想の中の少年が髪色を変えて少し成長して戻ってきた様にしか見えない。私は混乱して、こちらをじっと見ている彼の顔を呆然と見つめていた。
彼は黒い目をしている。そしてあの印象的な顔つき、今や可愛らしさの奥に滲む綺麗さに心臓はドクドクと主張を始めている。彼は幻想ではなかったのか?
ああ、でも彼の髪の色は黒い訳ではない。似ているが違うのか。幻想の中の彼は噴水の中に居たのだから、現実の世界に居るはずがない、だろう?
私に何か話しかけてくる担当者に言葉を返せずに、ひたすら彼の事ばかり見つめていると、不意に彼が額に手をやって身体をゆらめかした。私は呪縛が解けた様に身体を動かして、崩れ落ちる彼の元に走りだしていた。
側の少年が呼びかけながら彼を支えようとしたけれど、それより先に彼は地面に倒れ込んだ。
私が彼の元に辿り着いた時、目の前に見た光景は一体何だったのだろうか。
青白い顔をして倒れた彼を取り巻く様に、近くの薬草が伸びて彼を覆い尽くし始めていた。私と少年は縫い付けられた様にその異常な状況を呆然と見つめるだけで、言葉もない。
他の者たちがドヤドヤと近づいてくる気配にハッとした私と少年は顔を見合わせて、慌てて彼に巻き付く薬草を手で引きちぎった。辺りに漂う薬草のツンとした香りを感じながら、私はすっかり意識を無くしている彼を腕に抱え上げた。
「…とりあえず城に運ぼう。」
ぎこちなく頷く少年は困惑と心配を交互に顔に浮かべて、それでも腕の中の彼を不安気に見つめた。
「急に倒れたんだ。いや、私が彼を連れて行く。…君も一緒に来なさい。」
代わりに彼を運ぼうと手を伸ばす騎士を制して、私は少年の先に立って歩き出した。
「皇太子、どちらへ彼を運ぶのですか?」
従者が私と腕の中の彼を交互に見つめながら尋ねた。何を考えているのか顔には出さないが、それでも声に動揺が感じられる。
「私の部屋の近くの客間に。」
一瞬の間の後、従者が頷いて急足で城の中へと消えた。私は周囲の戸惑う護衛や薬草の担当者に指示を出した。
「大事な客人だ。大事にならぬようにしよう。」
私は人目につかないルートを取りながら、客間へと彼を運んだ。それでも何人かには見られてしまったが、皆一様に目を見開いて私と腕の中の彼を見たけれど、今はそんな事に構っていられる状況ではなかった。
腕の中の記憶に刻まれた彼は、目を閉じていてもやはり懐かしい感傷を連れてくる。段々と腕に食い込む重さは、これが現実だと私に思い知らせる。
それでも普通のこの年頃の者よりは遥かに軽く感じていた。
「…この者はこの様に倒れることがあるのか?」
少し後ろをついてきている少年に尋ねると、間髪入れずに答えが返ってきた。
「いいえ!…あ、でもどうなのかな。リアンは僕らの所に来てからまだ10日も経っている訳じゃないですから。でも倒れるなんてそんな気配は一度も…。慣れない場所で疲れが溜まってたのかな…。」
少年の最後は独り言の様な呟きを耳にしながら、一体彼はどこの出身なのだろうかと考えを巡らしていた。
「皇太子、特にこの青年には悪い所は見受けられません。」
医者の言葉に、私は安堵の一方で、では何故彼が昏倒したのかと眉を顰めた。私と目が合ってから彼は倒れ込んだんだ。彼も私を見て驚いたのか?けれどそんな表情ではなかった。
私を初めて見る様な顔をしていたはずだ。
髪色も違う彼を、まるであたかも私の幻想の中で生まれたあの青年だと思い込もうとしている自分に気づきながら、医師が彼の手首を持ち上げるのをぼんやり眺めていた。
その時に私が見たのは何だった?
記憶の底を引っ掻く何かが、私を椅子から立ち上がらせた。そして医者を押し退けると、彼の手首に嵌った少し年数の経った緑色の革の美しい腕輪をまじまじと見つめていた。
途端にあの時の事がパタパタと思い出されて、私は息を呑んで彼の閉じられた瞼をじっと見つめた。彼の眼差しを見たい。やはり目の前の青年は私の知る彼なのか?
「パッキア領の彼が倒れたって!?」
その時に勢いよく扉が開いて、慌てた様子で入ってきたのはアンディだった。振り返ってアンディと目を合わせた時に浮かんだ何かが、私に全てを悟らせた。
アンディが最低限の事しか私に報告しなかったという事を。
私にとって鬼門とも言えるその幻想の相手の名前は、忘れたくても染み付いて落ちないアザのように私をピクリと反応させる。一体何人のリアンが私の目の前から立ち去っただろう。
私は永遠にリアンの人相を確認しないではいられない呪いに掛かっているかの様だと苦笑しながら、衝動を止める事も出来なくて、こうして薬草園まで来たのだった。
私たちの姿を見た管理の者が畑の方を振り返った。ミルクティー色のサラリとした髪を背中まで流した青年と、付き従っている10代の少年に熱心に話をしている担当の研究員が、私の姿を見て慌ててこちらへと歩き寄ってくる。
あの長い髪の青年がリアンだろうか。後ろ姿だけでも妙な雰囲気だ。彼だけ纏う空気が違って見える。私はピリピリと引っ掻く様な刺激を肌に感じていた。
その覚えのない感覚は、彼がこちらを振り返った時に波となって私を襲ってきた。
あの顔、あの時より少し大人びているけれど、幻想の中の少年が髪色を変えて少し成長して戻ってきた様にしか見えない。私は混乱して、こちらをじっと見ている彼の顔を呆然と見つめていた。
彼は黒い目をしている。そしてあの印象的な顔つき、今や可愛らしさの奥に滲む綺麗さに心臓はドクドクと主張を始めている。彼は幻想ではなかったのか?
ああ、でも彼の髪の色は黒い訳ではない。似ているが違うのか。幻想の中の彼は噴水の中に居たのだから、現実の世界に居るはずがない、だろう?
私に何か話しかけてくる担当者に言葉を返せずに、ひたすら彼の事ばかり見つめていると、不意に彼が額に手をやって身体をゆらめかした。私は呪縛が解けた様に身体を動かして、崩れ落ちる彼の元に走りだしていた。
側の少年が呼びかけながら彼を支えようとしたけれど、それより先に彼は地面に倒れ込んだ。
私が彼の元に辿り着いた時、目の前に見た光景は一体何だったのだろうか。
青白い顔をして倒れた彼を取り巻く様に、近くの薬草が伸びて彼を覆い尽くし始めていた。私と少年は縫い付けられた様にその異常な状況を呆然と見つめるだけで、言葉もない。
他の者たちがドヤドヤと近づいてくる気配にハッとした私と少年は顔を見合わせて、慌てて彼に巻き付く薬草を手で引きちぎった。辺りに漂う薬草のツンとした香りを感じながら、私はすっかり意識を無くしている彼を腕に抱え上げた。
「…とりあえず城に運ぼう。」
ぎこちなく頷く少年は困惑と心配を交互に顔に浮かべて、それでも腕の中の彼を不安気に見つめた。
「急に倒れたんだ。いや、私が彼を連れて行く。…君も一緒に来なさい。」
代わりに彼を運ぼうと手を伸ばす騎士を制して、私は少年の先に立って歩き出した。
「皇太子、どちらへ彼を運ぶのですか?」
従者が私と腕の中の彼を交互に見つめながら尋ねた。何を考えているのか顔には出さないが、それでも声に動揺が感じられる。
「私の部屋の近くの客間に。」
一瞬の間の後、従者が頷いて急足で城の中へと消えた。私は周囲の戸惑う護衛や薬草の担当者に指示を出した。
「大事な客人だ。大事にならぬようにしよう。」
私は人目につかないルートを取りながら、客間へと彼を運んだ。それでも何人かには見られてしまったが、皆一様に目を見開いて私と腕の中の彼を見たけれど、今はそんな事に構っていられる状況ではなかった。
腕の中の記憶に刻まれた彼は、目を閉じていてもやはり懐かしい感傷を連れてくる。段々と腕に食い込む重さは、これが現実だと私に思い知らせる。
それでも普通のこの年頃の者よりは遥かに軽く感じていた。
「…この者はこの様に倒れることがあるのか?」
少し後ろをついてきている少年に尋ねると、間髪入れずに答えが返ってきた。
「いいえ!…あ、でもどうなのかな。リアンは僕らの所に来てからまだ10日も経っている訳じゃないですから。でも倒れるなんてそんな気配は一度も…。慣れない場所で疲れが溜まってたのかな…。」
少年の最後は独り言の様な呟きを耳にしながら、一体彼はどこの出身なのだろうかと考えを巡らしていた。
「皇太子、特にこの青年には悪い所は見受けられません。」
医者の言葉に、私は安堵の一方で、では何故彼が昏倒したのかと眉を顰めた。私と目が合ってから彼は倒れ込んだんだ。彼も私を見て驚いたのか?けれどそんな表情ではなかった。
私を初めて見る様な顔をしていたはずだ。
髪色も違う彼を、まるであたかも私の幻想の中で生まれたあの青年だと思い込もうとしている自分に気づきながら、医師が彼の手首を持ち上げるのをぼんやり眺めていた。
その時に私が見たのは何だった?
記憶の底を引っ掻く何かが、私を椅子から立ち上がらせた。そして医者を押し退けると、彼の手首に嵌った少し年数の経った緑色の革の美しい腕輪をまじまじと見つめていた。
途端にあの時の事がパタパタと思い出されて、私は息を呑んで彼の閉じられた瞼をじっと見つめた。彼の眼差しを見たい。やはり目の前の青年は私の知る彼なのか?
「パッキア領の彼が倒れたって!?」
その時に勢いよく扉が開いて、慌てた様子で入ってきたのはアンディだった。振り返ってアンディと目を合わせた時に浮かんだ何かが、私に全てを悟らせた。
アンディが最低限の事しか私に報告しなかったという事を。
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