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エルフの国

初めての夜歩き

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 僕はヴァルが迎えに来る前に、満月の君の彼に会うために敷地を走っていた。いつもの夜着では無いので、こんな姿を見せるのは何だか恥ずかしい気がする。

水鏡の様ないつもの水溜りを覗き込むと、彼が既に待っていた。少し遅れてしまったみたいだ。彼が僕に気づくと、明らかに驚いた表情で話し掛けてきた。

「…君の姿が見たい。覗き込むと月の明かりを遮るから、立ってみてくれないか?」

僕はすぐに理解して、彼がどう感じるだろうと気にしながら、覗き込まない様に気をつけて水鏡から見える様に立った。


 いつも下ろしっぱなしの長い黒髪は顔周りがスッキリする様に丁寧に編み込まれている。侍女が張り切ってくれたせいで、滑らかな白いトロミのある生地で仕立てられた衣装は、ピッタリした膝下までの濃緑色のパンツと黒い幅広ベルトで引き締められてコントラストが効いている。

ベルトの上の飾りリボンを目立つ銀色にしたのに彼は気づいてくれるだろうか。僕は照れ臭くなって水鏡を覗き込むと彼に尋ねた。

「どう?今夜は初めての夜歩きの日だから、少しお洒落したんだ。この飾りベルトは君から貰ったコレと色を合わせたんだよ?」

僕がそう言って耳飾りを指で撫でると、彼が嬉しそうに微笑んだ気がした。陰で暗いけど、たぶん。


 「…どうして私はそんなに素敵な君の側に行かれないんだろう。君は一体どこに居るのか一度も話してくれないね。私は…。」

僕は彼の言葉を遮った。

「ここでは事実はとても重要なんだ。特にこうして満月の魔法の強い今夜の様な時間はね?何が起きるか分からないから、迂闊な事は言えないし、聞けないよ。

僕も君の事を知りたいけど、君を困った状況に引っ張り込みたく無いんだ。たぶん僕より君の方が困ったことになるのは間違いないし。僕らはもっと大人になればきっと会えるよ。君が生身の存在なのは分かっているんだから。ね?そうでしょう?」


 彼は少し黙り込んだ後、僕に言った。

「来月も、私達が大人になって会えるその時まで、こうして会える時間を繋げよう。そうすればきっと私たちはいつか巡り逢えるだろうから。」

僕はすっかり好意を持った彼の言葉を聞いて嬉しくなって頷いた。その時、僕の右手首を彼が見ている気がして釣られて目をやった。そこにはヴァルからの誕生日の贈り物である黄緑色の凝った皮ベルトの腕輪が巻き付いていた。

エスコート役のヴァルのために身につけていたものだ。僕がその腕輪を無意識に手で隠すと、満月の君が強張った声で言った。


 「それ、誰かからの贈り物かい?…君は私を喜ばせる様な純情そうな事を言っておきながら、他の相手からの求愛の贈り物を身につける様な強かな人間だったのか?」

僕は思いもしない酷い当て擦りを言われたせいで、驚きと悲しみと苛立ちを感じて、ついには怒りのままに言い返した。

「これは僕の幼馴染からの誕生日の贈り物だよ…!君からの贈り物を大事にする様に、彼からの贈り物を大事にしちゃいけないの?僕は君の事を好きなのに、そんな酷い言い方をされたら悲しいよ…。」

言葉にすれば、怒りより悲しみが深くなって、喉に大きな塊が詰まった様に感じられる。さっきまで嬉しい気持ちでいっぱいだったのに、こんな感情になるなんて。


 「…僕、もう行かなきゃ。さよなら。」

そう言って立ち上がると、水鏡の中の彼は少し慌てた様に手を伸ばしたけれど直ぐに下ろして身じろぎした。彼は謝っても、言い訳じみた事も言ってくれない。僕は思わず顔を背けて走り出していた。

一瞬後方で彼の声がした気がしたけれど気のせいだろう。彼はあんな酷い事を僕に言ったんだ。…嫌いだ。

僕が走って行くと、城の入り口でヴァルが待っていた。僕が敷地の方から現れたことに酷く驚いていた。

「一体どこからきたんだ、マグノリアン。…どうしたんだ。泣いてるのか?」


 心配そうに僕を見つめるヴァルに、僕はサッと目元を指で拭い取るとひび割れた声で弁解した。

「違うんだ。…落ち着かなくて敷地を歩いていたら目にゴミが入ってしまって。遅れちゃった?もう行こうか。」

僕が先に立って歩き出すと、ヴァルは僕の手を掴んで言った。

「じゃあ、俺に顔を拭かせてくれ。せっかくの可愛い顔が台無しだ。」

僕は黙って立ち止まると、ヴァルの顔を見上げた。幼馴染の心配そうな顔を見つめると、途端にさっきの悲しい気持ちが湧き上がってきて、次から次へと涙が溢れてきた。


 ああ、彼と喧嘩をしてしまった。でも彼があんな酷い事を言うからだ。


 「…せっかくの夜なのにどうしたんだ。いいよ、理由は聞かない。落ち着くまで待ってるから、ゆっくり歩いていこう。別に何があるってわけじゃ無い。そりゃ多少のお祭り騒ぎは用意されてるけどね。

マグノリアンのデビューで待ち構えてる向きもあるだろうし、俺も早々にマグノリアンを取られたく無いし。ちょっと落ち着くまで寄り道して行こうか?」

ヴァルが気遣ってくれて、脇道へと進路を変えた。このまま行くと幻想の原っぱへ出るだろう。


 僕は思わず慰められて微笑むとヴァルに話し掛けた。

「…僕が落ち込んでると、ヴァルはいつもここに連れて来るね。僕のお気に入りの場所だから?」

僕は少し気分が晴れてきたのを感じながら周囲を眺めた。少し先に行くと小さな光る虫がふわふわと飛び交う原っぱだ。するとヴァルは立ち止まって僕を見下ろした。

「ああ。俺はマグノリアンの泣き顔に弱いんだ。俺がマグノリアンに贈ったその腕輪は、ここで採取された喜びの花で染めたんだ。いつもマグノリアンに喜びが訪れる様にって。

…でも効果無かったみたいだな。」


 いつもと違う表情で僕を見つめるヴァルに僕は戸惑った。満月の君の彼はこの腕輪を見てなんて言った?求愛の贈り物だと言ってなかった?ああ、もしかして彼の言う事はあながち間違っていなかったのかもしれない。

だってヴァルが見た事も無い顔をして、長い濃い金髪を僕の側に垂らして顔を近づけて来るから。緑色の瞳に捕らわれて、僕はもう逃げる事もできずにヴァルの口づけを受け入れていた。

ああ、僕は彼の言う様に強かな人間なのかもしれない。でも僕には幼馴染の大事なヴァルを押し退けることなんて出来ただろうか?



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