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オメガの日常

真実は何処に

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 またここに来ている。桐生省吾は陽太のマンションが見える道路に立ち止まって、このまま歩き進んで部屋のチャイムを鳴らすか、このまま踵を返して帰るか迷っていた。

 サークルの後輩から驚くような事を聞かされて、まだそれが何かの間違いだと思いつつも、一方で陽太がオメガだと言うのが何処かピッタリくるのを感じている。


 あの体調不良も関係があるとすれば、自分が慌てて調べた項目にあった変異オメガが一番しっくりくる。実際陽太がベータだったのは間違いない。

 4月からセフレとして陽太と身体を合わせていた省吾にとってみたら、それは当たり前の事実だ。ただ、関係が壊れる間際に溺れるように身体を交えたあの時、陽太が言った言葉が今更ながらはっきり思い出される。


 ゴムをつけてくれと頼んできたあの時、もし陽太がオメガに身体が変化しつつあったと言うなら、それはベータの身体より必死になって願う事なんじゃないのか。

 二人の関係性が変化し始めてから俺はゴムをつけなくなった。陽太が俺を脅かす存在ではないと知っていたから、その必要を感じなかったせいもある。

 そして陽太もそれを望んでいる節があった。だからあの時急にそう言われて、違和感を感じなかったと言う訳じゃない。


 こうして過去のあれこれをなぞるより、陽太に会えば簡単に確認できると言うのに、俺はここで立ち止まって躊躇している。

「拒絶されるのが怖いのか、俺は。それともオメガになってしまった陽太が怖いのか?」

 今でも陽太がもしオメガになってしまっていたら、それをどう感じるのか自分でも分からない。昔からオメガは苦手だった。アルファに擦り寄って来てヒートを使ってアルファを意のままのする、そんな事例ばかり見て来たせいもあって、何処か嫌悪感が先に立った。

 一方で尊敬する従兄弟のように、運命の番と言わんばかりにお互いの事しか見えなくなっている事に、何処か呆れと僅かな憧れを持っているのも確かだった。


 とは言え自分がそんな風に絡め取られる事には、やはりゾッとしてしまう。だから変わってしまった陽太に会うのが怖いのかもしれない。

 …ベータの時でさえ陽太は俺自身を見てはくれていなかった。そんな青臭い考えに思わず苦笑すると、省吾はマンションに向かって歩き出した。以前なら家にいる時間だったけれど、居ないかもしれない。むしろ居ない方がホッとするかもしれないと省吾はもう一度苦笑した。

 オートロックではないこの建物は、直接部屋の扉のチャイムを押す事になる。チャイムを押してしまってから、省吾は誰か別の人物が一緒かもしれないという予測をしていなかった事に気づいた。

 とは言え今更逃げ出すことも無理だ。逃げる?なぜ俺が?


 「…、桐生先輩?」

 インターホンのレンズを睨みつけるようにしながら、省吾は静かな夜の外廊下に響く懐かしささえ感じる音声を味わった。

「ああ、俺だ。話がある。」

 繋がった部屋の音声に別の存在を感じるか窺う様に神経を張り詰めさせながら、省吾は何を話すかも決めかねたまま言葉を続けた。扉に近づく足音と、カチリという玄関が開く耳に慣れた音を拾って、省吾は緊張を感じながら扉が開くのを待った。


 「どうして…?」

 少し緊張した表情を浮かべた陽太が、掠れた声を出して自分を見上げている。ああ、俺の目は節穴だった。サークルの部室で陽太をなじったあの時の陽太と、目の前の陽太はそこまで違いがある訳じゃない。けれど、こうして客観的に見れば陽太はベータには見えない。

 滲み出るような微かなそのオメガのフェロモンを感じて、省吾は手を伸ばさないように拳を握った。

「どうして?…陽太こそ俺に何か言うことがあるんじゃないのか?」


 すると動揺を隠す様に無意識だろうが陽太が首元に指を伸ばすのを見て、省吾は我慢出来なくなって両手を伸ばした。

 相変わらず細い腰を片手で引き寄せながら、驚いた表情の陽太のタートルネックを空いている方の手で引っ張り下ろす。そこには首に沿ったネックガードが巻き付いている。

「離してください!」

 悲鳴に似た陽太の焦った声を無視して、省吾は陽太に裏切られた気分で唇を引き攣らせた。

「…こんなに大事なことを黙っていたのか。いや、隠していたんだな。」


 非難めいた言葉が溢れたものの、一方で今考えれば身体の変化に苦しんでベッドに横になっていた陽太の姿を思い浮かべている。なぜ自分に相談してくれなかったのかと、何処か悔しい気持ちに支配された。

 身体を引き剥がした陽太は身体ごと横を向いて省吾と目を合わせようとしなかった。タートルネックから覗く白い首筋が脈打っているのがわかる。それから目を逸らす事も出来ずに、省吾は陽太から立ち昇るフェロモンを浴びた。


 ああ、知ってる。この匂いは時々陽太から微かに感じていたものだ。結局自分が執着していたのはそのせいだったのだろうか。目の前の陽太は息を吸い込むと、頬を紅潮させて省吾を責め立てる様に言い募った。

「隠すしかないでしょう?先輩は僕がベータだったから一緒にいたんだから。先輩の嫌ってる後天性オメガになってしまった僕が用済みになるのは分かりきってた。だから僕から離れてあげたんだ。

 黙ってた僕が悪いの?本当に?」


 陽太の強い眼差しに射すくめられて、省吾は黙り込んだ。だけど、省吾にも言うべきことはある。

「お前はどうしてそう自分で決めつける?俺がオメガを嫌ってるって言ったか?俺は図々しいオメガが苦手だって言っただけだ。それにお前がベータだから付き合ったって?俺はベータとセフレになった事などお前以外にはいないけどな。

 やっぱりお前は俺を勝手に決めつけて、向き合おうとしないんだろ?

 …もう体調の方は良いのか?」


 省吾の言葉に呆然としていた陽太は、何処か気が抜けた様にぼんやりして、それから俯いて言った。

「…僕は先輩の事になると間違っちゃうんだ。自分に自信が無くて、嫌われたら耐えられないって逃げ出す事に必死になって。」

 目の前で項垂れる陽太はひどく儚げで、省吾は考える間もなく引き寄せた。少なくとも陽太はベータからオメガに変異した。バース性が変わるなどという事が、どんなに大変なことか想像に難くない。


 「…中川はお前が変異する際に助けてくれたんだな。バース性に詳しいあいつが居たお陰で、陽太は助かったんだろう?」

 腕の中で大人しくしている陽太は、何処か疲れた様子で省吾の肩に頭をもたせかけた。二人の関係がある時でもそんな風に身を預けて来た事はなかった気がして、省吾は何だか落ち着かない。

「体調不良の僕が後天性オメガのせいだって、僕より先に気づいたのは彼だよ。お陰で僕は随分マシな後天性オメガへの変異になったんだ。それでも死にそうに辛かった。先輩にもう二度と会わないって決めてたから、それも辛かった。」


 省吾はこの経験のない湧き上がる何かに狼狽えた。一度冷静にならなくてはダメな気がする。腕の中で自分に甘えている陽太を引き剥がす様にして、省吾は自分の顔が熱いのを自覚しながら後ずさった。

「…陽太、俺に時間をくれ。俺はアルファだ。オメガを自分のフェロモンで支配するのは簡単なんだ。だけどお前をそうしたい訳じゃない。お前はベータやオメガである前に田中陽太だ。

 今度はちゃんと向き合いたいんだ。セフレみたいな雑な関係じゃなくて…。俺にまだその機会はあるか?」


 目を見開いた陽太は黒目がちな瞳をじっと俺に向けると、それから見たことのない蠱惑的な笑みを浮かべて赤い唇を動かした。

「先輩、僕は田中陽太だけどオメガなんだ。それは逃れようがないし、切り離せない。先輩が桐生省吾だけどアルファである様にね。…ベータだった頃の僕とは多分変わってしまったんだ。

 先輩はそんな僕でも、そんな風に考えてくれるのかな。もう居なくなった僕を探したりしないかな。」

 陽太の笑みは、悲しみを浮かべた笑みに変わっていた。


 もしかして自分は、目の前の陽太を手に入れるチャンスを逃してしまったのだろうか。一瞬の躊躇いが陽太を遠ざけてしまった気がして、省吾は何を考えているのかわからない陽太と黙って見つめ合う事しか出来なかった。


 
















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