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オメガの日常

オメガの人生

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 僕は今、アルファである中川君の家の前に立っている。懐かしくも辛い記憶の刻まれた研究所の裏側に位置する、無駄を削ぎ落とした印象を与える角張った建物が中川君の家なのだそうだ。

「予定とは変わったけど、ケーキも買ったしウチで我慢してくれるかい?ここなら話の内容を気にせず話せるから。どうぞ、入って。」

 中川君が玄関脇の画面に顔を近づけると、カチリと玄関が開いた。

「もしかして虹彩認証なの?」

 興味津々の僕がそう尋ねると、中川君は柔らかく笑みを浮かべた。

「それも含むかな。研究所と同じくらいのセキュリティはあるかもね。父がこの手の最新版に目がないから。」


 自宅のセキュリティが厳重なのにそこそこ驚いたけれど、よく考えたら中川君の家業は薬品の研究などの機密の多い仕事だった。それも当然なのかもしれない。

 僕は挨拶をしながら、開放感のある広々とした玄関ホールに足を踏み入れた。吹き抜けの高い位置にある細窓から夕陽の赤い光がタイル敷きの床に落ちて、ちょっとした現代アートの美術館みたいだ。

 奥に続くスペースとは別に螺旋階段も見えて、かなり広い家に感じる。

「斎藤さん、これお茶と一緒に私の部屋に運んで下さい。」

 奥から顔を覗かせた中年の女性に一緒に選んだケーキの箱を渡すと、中川君は先に立って螺旋階段とは反対の廊下に歩き進んだ。僕は大学の友人の家に遊びに来るのは初めてだと考えながら、彼らアルファの実家の太さに改めて舌を巻いた。


 
 「ああ、そこに座って。」

 中川君の自室はまるで広いワンルームマンションの様だった。小さなキッチンスペースまである。もしかして本当に水回りまであるのかもしれない。

 仕切りの奥にベッドがあるのを何となく見ない様にして、僕はティーテーブルの前の革張りの3人掛けソファに座った。目の前に広い芝の庭が広がっていて開放感があった。ひさし代わりののきがテラスの上に張り出していて、外からの視線を上手く遮っている造りになっている。

 
 部屋のコーナーにあるデスクの上が少し散らかっているのを親近感を持って眺めていると、中川君は苦笑して僕に言った。

「まさかここに来てもらうとか想定外だから散らかってるけど、気にしないでくれ。」

「ふふ。僕はどちらかと言うと完璧じゃない事に正直ホッとしてるよ。ほら、中川君はただでさえ聖人君子っぽいからね?あんまり完璧だとこっちが恐れ多くなるでしょ?」

 そんな話をしていると、家政婦さんらしき先程の女性がお茶の用意をして届けてくれた。


 大きなトレーの上にはさっき駅前で一緒に買ったケーキとコーヒー、そして箱に入った美しいチョコレートが一緒に並んでいた。中川君と一緒にローテーブルにそれらを並べると、中川君は僕の顔を見て少し笑った。

「ふふ、田中は本当に甘いものに目がないみたいだね。このチョコレートは私のお気に入りの店のものだよ。頭を使うと甘いものを食べたくなるだろう?そんな時はこのチョコレートが至福の味わいだよ。」


 何味なのか、全てがキラキラとデザインを変えてある高級なチョコレートを眺めながら、僕はひと口コーヒーを飲んだ。自分でも簡単にコーヒーを淹れるけれど、いまいち美味しさが分からない。

 けれど、今口にしているコーヒーは確かに美味しいと思った。

「美味しい…。僕も自分でこんな風に癒される美味しいコーヒーが淹れられると良いのに。中川君は幸せだね。望めばこんな美味しいコーヒーが飲めて。」

 
 中川君も僕に釣られる様にゆっくりコーヒーを味わった。

「普段当たり前に飲んでいるコーヒーも、田中の違った視点が入る事で新しい見方を与えるんだね。斎藤さんの料理は一流だけど、そう考えるともしかしたらバリスタの腕もありそうな気がしてきた。今度聞いてみるよ。」

 それから僕らは取り留めない話をしながら美味しいケーキを頂いた。ケーキショップで僕が手土産として買うと言ったのだけれど、中川君に頑なにそれを拒まれてしまった。美しいケーキは味わいも美しい。


 「…美味しいケーキを食べると、ホッとするね。頭を使った後だから余計に。」

「田中が喜んでいるのを見ると、何だか餌付けしてる気分になるね。やっぱり私は田中がオメガに変容するのを見守ったせいで、庇護欲が増したみたいだ。」

 そう笑みを浮かべながら、中川君は自分の唇についた白い生クリームを指先で拭った。何とも絵になる男だと思った。スラリとした優等生の眼鏡理系男子とケーキの取り合わせはギャップ萌えとでも言うのだろう。


 「…ところでさっきの話に戻るけど、田中はオメガの正解を知りたいって事だったよね。自分の事を淫乱だって言ってたけど、どうしてそう思ったのかな。」

 ケーキを食べ終わって人心地ついていた僕は、いきなり中川君にそう尋ねられて喉が詰まった。慌ててコーヒーをひと口飲むと、横に座って僕の答えを待っている中川君から視線を逸らして呟いた。

「改めて聞かれると言いづらいね…。あの、オメガってヒートじゃない時もそう言う状況の時に訳が分からなくなるものなの?それとも僕がアルファのフェロモンに免疫が無さすぎて影響されやすいってだけなのかな。」


 

 誠は田中の言葉を解読しようと、自分の頭の中が凄い勢いで回転しているのを感じた。田中が懇意にしているアルファは桐生省吾だけではなかったのか?不特定多数を相手にする様な性格ではない陽太が、知り合いでもない相手とその手の事を済ますとは思えない。

 とは言え、この善良で押しに弱い田中は状況によってはアルファに丸め込まれそうだ。実際うかうかとアルファである自分の部屋に着いてくる辺りも、その警戒心の無さに寄るのだから。

 誠は小さくため息をついて田中の方へ少し身体を向けて言った。


 「確かにオメガはベータよりアルファのフェロモンをダイレクトに感じやすいよ。後天性オメガの田中が普通の成長を経たオメガよりその影響を受けやすいかと言われたらそうだろうね。

 思春期で経験する最初の発情期であるヒートは結構な衝撃だ。ヒートに触発されるアルファのラット自体は、最近は抑制剤の効きが良いからそこそこ理性を飛ばす様な事はないけれど、オメガのヒートに関してはアルファ程には抑制剤が効くわけじゃないんだ。

 それはうちの会社の課題でもあるよ。そう言う意味では未だにオメガは暗黒の時代を引き摺っている。」


 「…暗黒の時代?」

「…ヒート、いわゆる発情期を持つオメガは、自身も周囲の人間にとっても昔は危険な存在だった。そうだろう?ベータ以上にオメガのフェロモンに影響されてラットを誘発されるアルファにとっては、忌々しい存在だったんだよ。愛する相手ならともかく誰でも理性を吹っ飛ばされるんだ。困るだろう?

 勿論オメガにとってはもっと話は深刻だ。いつ起きるか分からないヒートに怯えて生活することになる。下手するとレイプ紛いの酷い目に遭う。それも高確率で妊娠もセットだ。意にそわぬ相手と番にさせられて、場合によっては捨てられたオメガの身体は番以外を拒絶する。ヒートの度に焼け付く様な地獄だ。

 だからオメガの家族は、ヒートが起きる年頃になると家に軟禁するしかなかった。そして早々にアルファと家同士の結婚をさせて番にする。それがオメガの人生に自由を与える方法だった。

 今はアルファの抑制剤がよく効くから、オメガがヒートになろうと事故が起きる様な事は少なくなった。番解消の薬も登場したしね。ただ、オメガのヒートに関しては起き始めたものを止める様な薬は今のところ無い。まだオメガは自分のバース性に振り回されているんだよ。」


 真剣な表情で私の話を聞いている田中が少し青褪めているのを見つめて、誠は慰める様に膝の上で握りしめられた田中の手を握った。

「とは言え周囲のオメガを見てもわかる通り、今の時代のオメガは自分の人生を歩めている、だろう?田中はそんな時代のオメガなんだ。油断し過ぎても駄目だけど、過度の心配は要らないよ。」

「…僕、この身体になって色々な事が見えて来たんだ。妊娠、出産する身体の覚悟だとか、ベータの頃には考えもしなかったバースフェロモンに振り回されると言う意味、今まで何でも無かった事がそうじゃなくなるオメガの性…。

 中川君、今更ながら自信がなくなって来ちゃったよ。僕みたいのがオメガとしてやっていけるのかな?」

















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