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オメガの日常

リスク

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 緊張しないでおこうと思いつつも、自分の変化がどれだけ周囲にバレるか分からない事もあって、陽太は校舎のガラスに映る自分の姿をチラ見した。

 秋物で重ねた服は首元を隠せるせいで、自分では以前と全然変わらない様に思える。弦太の言う様に、オメガフェロモンさえ感じさせなければ何となく違和感のあるベータの男として突き通せるだろう。


 「よお、田中。何自分に見惚れちゃってんだ?」

 丁度同じ授業を取っているクラスメイトが数人、僕を揶揄いつつ声を掛けてきた。僕は笑って誤魔化しながら一緒に歩き出した。

「おはよう。ゴミがついてた気がして見てただけだよ。考察のレポート提出した?」

 教授のレポートの多さに愚痴を言い合いながら、僕らは理工学部の教室へと入って行った。先だっての体調不良で休んだせいで、授業のレポートの評価が気になる僕は、中川君に教えてもらいたい箇所があった。


 教室の人だかりの中心に中川君はいた。中川君の取り巻きはいつものメンバーで、いつも僕を睨んでくる女子のオメガと、やっぱり綺麗で華奢な男子のオメガ、顔ぶれの変わるベータの男子が二、三人。そして中川君と時々一緒にいるアルファの男子だ。

 中川君曰くは、高校時代からの知り合いも含まれているみたいだけど、いかにも別格な雰囲気を醸し出しているあの集団に圧倒されて、僕を含む多くの学生はあまり近づかない様にしていた。


 だから中川君と話すのは諦めて、僕は教室に一緒に来たクラスメイトと前の方の席に座ってパソコンを開いた。

「おい、中川がこっち見てたぞ。最近、おたく達仲良しじゃなかった?良いのか、中川様放っておいて。」

 考えより先に言葉が出る同期の渡辺にそう話しかけられて、僕は苦笑してレポートの仕上げをチェックし始めた。

「中川君は誰にでも親切だから。僕だけに優しくしてくれる訳じゃないでしょ。それより中川様って何?」

「どう考えてもピッタリだろ。セントラル薬品の後継者としても注目されてるけど、圧倒的に切れ者だからなぁ。三年次から始まる研究室からの勧誘ももう始まってるらしいし。場合によっては特別枠で二年次から顔出すんじゃないか?」


 渡辺の予測は、普段の振る舞いも大人びている中川君には自然な事に思えた。一方で周囲の勝手な期待に能力のある中川君は応えようとしてしまうだろう事も想像出来た。

「中川君が飛び抜けてるからって、周囲があんまり期待するのも彼には負担になる気がするけど。本人が望んでるなら別だけどね?」

「おはよう、田中。そうだな、私の希望を言えばまだのんびりやっていたいかな。」

 中川君に突然そう話しかけられて、僕と渡辺は文字通り飛び上がった。中川君はクスッと笑うと、僕の隣の席にさっさと座った。さっき一緒に居た取り巻き達は、窓際の席に置いてけぼりになっている。


 取り巻きの、特にオメガの女子の睨む様な視線を感じながら、僕は取り繕う様に微笑んだ。

「中川君…。おはよう。あの、良いの?あの人たち中川君と一緒に座りたかったんじゃないの?」

「別に約束してる訳じゃないよ。どちらかと言えば私はひよこちゃんのご機嫌伺いの方がしたいかな。」

 中川君がそんな言い方をするので、渡辺が目をぱちくりしている。

「ああー!ヒヨコね!?中川君ヒヨコ好き?そうなんだ!」

「…ふふ。そうなんだ。私のひよこちゃんの機嫌は良さそうだよ。ぷっ、あはは。」


 珍しく笑い出す中川君の様子に、隣の渡辺がますます目を見開いてソロソロと顔を背けた。分かる。アルファが、特にクールな中川君みたいなアルファがそんな風にご機嫌だと何事かと思うよね。

 でも僕はそうやって逃げられないよ…。取り巻きのメンバーがこっちを見てヒソヒソしてるのが目の端に映ってますます居心地が悪いし。

「そうやって僕を揶揄っておもちゃにしてるなら、僕も中川君を大いに利用させてもらうよ?この考察のレポートのここなんだけど…。」

 すっかり機嫌の良い中川君を睨みつつも、僕はちゃっかり手伝ってもらってレポートを完成させた。まったく、本当出来が良すぎる!



 「田中は今日の授業何コマ?…一緒にお茶でもどうかと思ってね。待っててくれるかい?じゃあ、16時に中央カフェで待ち合わせしよう。」

 身体の事を中川君に報告したいと言うのもあって、僕は中川君の授業が終わるのを待つ事にした。中央カフェは以前先輩がアルファの女子に水を掛けられた所だったので、僕は周囲を見回して先輩の姿を探した。

 顔を合わせて無視されるのはまだ怖いので、姿が見えない事に思いの外にホッとした。待ってる間に弦太のたわいも無いメッセージに返事をしながら、僕はあの時の言葉を思い出していた。

『俺が付き合ってやるよ。好きなだけ。…いっそ付き合っちゃう?』


 アルファのフェロモンに慣れるための訓練に付き合う?恋人として付き合う?どっちにでも取れるその言い方に弦太の優しさを感じる。僕が先輩とダメになったばかりだと言うことをよく知ってるせいで、逃げ道をくれてる気がするから。

 …弦太と恋人として付き合ったら、きっと楽しいだろう。ああ見えて繊細な弦太は先輩と違って僕を悲しませる様な事もしないだろう。見た目だって、ましてや夜の相手としても望むべくもないのは分かっているのに、それでも僕は先輩がこのカフェに姿を見せたら、目を離せないのを知っていた。


 そんな状況の僕が弦太と付き合って、まして恋人になるのはダメだと思う。先輩を見ても心が動かなくなるまで、僕は誰かを好きにならないだろう。ままならない気持ちにため息をつきながらスマホを閉じて顔を上げると、中川君の取り巻きのオメガ女子とあまり見かけない男子学生が二人でこちらへ近づいて来ていた。

 嫌な予感がして誰か知り合いでも居ないかと見回しても、ここは理工学部のカフェじゃないので知り合いは見つからない。それに中川君はまだ授業中で約束の時間までまだたっぷり時間がある。


 誰が見ても明らかに綺麗で儚げな中川君の取り巻きのオメガ女子は、僕のテーブルの前に立った。

「田中君よね?話があるのだけど、ちょっとお時間あるかしら。」

 僕は緊張を滲ませて、いつもと違って優しい眼差しをしている彼女を見つめた。いつも僕を睨んでくるので気付かなかったけれど、彼女は凄く可愛い。男子の多い理工学部に在籍してるのだから、隣に立っているベータの男は彼女の取り巻きの一人なのかもしれない。

「…何?僕、ここを離れたくないんだけど。」


 二人は顔を見合わせると男の方が先に口を開いた。

「美羽さんから相談された時は驚いたよ。ちょっと身の程を知って貰いたいな君。中川君は将来を約束された人だってのは分かるだろう?君みたいな普通のベータが強引に気を引くのは彼の迷惑だとか思わないか?

 俺は高校時代から二人を知っているけど、ずっとお似合いの二人の間に割り込む様なことはやめて貰いたいね。」

「…幸太君、田中君の事をそんな風に責めないで。田中君はきっとアルファの中川君の素晴らしさに目が眩んだだけだと思うの。彼は実際誰が見ても素敵だし、誰にでも優しいでしょう?勘違いした田中君が図々しいことは責められないわ。ね、そうでしょう?」


 僕を援護している体で、何気にけなしてくる目の前の女子の底意地の悪さを感じて、僕は腹が立ってきた。中川君が誰と仲良くしようが彼の自由であって、周囲の人間にそれをあれこれ言われたくはないだろう。

 それは僕も一緒だ。僕は顔を強張らせてムカついたまま口を開いた。

「そうだね。何が図々しいかは見解が分かれると思うけど、少なくとも中川君が可愛がっているひよこの事を知らない君が色々忠告できる立場には無いと思うよ。」

「…何を言っているの?ひよこ?中川君がそんなの飼ってるなんて聞いたことがないわ。」


 僕は二人が戸惑った様に顔を見合わせるのを見て、胸がすく一方で余計な事を言ってしまったと後悔し始めていた。少なくともこの事を中川君に知られたら気まずい。まるで僕が中川君に可愛がられているって自慢してるみたいだし。

「…何言ってるんだ、こいつ。美羽さん、この男が中川君と仲が良いって勘違いなんじゃ無い?ベータにしては可愛い顔してるけどオメガって訳じゃないし美羽さんが心配する必要はないよ。

…おい、忠告したからな。中川君にこれ以上近づくなよ。」


 歩き去る二人の後ろ姿を見送りながら、僕がオメガだと彼らが知ったらまた対応が違ったのだろうかと考え込んでしまった。あの女子にますます敵視されて、もっと酷い事になったのは想像に堅くない。

でも中川くんのひよこなのは僕だと、少し面白い気持ちで腹立ちを鎮めた。…とは言え彼らの言うとおり中川君みたいな目立つアルファの側にいるのはやっぱりリスクかもしれない。今の目立ちたくない僕には特に。












 













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