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生まれ変わる

作法

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 「疲れた…。」

 ドサリとベッドに転がって、僕はこのカミングアウトの余波に呻いた。一体なぜあんな事になったんだろう。途中までは弦太との楽しい食事だった筈だ。

 そして勇気を振り絞ったカミングアウト。ここまでは僕も想定内だった。だけどネックガードから始まったアルファとオメガの作法の話からの展開に僕はすっかり翻弄されてしまった。

 弦太が顔を顰めて無防備らしい僕に色々教えてくれるというのは、まぁありがたいと思った。でもそれがあんな事になるだとか思わないよ…。


 僕はさっきまでの出来事を思い出して、思わずベッドから起き上がった。今も身体に弦太の匂いが纏わりついている気がする。オメガ成分が増してる自分の身体の反応なのか、ベータの時にはあり得ない行動を取ってしまった。

 幼馴染なのに、アルファなら誰でもこうなってしまうのだろうか。

 …自分の身体が怖い。

 桐生先輩のアルファのフェロモンで、ベータの時も身体を触れ合わせていれば興奮が高まる事はあった。けれど僕の先輩への想いのせいだった気もする。

 けれどもオメガの身体が全てのアルファのフェロモンに反応してしまうとすれば、我ながらゾッとする仕上がりだ。

 
 店を出ながら考え込んだ様子の弦太が、自分の分の支払いをしようとする僕を押し留めて言ったんだ。

「復帰祝いって事で奢らせて。今度お茶でも奢って貰うから、な?…それより早急に陽太に色々教える事があるんだ。そうじゃないと、あっという間に困った事になるぞ。俺に任せてくれる?まだ時間あるだろ?」

 矢継ぎ早に畳み掛けられたその勢いと感情の読めない弦太の笑みに、断ることは出来なかった。実際一人で大丈夫とは思えなかった。でもそれから始まるあのレクチャーを知ってたら、僕はうかうかと着いていかなかったと思う。今思い出しても恥ずかしくて堪らない。

 僕らは幼馴染なんだから、あんな事をすべきじゃなかった…。たぶん。



 何だか機嫌の良い弦太に引き摺られて、僕は見上げる様なシティホテルに連れ込まれた。

「ちょっとした実験と実践をしなくちゃいけないから、個室が良いんだ。そこら辺でやるにはリスクがあり過ぎるし、陽太を危険な目に遭わせたくないからな。あ、俺は暴走しない様にちゃんと抑制剤飲むから安心して?」

 そこまで聞いて、僕は一気に不安が押し寄せて来た。けれど何も知らない僕には目の前の幼馴染を信用するしかなかった。

 慣れた様子でロビーのカウンターでカードキーを受け取った弦太は、さっさと僕をエレベーターへ押し込んだ。


 「…陽太は抑制剤持ってる?」

 僕はトートバックの中を覗いて、黒いポーチが有るか確認した。オメガになってから必ず持ち歩く様に言われたあれこれが入っているポーチだ。なぜかエレベーターの端に寄りかかっている弦太に頷くと、取ってつけた様な笑み浮かべて少し落ち着きなく首に手を当てた。

 弦太が首に手を当てる仕草は、落ち着きたい時にする癖だったと不意に思い出した。もしかして弦太もこの展開に戸惑っているのだろうか。

 「なんかごめん。無理にこんな風に教えて貰う事になっちゃって。ここまで来てあれだけど、もし迷惑なら今からでも…。」


 僕がそう言うと、弦太は身体を起こして僕の手を握って言った。

「迷惑じゃない。ちょっと色々展開が目まぐるしくて少し動揺してるだけだ。ほら、オメガのカミングアウトされてビックリした上にやる事いっぱいだって気づいたからな。

 でもこれは俺が陽太に教えておきたい事だから、俺の望みでもあるんだ。だからそんな風に考えなくて良いよ。」


 これ以上何を言って良いか分からなくなった僕は、弦太に掴まれた左手を預けたまま心地良い静けさの中を歩いた。カードキーをかざすとカチリと電子音がして、弦太が部屋の扉を押さえて僕を先に行かせた。

 目の前に高層ビルが並ぶ見晴らしの良いホテルの一室は、大学生がうかうか使う様な部屋じゃない気がした。

「ここって高いんじゃない?見晴らしも良いし。あ、タワー迄見える!」

 少しテンションの上がった僕はバックを持ったまま窓ガラスへと顔を寄せた。そう、非日常にここに来た目的をすっかり忘れてしまっていた。


 その時、甘い匂いと共に首筋がゾワゾワして肌の表面が鳥肌立った。胸の先端が硬く尖る自覚に、ハッとして弦太の方を振り返った。弦太はツインのベッドの側に突っ立って、僕をじっと見つめている。

「今、俺のフェロモンを陽太にぶつけたんだ。感じるだろ?…これが陽太のオメガフェロモンか。…なんだろ。癖になる様な良い匂いだ。でもさっき迄は全然感じなかったから、俺のアルファのフェロモンに誘因されたんだ。

 アルファはものにしたいオメガが居たらこうやってフェロモンで誘う事がある。マナーが悪いから普通はしないけどな、そう言う場所では当たり前にする。」


 僕は心臓がドキドキして、身体が気怠くなっていた。胸や下半身がじわじわと熱を持ってくる。これはマズイ兆候だ。そう思った瞬間、後ろが濡れてしまった。

「弦太、僕…。」

 震える指先で自分の身体を抱きしめながら、暴走し始めた身体をコントロール出来ない事に絶望を感じる。欲望が膨れ上がって叫び出しそうだ。

 不意に僕に掛けられた圧のようなものが弱くなって、僕はホッと息をついた。さっきの弾けそうな強引さは感じないけれど、身体の疼きは残ったままだ。

「…ちょっと待ってろ。最初は弱い気がしたけど結構後からくるな、陽太のフェロモン。」


 僕はその時、中川君が研究所に顔を見せた時の事を思い出した。

 無闇やたらにオメガフェロモンを放出してた時、抑制剤を飲んでいる筈の中川君に不意に抱きしめられてしまった。それからネックガードの側の皮膚に鼻を押し当てて、深々と体臭を嗅がれた。

 慌てる僕に中川君はうっそりと笑って、戸惑って見上げる僕の頬を指の背で撫でて呟いた。

『この匂いは知られない様にしないと。普通のオメガとは別ものだからね。田中のフェロモンは脳の奥に刻み込まれる様な癖になる匂いなんだ。近づくアルファに気をつけて…。』


 もう手遅れだった。少なくとも幼馴染のアルファには僕のフェロモンを知られてしまった。動揺する僕から離れた弦太は、腰に下げた細いチェーンをポケットから引っ張り出した。

 それから先端にぶら下がる銀の小さなケースから薬を取り出して、ドレッサーの前に並ぶペットボトルの水で飲み干した。

「念のため抑制剤飲んでおいた方がいいな。普通のフェロモンなら大丈夫だけど、陽太のは経験がない感じだ。俺はお前を傷つけたい訳じゃないから…。」


 そう言いながらも、弦太の顔は少し紅潮していた。目つきも何だかギラついている。…スイッチ入ってる?

「…僕、こうなったらもう止められないんだ。普通のオメガはコントロール出来るんでしょう?どうやって?」

 弦太は少し困った表情をして、ゆっくり僕に近寄って来た。

「…経験値しかないんじゃないか?普通は14歳ごろバース性が決まるだろう?オメガはヒートも経験するから、その繰り返しでフェロモンの強弱のコントロールが出来る様になる筈だ。…その手の場所でも狙いを定めて誘ってくるからな。」


 「…経験?繰り返す?僕も、そうしなきゃ駄目なの?」

 そう呟きながら、僕は弦太の身体にしがみつきたくて堪らなかった。僕の先輩との経験は、その考えをいとも乗り越え易くしたし、もう目の前の欲情に溺れてしまいたかった。

 研究所でも僕はおもちゃを使ってそれを発散していたんだ。家に帰るまで耐えられるだろうか。それとも…。

 僕と弦太の視線が絡み合って、空気が張り詰めるのを僕はぼんやり俯瞰していた。僕はもう以前の僕じゃない。アルファを手に入れたがるオメガになってしまった。それが僕の答えだった。













 
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