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生まれ変わる
潜伏
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研究所の宿泊室は想像より温かな印象だった。木目がふんだんに使われているせいか、まるでリゾートホテルの部屋みたいだ。僕が手荷物をクローゼット前に置くと、案内してくれた中川君が水回りを色々説明してくれた。
「数値的に安定するオメガに移行するまで、ここを使ってくれて良いから。しばらく大学は休んだ方が良いだろうね。こんな急にフェロモンが不安定になるとかちょっと予想外だったよ。
田中も心配だろうけど、ここはバース専門医も常駐してるし、安全管理には特に力を入れてるから安心してもらって良いよ。
あ、マンションのポストの中身は私が届けるよ。あと、必要な人にはちゃんと連絡しておいてね。…ここを出る時にはネックガードをつける事になるから、田中の体質の変化は近しい人には隠しきれないとは思う。
…まぁ季節的に服で分かりにくくは出来るかな。」
僕は至れり尽せりの中川君に感謝して頭を下げた。
「色々本当にありがとう。僕一人じゃ凄い不安だったから、中川君にこうしてここに連れてきてもらって感謝しかないよ。」
中川君は僕の頬に少しひんやりした手を触れて、瞼の下を少し指で引っ張った。…中川君てお医者さんみたいだ。
「まだ顔色が悪いね。血液検査の結果でまた調整が入ると思う。実際ずっとオメガフェロモンも出てる。私じゃなくても分かるくらいには…。
こちらとしても抑制剤の研究に協力して貰えて助かるから、田中は何も遠慮しなくても良いんだ。看護師も定期的に来るし、必要なら遠慮なくベッドの呼び出しコールを押すんだよ。
…私も毎日顔を出す事にするね。一人じゃ寂しいでしょう?」
僕がはにかみながら頷くと、微笑んだ中川君は僕の頬をそっと指先で撫でる様にして手を離した。心細い今は、中川君が唯一の僕の頼れる人だ。研究対象とされても、こんな環境は正直有り難かった。
先輩とあの日散々貪りあった後、僕は今までになく体調の悪化を覚えた。先輩が帰ってくれて良かった。もし泊まるようなことがあったら僕の様子に仰天して誤魔化しきれなかっただろう。
中川君を見送ってから、僕は思わず苦笑していた。一度も泊まって行った事などないのに、そんな心配は妄想だ。僕は先輩にバレたかったのだろうか。万が一つに僕がオメガでも変わらず側にいるかもしれないという妄想をしてるのかな。
「現実を見ろ…。」
僕はそう呟くと小さなトランクに詰めた荷物を片付けた。いつ具合が悪化するか分からない。でもここだったら安心して寝込んでいられる。大学は検査入院すると各教授や講師に伝えてある。
休学するほど長くは掛からないとドクターも言ってたし。
結局親にはこの身体の事は言えなかった。遠方だし普段からそう連絡をとっている訳でもない。下手な事を言っても心配掛けるだけだ。しかし僕がオメガになる様な遺伝的な要素はどこにあったのかな。
祖父と叔父がアルファなのは知ってる。抑制剤がほとんどなくてオメガが差別されていた昔は、アルファはベータと結婚する事も多かった。実際祖母はベータだった。祖父のアルファと結婚する事で子孫にアルファとオメガの出現率を得たのかもしれない。
だからって後天性?とは思うけど。
考えてもしょうがない事を考えるのは元気なせいかもしれない。さっき処方された薬が効いてるのかな。このまま、こんな感じで身体が変化するのを待つなら随分簡単だ。
僕はテーブルに置いたPCで実験のレポートをまとめる事にした。出来る事はしておきたい。防音も効いてるという言葉通りに、静かな部屋で集中出来た僕は完成したレポートを教授に送ると、PCを閉じた。
すっかり外が暗い。具合が悪くなければ食堂に食べに行っても良いという事だったけれど、研究員ばかりだろう場所に事情のある一般人が紛れ込むのは気後れする。
どうしようかと考えていると、スマホが震えた。中川君からの電話だった。
『体調はどう?もし調子よかったら研究所の食堂で一緒に食事しないか?部屋に迎えに行くよ。』
中川君てどうしてこう察しが良いのだろう。僕はクスッと笑って行きたいと返事をした。
「中川君が来てくれて助かったよ。部外者の僕が一人で顔を出すのはどう考えてもハードルが高くて。」
「そんな事はないよ。実験対象が泊まるのはよくある事だし。まぁ流石に後天性オメガの移行期ってケースは初めてだけどね。研究員たちには田中の事は周知されてるから、心配はしなくて良いよ。
アルファも多いけど、私みたいに基本抑制剤を常時服用してるからね。」
食堂に向かいながらそう言った中川君に、僕は首を傾げた。
「抑制剤を飲まない時もあるの?確か副作用を防ぐために、定期的に飲まない時期を作るって聞いたことがあるから。」
「…一週間くらい空けるかな。その間は田中のフェロモンにクラクラするかもしれないね?ははは、冗談だよ。アルファは普通に生活しているオメガに欲情する訳じゃないから。…ヒートになってたら別だけどね。」
悪戯っぽい表情をした中川君はいつもより年相応に見えた。それなのに眼鏡の奥から自分を見つめる眼差しに、僕は肌がゾワリとして戸惑った。
「田中はオメガになったらいずれヒートも来る筈なんだよ。大抵の後天性オメガは原因不明の体調不良を経て、ある日突然ヒートが起きて大騒ぎになって発覚する事が多いんだ。
ただ、田中は完璧なコントロール下にあるからそうはならない筈だけどね。ただサンプルも少ないし、個人差があるからはっきりとした事は言えないんだよ。
実際、自宅で何とかなると判断が出てたけど無理だったでしょう?」
研究所の食堂は思ったより広くて、見るからにアルファやオメガの人達が行き交っていた。僕みたいにベータの人間を探す方が難しい。
周囲の視線が集まるのも気になってしまった。中川君が一緒じゃなければ、とてもじゃないけど落ち着いて食べる事など無理だっただろう。
「中川君、誘ってくれてありがとう。僕みたいな平凡な人間はちょっと居た堪れない空間だよ、ここって。」
僕が心からそう言うと、中川君は微笑んで食後のコーヒーをひと口飲んだ。
「…田中は自分の事が分かってないみたいだね。君が経済学部の桐生省吾と関係があるのは、自分の魅力だと思わないの?彼は上位アルファだよ。私が思うに田中は平凡ではないよ。平凡だと言うなら、あの男が君と関係を続けるのは理屈に合わない。」
僕は中川君に先輩との関係を知られていた事に文字通り凍りついた。
「…ごめんね。カフェで桐生省吾が女子に水を掛けられた時、君が助けたって話を耳にしたんだ。だからオメガに分化したきっかけは彼だろうと当たりをつけてた。やっぱりそうだったんだね。
君はじわじわと変化してる。側にいると気づきにくいけど、大学前の田中を知ってる相手だったら明らかに違うって気づく筈だ。肌のキメや、白さ、全体のしなやかさ、外見だけ見ても田中は前よりずっと綺麗になってる。自分じゃ気づかないのかなぁ。
田中はオメガの人を見て綺麗だって思わない?思うでしょう?」
「綺麗って…。そんな筈ない…。」
僕は思わず俯いていた。先輩との事を知ってるのは中川君だけじゃないかもしれない。あのカフェでの出来事を見ていた学生はかなり居た。僕と桐生先輩との醜聞、いや、アルファなら当たり前の関係は、全然秘密でもなかったのかな。
「…僕は誰にも桐生先輩との関係を知られたくなかったんだ。先輩は僕がベータだから関係を持ったんだし、オメガ嫌いの先輩はこうなった僕には目もくれないって分かってる。」
思わず吐露してしまった胸の内を黙って効いていた中川君は、僕の手を形の良い手で包んでそっと握った。
「田中と桐生省吾の関係に気づいている人は殆ど居ないと思うよ。私は君の事を観察してたから気づいただけだし、確信は無かったから。田中は誰にでも優しいし外見もそんな雰囲気だから、あのカフェの話だってその延長だと思う人が殆どだろうね。
ぶっちゃけて言うと私も最初は君を研究対象として見てた口だけど、君の内面に触れて友人になりたいと思った。そして今は友人以上の気持ちで君を守ってあげたいって思ってるんだよ。
…とにかく今とオメガになった後では物事の受け止める感じ方も変わるだろうから、色々考えずによく休んで。それが今田中に出来る一番の事だよ。」
「数値的に安定するオメガに移行するまで、ここを使ってくれて良いから。しばらく大学は休んだ方が良いだろうね。こんな急にフェロモンが不安定になるとかちょっと予想外だったよ。
田中も心配だろうけど、ここはバース専門医も常駐してるし、安全管理には特に力を入れてるから安心してもらって良いよ。
あ、マンションのポストの中身は私が届けるよ。あと、必要な人にはちゃんと連絡しておいてね。…ここを出る時にはネックガードをつける事になるから、田中の体質の変化は近しい人には隠しきれないとは思う。
…まぁ季節的に服で分かりにくくは出来るかな。」
僕は至れり尽せりの中川君に感謝して頭を下げた。
「色々本当にありがとう。僕一人じゃ凄い不安だったから、中川君にこうしてここに連れてきてもらって感謝しかないよ。」
中川君は僕の頬に少しひんやりした手を触れて、瞼の下を少し指で引っ張った。…中川君てお医者さんみたいだ。
「まだ顔色が悪いね。血液検査の結果でまた調整が入ると思う。実際ずっとオメガフェロモンも出てる。私じゃなくても分かるくらいには…。
こちらとしても抑制剤の研究に協力して貰えて助かるから、田中は何も遠慮しなくても良いんだ。看護師も定期的に来るし、必要なら遠慮なくベッドの呼び出しコールを押すんだよ。
…私も毎日顔を出す事にするね。一人じゃ寂しいでしょう?」
僕がはにかみながら頷くと、微笑んだ中川君は僕の頬をそっと指先で撫でる様にして手を離した。心細い今は、中川君が唯一の僕の頼れる人だ。研究対象とされても、こんな環境は正直有り難かった。
先輩とあの日散々貪りあった後、僕は今までになく体調の悪化を覚えた。先輩が帰ってくれて良かった。もし泊まるようなことがあったら僕の様子に仰天して誤魔化しきれなかっただろう。
中川君を見送ってから、僕は思わず苦笑していた。一度も泊まって行った事などないのに、そんな心配は妄想だ。僕は先輩にバレたかったのだろうか。万が一つに僕がオメガでも変わらず側にいるかもしれないという妄想をしてるのかな。
「現実を見ろ…。」
僕はそう呟くと小さなトランクに詰めた荷物を片付けた。いつ具合が悪化するか分からない。でもここだったら安心して寝込んでいられる。大学は検査入院すると各教授や講師に伝えてある。
休学するほど長くは掛からないとドクターも言ってたし。
結局親にはこの身体の事は言えなかった。遠方だし普段からそう連絡をとっている訳でもない。下手な事を言っても心配掛けるだけだ。しかし僕がオメガになる様な遺伝的な要素はどこにあったのかな。
祖父と叔父がアルファなのは知ってる。抑制剤がほとんどなくてオメガが差別されていた昔は、アルファはベータと結婚する事も多かった。実際祖母はベータだった。祖父のアルファと結婚する事で子孫にアルファとオメガの出現率を得たのかもしれない。
だからって後天性?とは思うけど。
考えてもしょうがない事を考えるのは元気なせいかもしれない。さっき処方された薬が効いてるのかな。このまま、こんな感じで身体が変化するのを待つなら随分簡単だ。
僕はテーブルに置いたPCで実験のレポートをまとめる事にした。出来る事はしておきたい。防音も効いてるという言葉通りに、静かな部屋で集中出来た僕は完成したレポートを教授に送ると、PCを閉じた。
すっかり外が暗い。具合が悪くなければ食堂に食べに行っても良いという事だったけれど、研究員ばかりだろう場所に事情のある一般人が紛れ込むのは気後れする。
どうしようかと考えていると、スマホが震えた。中川君からの電話だった。
『体調はどう?もし調子よかったら研究所の食堂で一緒に食事しないか?部屋に迎えに行くよ。』
中川君てどうしてこう察しが良いのだろう。僕はクスッと笑って行きたいと返事をした。
「中川君が来てくれて助かったよ。部外者の僕が一人で顔を出すのはどう考えてもハードルが高くて。」
「そんな事はないよ。実験対象が泊まるのはよくある事だし。まぁ流石に後天性オメガの移行期ってケースは初めてだけどね。研究員たちには田中の事は周知されてるから、心配はしなくて良いよ。
アルファも多いけど、私みたいに基本抑制剤を常時服用してるからね。」
食堂に向かいながらそう言った中川君に、僕は首を傾げた。
「抑制剤を飲まない時もあるの?確か副作用を防ぐために、定期的に飲まない時期を作るって聞いたことがあるから。」
「…一週間くらい空けるかな。その間は田中のフェロモンにクラクラするかもしれないね?ははは、冗談だよ。アルファは普通に生活しているオメガに欲情する訳じゃないから。…ヒートになってたら別だけどね。」
悪戯っぽい表情をした中川君はいつもより年相応に見えた。それなのに眼鏡の奥から自分を見つめる眼差しに、僕は肌がゾワリとして戸惑った。
「田中はオメガになったらいずれヒートも来る筈なんだよ。大抵の後天性オメガは原因不明の体調不良を経て、ある日突然ヒートが起きて大騒ぎになって発覚する事が多いんだ。
ただ、田中は完璧なコントロール下にあるからそうはならない筈だけどね。ただサンプルも少ないし、個人差があるからはっきりとした事は言えないんだよ。
実際、自宅で何とかなると判断が出てたけど無理だったでしょう?」
研究所の食堂は思ったより広くて、見るからにアルファやオメガの人達が行き交っていた。僕みたいにベータの人間を探す方が難しい。
周囲の視線が集まるのも気になってしまった。中川君が一緒じゃなければ、とてもじゃないけど落ち着いて食べる事など無理だっただろう。
「中川君、誘ってくれてありがとう。僕みたいな平凡な人間はちょっと居た堪れない空間だよ、ここって。」
僕が心からそう言うと、中川君は微笑んで食後のコーヒーをひと口飲んだ。
「…田中は自分の事が分かってないみたいだね。君が経済学部の桐生省吾と関係があるのは、自分の魅力だと思わないの?彼は上位アルファだよ。私が思うに田中は平凡ではないよ。平凡だと言うなら、あの男が君と関係を続けるのは理屈に合わない。」
僕は中川君に先輩との関係を知られていた事に文字通り凍りついた。
「…ごめんね。カフェで桐生省吾が女子に水を掛けられた時、君が助けたって話を耳にしたんだ。だからオメガに分化したきっかけは彼だろうと当たりをつけてた。やっぱりそうだったんだね。
君はじわじわと変化してる。側にいると気づきにくいけど、大学前の田中を知ってる相手だったら明らかに違うって気づく筈だ。肌のキメや、白さ、全体のしなやかさ、外見だけ見ても田中は前よりずっと綺麗になってる。自分じゃ気づかないのかなぁ。
田中はオメガの人を見て綺麗だって思わない?思うでしょう?」
「綺麗って…。そんな筈ない…。」
僕は思わず俯いていた。先輩との事を知ってるのは中川君だけじゃないかもしれない。あのカフェでの出来事を見ていた学生はかなり居た。僕と桐生先輩との醜聞、いや、アルファなら当たり前の関係は、全然秘密でもなかったのかな。
「…僕は誰にも桐生先輩との関係を知られたくなかったんだ。先輩は僕がベータだから関係を持ったんだし、オメガ嫌いの先輩はこうなった僕には目もくれないって分かってる。」
思わず吐露してしまった胸の内を黙って効いていた中川君は、僕の手を形の良い手で包んでそっと握った。
「田中と桐生省吾の関係に気づいている人は殆ど居ないと思うよ。私は君の事を観察してたから気づいただけだし、確信は無かったから。田中は誰にでも優しいし外見もそんな雰囲気だから、あのカフェの話だってその延長だと思う人が殆どだろうね。
ぶっちゃけて言うと私も最初は君を研究対象として見てた口だけど、君の内面に触れて友人になりたいと思った。そして今は友人以上の気持ちで君を守ってあげたいって思ってるんだよ。
…とにかく今とオメガになった後では物事の受け止める感じ方も変わるだろうから、色々考えずによく休んで。それが今田中に出来る一番の事だよ。」
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