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衝撃

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 一体このドクターは何を言っているんだろう。じわじわと言葉の意味が染み込んでくると一気に血の気が下がって、僕は目の前が暗くなった。背中を大きな手でさすらてれて、僕はもう一度目を開けた。

 最近の嫌な不安がまさか想像もしない答えに着地するなんて思いもしなかった。僕は多分青ざめた顔をしていたと思う。背中に添えられた中川君の手の温かさを拠り所にしながら、それでもドクターの話を聞き漏らさまいと唇を引き結んだ。

 ドクターは中川君の方をチラッと見つめてから、僕と目を合わせて話を続けた。


 「元々オメガ分泌の素養は持っていたんだと思う。ただ、何かしらのきっかけがあって、未分化だったオメガのホルモンが今になって優勢になったみたいだ。

 一度花開くと元には戻らないから、完全にオメガ化するのに時間経過の個人差はあると思う。今は急激なホルモン変化で身体が不調を感じている状況なんだ。

 和らげるための薬は出せるけど、どれくらい効果があるか分からないから、しばらくこちらに通う事になると思う。ここまでは大丈夫?」


 大丈夫かと聞かれても、はい大丈夫ですとは答えられない。こんな人生がひっくり返る様な事があって良いんだろうか。僕が黙りこくっていると、ドクターは中川君の方を見て言った。

「田中さん、誠さんはバース由来のフェロモンを察知する能力が高くてね。それでまだ君も気づかない変化を感じてここに連れて来てくれたんだろう。

 良かったよ。周囲が気づく前に対処出来て。突然オメガフェロモンが高まって、暴走したアルファに襲われる様な事故に遭う可能性が無かったとは言えないからね。ここでホルモン量を調べて、身体に慣らしながら適応させるのが田中君にも周囲にとっても良い事だと思う。」


 それからドクターは特殊な体質のために全額保険が効く事や、急激な変化をさせないための弱い抑制剤を毎日飲む事、身体の不調は時間の経過で無くなる事をざっくり説明してくれた。

「まぁ一気に説明しても混乱するだろうし、その都度質問してもらって構わないからね。あと、君の隣の誠さんはある意味この手の話のスペシャリストでもあるから、オメガについて分からない事があったら彼に聞くのも良いかもしれない。

 一応冊子は渡しておくよ。もちろんダウンロードも出来るしね?

 じゃあ、薬を二週間分出しておくから細かいことはそこのカウンセラーに聞いてくれる?あ、誠さんちょっといいかな。」


 さっきまで居なかったのに、いつの間にか部屋の入り口に男性が立っていた。僕は促されるまま、ドクターと話を始めた中川君を置いて診察室を出た。

 優しげな男性の後をついて行くと、僕はちょっとした窓際の明るい洒落たテーブルに案内された。

「私は君のような後天性オメガの患者さんのカウンセラーをしてるとどろきと申します。珍しい症例ですけど、実は一般には知られていないだけで、この病院でも年に2、3人は同じ様な体質の方がいますよ。全国で言えば10人ほどでしょうか。

 今から今後の予想出来る経過についてざっくり説明したいと思います。多分混乱しているでしょうから、次の診察日までに起こりそうな事を中心に解説しますね。

 因みに私も後天性オメガなので、何でも相談して下さい。」

 
 後天性オメガであるという轟さんはそう言って微笑んだ。綺麗な男性ではあるけれど、僕が想像するオメガとは少し違って見える。骨格はどちらかと言うとベータ寄りに近くて、けれども全体的なしなやかさはオメガ特有なものに感じられた。

「あ、あの今、ご自分が後天性オメガだっておっしゃいましたか?僕と一緒って事ですか?…いつ、轟さんはいつ分化が始まったんですか?」

 すると轟さんはにっこり微笑んでから、僕をじっと見つめて言った。


 「驚かれたでしょう?私はここに辿り着くまで本当に時間が掛かって、自分も周囲も大変でした。私の場合はアルファと恋をした大学3年です。それが多分きっかけにはなったんだと言われました。

 もっともアルファと恋をしなくてもいずれオメガに分化する事になったとは言われましたが。私達の様に未分化なオメガ要素を持っている人間は珍しいですが、アルファにとっても野生の勘というのか、ベータなのに妙に惹きつけられる様ですね。

 君は誠さんと付き合っているんですか?君をここに連れて来た誠さんはアルファですよね?」


 そう轟さんに尋ねられて僕は首を振った。中川君は友達。でも僕はアルファである桐生先輩のセフレだ。轟さんの言うことが本当なら、そのせいで僕はオメガ化が始まったって事だ。

「…今とどう変わりますか。オメガになったら今の生活は出来なくなりますか。」

 僕は何もない磨かれたテーブルをぼんやり見つめて呟いた。そうだ、何も変わらないならオメガだろうがどうって事ないはずだ。


 「私はね、後天性オメガで良かったなと思うことの方が多かったんです。それは勿論先天性オメガと比べての話ですけどね。

 でもベータとオメガでは、自分に起きることも、周囲の対応も違いすぎて、正直比べようもないと言うか。…完全に別ものなんです。

 それが良いとか悪いとか一概に言えないレベルでね。ある意味生まれ変わりと言う感じです。でも私も君も、ベータの人生も、オメガの人生も両方知ると言う意味では貴重な存在でしょう?」


 何も変わらないと思い込もうとした僕に、轟さんの言葉はそれを完全にひっくり返してしまった。生まれ変わり。これから僕が経験するのはそんな凄まじい事なんだろうか。

 衝撃で項垂れる僕に、轟さんは手を伸ばして僕の腕にそっと触れた。思わず顔を上げると、真剣な眼差しで彼は話し始めた。


 「ひとつだけ忠告させてください。君はまだ周囲に分かるほどオメガフェロモンは出ていません。でも体調が悪い時は出来ればアルファと会わないで欲しい。アルファを暴走させる程のフェロモンは出ないかもしれないけれど、気づかれて君が困ったことにならないか心配なんです。

 付き添いの誠さんはいつも抑制剤を飲んでるから彼なら大丈夫だけど、普通は緊急的に飲むアルファがほとんどですからね。

 でも彼のおかげで早期に分かって君はゆっくりオメガ化に同調出来ますね。私にはそれが少し羨ましいです。そんな後天性オメガの方が珍しいでしょうから。」


 轟さんの眼差しは、彼がその状況の時に色々困難があったと語る様だった。僕はゆっくりオメガになる。それはどうも有難いことの様だ。僕はふと、轟さんに尋ねてみたくなった。

「…あの、轟さんがアルファと恋をしたせいで分化したっておっしゃってましたけど、そのアルファの人とはどうなったんですか?」

 すると轟さんは悲しげな顔をして微笑んだ。


 「彼と恋が出来たのは私がベータだったからだったんです。だからアルファの彼にとって、普通より不安定なオメガになっていく私は想定外でした。

 彼はオメガを毛嫌いしてましたから裏切られたと罵られて…。その時はショックでしたけど、そんな人ばかりじゃないですよ。実際今の私には番のアルファが居ますし、とても幸せです。

 君ももしアルファと関わりがあるのなら、よく相手を見た方がいいですよ。彼らがベータに向ける顔とオメガに向ける顔は、色々な意味で全然違いますから。

 余計なこと言い過ぎちゃったかな?肝心な話をしなくちゃいけないのにね。」


 轟さんはそう言って微笑むと、僕の身体に今後起きる具体的な変化を色々説明してくれた。けれども僕の頭の中には、さっき彼が話してくれたアルファの恋人とのストーリーがぐるぐると渦巻いていた。

 僕も轟さんと同じだ。桐生先輩は何て言ってた?オメガにはウンザリだって。一番苦手だって僕に言ってたじゃないか。しかも僕と先輩は恋人でも何でもない。ただの身体だけの関係だ。いつでも切れる関係。



 …もう、僕は先輩に会わない方が良いんだろうか。

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