6 / 69
苛立ちの先に
しおりを挟む
夜のしじまに響く誰かの楽しげな笑い声が建物に反射してここまで聞こえて来る。省吾は家主の居ない部屋の前で、手に持った差し入れのコンビニ袋をどうするか考え込んでいた。
友人と出掛けていると陽太から返事が来たのに、足はそのままここへと向かわせた。途中のコンビニで買い物したのは、自分への言い訳だったのだろうか。
葉月にあんな風に吹き込まれたせいで、こうしてセフレである陽太のところへ来てしまった。陽太の自分を見つめるあの眼差しや、乱れた時に迸る感情が自分に真っ直ぐに向けられていると思っていたのは確かだった。
そこに付け込んで都合よくセフレにしているのは自分なのに、陽太が自分以外とも関係してるかもしれないと思ったら、落ち着かない気持ちでここに来てしまっていた。
自分は良くて、陽太は許せないなんて傲慢にも思っていたとすれば我ながら嫌気がする。
だからこれは一種の罪悪感を拭う行為なのかもしれないと、袋の中の陽太の好物を覗き見た。とは言えいつまでもここに居てもしょうがないと、省吾は袋をドアノブに引っ掛けて帰ろうとため息をついた。
その時マンションの階段を話し声を響かせながら上がって来る気配を感じて、省吾は視線の先に陽太を見た。そして陽太の後ろにピッタリとくっ付く様に立っている大柄なマッチョも。
…葉月の冗談が目の前にリアルになって登場か。
省吾は自分が都合良く考えていた陽太と、現実の陽太は別人なのだと妙に苛立った気持ちで、腹の中が冷え冷えするのを感じた。
自分を見て呆気に取られた陽太に、対外的な笑顔を貼り付けて手に持ったコンビニ袋を渡すと、省吾は呼びかけられる声も無視して階段を降りて行った。
陽太に付き添ってたマッチョが、すれ違いざまに省吾をじっと観察していた目つきが本当に気に入らない。どう見てもアルファだ。そしてさっき夜の住宅街に聞こえてきた楽しげな声は、この二人の発したものだとも気づいてしまった。
それは自分の前では決して見せない陽太の別の顔でもあって、その事がますます省吾を苛つかせた。
このまま、家に帰りたくはない。今からあのアルファの男が自分と同じ様に感じやすい陽太を楽しむのを考えてしまうのもげんなりする。省吾はスマホを出すと、遊び仲間の名前をスクロールした。
けれど何度スクロールしても今会いたくなる様な相手は誰一人として見つからなかった。省吾はスマホを閉じると、ジャケットの胸ポケットに突っ込んでため息をついた。ついてない。
今夜は何も上手くいかない。
その時スマホが震えて、省吾は着信の相手を見て考え込んだ。それから二、三コールの後、指は静かに動いた。
「…はい。」
「桐生先輩?あの、まだ近くにいますか?…あの、今からうちに来ませんか?」
陽太の声はどこか緊張している風だったし、さっきのマッチョと今からそう言う事をするのに電話をして来るのは流石に変だと頭の中で考えが巡った。
だけど、省吾のアルファとしてのプライドは、ベータである陽太に振り回される事を良しとしなかった。
「いや、これから行くところあるから無理だな。」
少しの沈黙の後、良く知る陽太の声音が耳をくすぐって消えた。
「…そうですか。あの、差し入れありがとうございました。」
結局自分は陽太を都合の良いセフレとして扱っていたのに、自分がそう扱われることにまるで我慢できないのだと自覚した。ベータに棒扱いされたと笑い飛ばせる度量もなく、生真面目だと思い込んでいた後輩を支配下に置いて安心するだけの小物、そんな幻想に溺れていただけの男だ。
夏は終わったはずなのに蒸し暑さが急に感じられて、省吾は舌打ちして通りでタクシーを拾うとそのまま目を閉じた。タクシーの涼しさが今の自分の一番の癒しだった。
あれから三週間が経った。いつも俺から一方的に連絡をとっていたことに、メッセージの更新が無いことではっきりしてしまった。もしかして陽太は流されていただけで、俺と寝たかったわけでも無いのか?
そう考えるとキリがなくて、あれ以来陽太にメッセージを送っていない。かと言って他の奴を相手にするのも面倒で、省吾はくさくさした気持ちを抱えながら大学のカフェで一人お茶を飲んでいた。
「桐生君、良かった。今度は捕まえられそうで。」
あの宮沢製薬の女子が、空いた対面の椅子に許可もなく座ってきた。こうやって強引で図々しい相手はどんな性別でもイライラする。省吾はチラッと見ただけで手元の小説に目を移した。
そんな省吾の態度にイラついたのか、女子は声をきしませながらもめげずにまた話しかけて来た。
「これから遊びに行かない?いいでしょう?…桐生君ならお試しありでもいいわ?」
そう言えばどんな相手も乗って来るのだと、彼女の眼差しが物語ってくる。それがまるで自分を見ている様でますます気が滅入る。
「…桐生さんから、桐生君か。いつの間にか私たち友人になってたみたいですね。君を見てると自分の嫌な所が写し鏡の様で、何だかゾッとするな。
誰でも自分に価値を見てくれると信じてる子供っぽい所とか?相手にも感じる心があるのを無視しがちな所とか?はは、怒らないでよ。今のは自分の自戒を込めて言った独り言だから。
とは言え、そんな自分に似た相手を好きにはならないから、私に時間を使うのは無駄じゃ無いかな。」
怒りを滲ませて引き攣った顔の彼女が自分にテーブルの上のグラスの水をぶち撒けるのを、省吾はこれでチャラだと薄く笑いながら甘んじて受け入れた。プリプリしながら立ち去る彼女と周囲の凍りついた空気、冷たい感触の気持ち悪さにため息が出る。
「…何してるんですか、先輩。」
そう言いながら、タオルハンカチで省吾の頭の雫を拭い始めたのは陽太だった。省吾は久しぶりに顔を見た陽太に思わず口元を緩めた。
「女に水掛けられてるんだ。ちょっと口が滑って。」
陽太はびしょ濡れになった小さなタオルを顔を顰めて見つめてから、あれ以来久しぶりに省吾と目を合わせて口を開いた。
「…うちにきますか?乾かさないとしょうがないでしょ?」
陽太の大きめの黒目は相変わらず潤んで、少しの不安と喜びが浮かんでいる気がした。省吾は席を立って椅子に置いたバックを掴むと、先に立って歩き始めた。
「行くんでしょ、陽太のマンション。まじで風邪ひきそう。」
口元を引き結んだ陽太が笑みを堪えたのか、何か言いたい事を堪えたのかどっちだろうかと考えながら、省吾は久しぶりに楽しい気持ちになった。やっぱりセフレは陽太が良い。
友人と出掛けていると陽太から返事が来たのに、足はそのままここへと向かわせた。途中のコンビニで買い物したのは、自分への言い訳だったのだろうか。
葉月にあんな風に吹き込まれたせいで、こうしてセフレである陽太のところへ来てしまった。陽太の自分を見つめるあの眼差しや、乱れた時に迸る感情が自分に真っ直ぐに向けられていると思っていたのは確かだった。
そこに付け込んで都合よくセフレにしているのは自分なのに、陽太が自分以外とも関係してるかもしれないと思ったら、落ち着かない気持ちでここに来てしまっていた。
自分は良くて、陽太は許せないなんて傲慢にも思っていたとすれば我ながら嫌気がする。
だからこれは一種の罪悪感を拭う行為なのかもしれないと、袋の中の陽太の好物を覗き見た。とは言えいつまでもここに居てもしょうがないと、省吾は袋をドアノブに引っ掛けて帰ろうとため息をついた。
その時マンションの階段を話し声を響かせながら上がって来る気配を感じて、省吾は視線の先に陽太を見た。そして陽太の後ろにピッタリとくっ付く様に立っている大柄なマッチョも。
…葉月の冗談が目の前にリアルになって登場か。
省吾は自分が都合良く考えていた陽太と、現実の陽太は別人なのだと妙に苛立った気持ちで、腹の中が冷え冷えするのを感じた。
自分を見て呆気に取られた陽太に、対外的な笑顔を貼り付けて手に持ったコンビニ袋を渡すと、省吾は呼びかけられる声も無視して階段を降りて行った。
陽太に付き添ってたマッチョが、すれ違いざまに省吾をじっと観察していた目つきが本当に気に入らない。どう見てもアルファだ。そしてさっき夜の住宅街に聞こえてきた楽しげな声は、この二人の発したものだとも気づいてしまった。
それは自分の前では決して見せない陽太の別の顔でもあって、その事がますます省吾を苛つかせた。
このまま、家に帰りたくはない。今からあのアルファの男が自分と同じ様に感じやすい陽太を楽しむのを考えてしまうのもげんなりする。省吾はスマホを出すと、遊び仲間の名前をスクロールした。
けれど何度スクロールしても今会いたくなる様な相手は誰一人として見つからなかった。省吾はスマホを閉じると、ジャケットの胸ポケットに突っ込んでため息をついた。ついてない。
今夜は何も上手くいかない。
その時スマホが震えて、省吾は着信の相手を見て考え込んだ。それから二、三コールの後、指は静かに動いた。
「…はい。」
「桐生先輩?あの、まだ近くにいますか?…あの、今からうちに来ませんか?」
陽太の声はどこか緊張している風だったし、さっきのマッチョと今からそう言う事をするのに電話をして来るのは流石に変だと頭の中で考えが巡った。
だけど、省吾のアルファとしてのプライドは、ベータである陽太に振り回される事を良しとしなかった。
「いや、これから行くところあるから無理だな。」
少しの沈黙の後、良く知る陽太の声音が耳をくすぐって消えた。
「…そうですか。あの、差し入れありがとうございました。」
結局自分は陽太を都合の良いセフレとして扱っていたのに、自分がそう扱われることにまるで我慢できないのだと自覚した。ベータに棒扱いされたと笑い飛ばせる度量もなく、生真面目だと思い込んでいた後輩を支配下に置いて安心するだけの小物、そんな幻想に溺れていただけの男だ。
夏は終わったはずなのに蒸し暑さが急に感じられて、省吾は舌打ちして通りでタクシーを拾うとそのまま目を閉じた。タクシーの涼しさが今の自分の一番の癒しだった。
あれから三週間が経った。いつも俺から一方的に連絡をとっていたことに、メッセージの更新が無いことではっきりしてしまった。もしかして陽太は流されていただけで、俺と寝たかったわけでも無いのか?
そう考えるとキリがなくて、あれ以来陽太にメッセージを送っていない。かと言って他の奴を相手にするのも面倒で、省吾はくさくさした気持ちを抱えながら大学のカフェで一人お茶を飲んでいた。
「桐生君、良かった。今度は捕まえられそうで。」
あの宮沢製薬の女子が、空いた対面の椅子に許可もなく座ってきた。こうやって強引で図々しい相手はどんな性別でもイライラする。省吾はチラッと見ただけで手元の小説に目を移した。
そんな省吾の態度にイラついたのか、女子は声をきしませながらもめげずにまた話しかけて来た。
「これから遊びに行かない?いいでしょう?…桐生君ならお試しありでもいいわ?」
そう言えばどんな相手も乗って来るのだと、彼女の眼差しが物語ってくる。それがまるで自分を見ている様でますます気が滅入る。
「…桐生さんから、桐生君か。いつの間にか私たち友人になってたみたいですね。君を見てると自分の嫌な所が写し鏡の様で、何だかゾッとするな。
誰でも自分に価値を見てくれると信じてる子供っぽい所とか?相手にも感じる心があるのを無視しがちな所とか?はは、怒らないでよ。今のは自分の自戒を込めて言った独り言だから。
とは言え、そんな自分に似た相手を好きにはならないから、私に時間を使うのは無駄じゃ無いかな。」
怒りを滲ませて引き攣った顔の彼女が自分にテーブルの上のグラスの水をぶち撒けるのを、省吾はこれでチャラだと薄く笑いながら甘んじて受け入れた。プリプリしながら立ち去る彼女と周囲の凍りついた空気、冷たい感触の気持ち悪さにため息が出る。
「…何してるんですか、先輩。」
そう言いながら、タオルハンカチで省吾の頭の雫を拭い始めたのは陽太だった。省吾は久しぶりに顔を見た陽太に思わず口元を緩めた。
「女に水掛けられてるんだ。ちょっと口が滑って。」
陽太はびしょ濡れになった小さなタオルを顔を顰めて見つめてから、あれ以来久しぶりに省吾と目を合わせて口を開いた。
「…うちにきますか?乾かさないとしょうがないでしょ?」
陽太の大きめの黒目は相変わらず潤んで、少しの不安と喜びが浮かんでいる気がした。省吾は席を立って椅子に置いたバックを掴むと、先に立って歩き始めた。
「行くんでしょ、陽太のマンション。まじで風邪ひきそう。」
口元を引き結んだ陽太が笑みを堪えたのか、何か言いたい事を堪えたのかどっちだろうかと考えながら、省吾は久しぶりに楽しい気持ちになった。やっぱりセフレは陽太が良い。
526
お気に入りに追加
1,094
あなたにおすすめの小説
もう人気者とは付き合っていられません
花果唯
BL
僕の恋人は頭も良くて、顔も良くておまけに優しい。
モテるのは当然だ。でも――。
『たまには二人だけで過ごしたい』
そう願うのは、贅沢なのだろうか。
いや、そんな人を好きになった僕の方が間違っていたのだ。
「好きなのは君だ」なんて言葉に縋って耐えてきたけど、それが間違いだったってことに、ようやく気がついた。さようなら。
ちょうど生徒会の補佐をしないかと誘われたし、そっちの方に専念します。
生徒会長が格好いいから見ていて癒やされるし、一石二鳥です。
※ライトBL学園モノ ※2024再公開・改稿中
言い逃げしたら5年後捕まった件について。
なるせ
BL
「ずっと、好きだよ。」
…長年ずっと一緒にいた幼馴染に告白をした。
もちろん、アイツがオレをそういう目で見てないのは百も承知だし、返事なんて求めてない。
ただ、これからはもう一緒にいないから…想いを伝えるぐらい、許してくれ。
そう思って告白したのが高校三年生の最後の登校日。……あれから5年経ったんだけど…
なんでアイツに馬乗りにされてるわけ!?
ーーーーー
美形×平凡っていいですよね、、、、
夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました
氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。
ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。
小説家になろう様にも掲載中です
幽閉王子は最強皇子に包まれる
皇洵璃音
BL
魔法使いであるせいで幼少期に幽閉された第三王子のアレクセイ。それから年数が経過し、ある日祖国は滅ぼされてしまう。毛布に包まっていたら、敵の帝国第二皇子のレイナードにより連行されてしまう。処刑場にて皇帝から二つの選択肢を提示されたのだが、二つ目の内容は「レイナードの花嫁になること」だった。初めて人から求められたこともあり、花嫁になることを承諾する。素直で元気いっぱいなド直球第二皇子×愛されることに慣れていない治癒魔法使いの第三王子の恋愛物語。
表紙担当者:白す(しらす)様に描いて頂きました。
国王の嫁って意外と面倒ですね。
榎本 ぬこ
BL
一国の王であり、最愛のリヴィウスと結婚したΩのレイ。
愛しい人のためなら例え側妃の方から疎まれようと頑張ると決めていたのですが、そろそろ我慢の限界です。
他に自分だけを愛してくれる人を見つけようと思います。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる