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苛立ちの先に

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 夜のしじまに響く誰かの楽しげな笑い声が建物に反射してここまで聞こえて来る。省吾は家主の居ない部屋の前で、手に持った差し入れのコンビニ袋をどうするか考え込んでいた。

 友人と出掛けていると陽太から返事が来たのに、足はそのままここへと向かわせた。途中のコンビニで買い物したのは、自分への言い訳だったのだろうか。


 葉月にあんな風に吹き込まれたせいで、こうしてセフレである陽太のところへ来てしまった。陽太の自分を見つめるあの眼差しや、乱れた時にほとばしる感情が自分に真っ直ぐに向けられていると思っていたのは確かだった。

 そこに付け込んで都合よくセフレにしているのは自分なのに、陽太が自分以外とも関係してるかもしれないと思ったら、落ち着かない気持ちでここに来てしまっていた。

 自分は良くて、陽太は許せないなんて傲慢にも思っていたとすれば我ながら嫌気がする。


 だからこれは一種の罪悪感を拭う行為なのかもしれないと、袋の中の陽太の好物を覗き見た。とは言えいつまでもここに居てもしょうがないと、省吾は袋をドアノブに引っ掛けて帰ろうとため息をついた。

 その時マンションの階段を話し声を響かせながら上がって来る気配を感じて、省吾は視線の先に陽太を見た。そして陽太の後ろにピッタリとくっ付く様に立っている大柄なマッチョも。
 


 …葉月の冗談が目の前にリアルになって登場か。



 省吾は自分が都合良く考えていた陽太と、現実の陽太は別人なのだと妙に苛立った気持ちで、腹の中が冷え冷えするのを感じた。

 自分を見て呆気に取られた陽太に、対外的な笑顔を貼り付けて手に持ったコンビニ袋を渡すと、省吾は呼びかけられる声も無視して階段を降りて行った。 

 陽太に付き添ってたマッチョが、すれ違いざまに省吾をじっと観察していた目つきが本当に気に入らない。どう見てもアルファだ。そしてさっき夜の住宅街に聞こえてきた楽しげな声は、この二人の発したものだとも気づいてしまった。

 それは自分の前では決して見せない陽太の別の顔でもあって、その事がますます省吾を苛つかせた。


 このまま、家に帰りたくはない。今からあのアルファの男が自分と同じ様に感じやすい陽太を楽しむのを考えてしまうのもげんなりする。省吾はスマホを出すと、遊び仲間の名前をスクロールした。

 けれど何度スクロールしても今会いたくなる様な相手は誰一人として見つからなかった。省吾はスマホを閉じると、ジャケットの胸ポケットに突っ込んでため息をついた。ついてない。

 今夜は何も上手くいかない。


 その時スマホが震えて、省吾は着信の相手を見て考え込んだ。それから二、三コールの後、指は静かに動いた。

「…はい。」

「桐生先輩?あの、まだ近くにいますか?…あの、今からうちに来ませんか?」

 陽太の声はどこか緊張している風だったし、さっきのマッチョと今からそう言う事をするのに電話をして来るのは流石に変だと頭の中で考えが巡った。

 だけど、省吾のアルファとしてのプライドは、ベータである陽太に振り回される事を良しとしなかった。

「いや、これから行くところあるから無理だな。」

 少しの沈黙の後、良く知る陽太の声音が耳をくすぐって消えた。

「…そうですか。あの、差し入れありがとうございました。」


 結局自分は陽太を都合の良いセフレとして扱っていたのに、自分がそう扱われることにまるで我慢できないのだと自覚した。ベータに棒扱いされたと笑い飛ばせる度量もなく、生真面目だと思い込んでいた後輩を支配下に置いて安心するだけの小物、そんな幻想に溺れていただけの男だ。

 夏は終わったはずなのに蒸し暑さが急に感じられて、省吾は舌打ちして通りでタクシーを拾うとそのまま目を閉じた。タクシーの涼しさが今の自分の一番の癒しだった。




 あれから三週間が経った。いつも俺から一方的に連絡をとっていたことに、メッセージの更新が無いことではっきりしてしまった。もしかして陽太は流されていただけで、俺と寝たかったわけでも無いのか?

 そう考えるとキリがなくて、あれ以来陽太にメッセージを送っていない。かと言って他の奴を相手にするのも面倒で、省吾はくさくさした気持ちを抱えながら大学のカフェで一人お茶を飲んでいた。


 「桐生君、良かった。今度は捕まえられそうで。」

 あの宮沢製薬の女子が、空いた対面の椅子に許可もなく座ってきた。こうやって強引で図々しい相手はどんな性別でもイライラする。省吾はチラッと見ただけで手元の小説に目を移した。

 そんな省吾の態度にイラついたのか、女子は声をきしませながらもめげずにまた話しかけて来た。

「これから遊びに行かない?いいでしょう?…桐生君ならお試しありでもいいわ?」

 そう言えばどんな相手も乗って来るのだと、彼女の眼差しが物語ってくる。それがまるで自分を見ている様でますます気が滅入る。


 「…桐生さんから、桐生君か。いつの間にか私たち友人になってたみたいですね。君を見てると自分の嫌な所が写し鏡の様で、何だかゾッとするな。

 誰でも自分に価値を見てくれると信じてる子供っぽい所とか?相手にも感じる心があるのを無視しがちな所とか?はは、怒らないでよ。今のは自分の自戒を込めて言った独り言だから。

 とは言え、そんな自分に似た相手を好きにはならないから、私に時間を使うのは無駄じゃ無いかな。」


 怒りを滲ませて引き攣った顔の彼女が自分にテーブルの上のグラスの水をぶち撒けるのを、省吾はこれでチャラだと薄く笑いながら甘んじて受け入れた。プリプリしながら立ち去る彼女と周囲の凍りついた空気、冷たい感触の気持ち悪さにため息が出る。

「…何してるんですか、先輩。」

 そう言いながら、タオルハンカチで省吾の頭の雫を拭い始めたのは陽太だった。省吾は久しぶりに顔を見た陽太に思わず口元を緩めた。

「女に水掛けられてるんだ。ちょっと口が滑って。」


 陽太はびしょ濡れになった小さなタオルを顔を顰めて見つめてから、あれ以来久しぶりに省吾と目を合わせて口を開いた。

「…うちにきますか?乾かさないとしょうがないでしょ?」

 陽太の大きめの黒目は相変わらず潤んで、少しの不安と喜びが浮かんでいる気がした。省吾は席を立って椅子に置いたバックを掴むと、先に立って歩き始めた。

「行くんでしょ、陽太のマンション。まじで風邪ひきそう。」

 口元を引き結んだ陽太が笑みを堪えたのか、何か言いたい事を堪えたのかどっちだろうかと考えながら、省吾は久しぶりに楽しい気持ちになった。やっぱりセフレは陽太が良い。


















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