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桐生先輩

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 僕とやる事をやった先輩が、時計を気にしながらあっさり帰る姿をベッドから見送った後、僕は痛む腰を摩りながらようやく起き上がった。

 毎回、体格差のあるアルファである先輩と寝ると負担が凄い。最中は夢中になっているから無理をしてることにも気づけないのも良くないのかもしれない。

 僕は机の引き出しから取り出した鎮痛剤を飲むと、あちこちの痛みが早く治る様に温かいシャワーを浴びようと風呂場へ向かった。


 一体どうしてβの僕が上位アルファである桐生先輩とこんな関係になってしまったのかと、自分でもその偶然に驚いてしまう。

 桐生先輩は高校の部活の先輩だった。水泳部に入部した僕に、キャプテンとして指導してくれたのが桐生先輩だ。

 大会の記録を更新し続ける桐生先輩に憧れる生徒は、部員で無くても多かった。ただでさえ水泳部は露出が多かったから、先輩は学校以外でも大会に出る度にアイドル並みにファンが押し寄せた。

 
 均整の取れた逆三角形の筋肉質な身体、190cm近い恵まれた体格。そしてアイドルと見まごうばかりの涼やかな顔つきと塩素で抜けた明るい短髪。これでアルファのオーラがあったら、誰でも目を離せなくなるのは必至だった。

 もちろん入部したばかりの僕もその一人だった。元々内向的な性格だったせいで、スイミングクラブでも大会になると今ひとつ記録が伸びずに、クラブから逃げる様にして高校の部活に入った。


 まさかそこに桐生先輩の様なアルファが居るなど考えもしなかったんだ。高校から水泳を始めたという先輩はみるみる頭角を現して、高三になってからは大会記録も出し始めたと知ったのは入部してからだった。

 僕はそんな先輩に釘づけで、憧れを通り越して直視出来ないくらい好きになってしまっていた。けれども、先輩が引退する前に自転車で負った怪我のせいにして、僕は高一であっさり部活を辞めた。

 場所を変えたとしても、結局気が弱い僕が大会で萎縮せずに力を発揮する事など出来ないと気づいてしまったからだ。それは圧倒的なオーラや自信を持つ先輩を見て感じた事だったし、自分に向き合うことを避けた僕の逃げだった。

 


 あの日の夜、緊張と戸惑いを感じながら僕は自分の一人住まいのマンションの鍵を開けた。後ろから着いて部屋に上がってきた桐生先輩の香水の匂いを感じながら、部屋の中がそこそこ片付いているのをホッとした気持ちで眺めた。

「へぇ、結構広いじゃん。まぁまだ物がないせいか。」

 そう言いながら桐生先輩は、一緒にコンビニで買った酎ハイとジンジャエールを一人用の丸テーブルの上に置いた。

「マジびっくりしたわ。まさか新歓コンパで部活の後輩に会うとか思わないだろ?」

 そう言って、桐生先輩はひと目を惹くバランスの取れた身体で僕の部屋の中をもう一度見回した。


 「…怪我で部活は高一で辞めてしまったから、桐生先輩が僕のこと覚えててくれたなんて思わなくて。正直嬉しかったです。」

 桐生先輩は目を合わせる事もできない僕を、意味深に見つめて口を開いた。

 「あ、そう?俺自分で言うのもアレだけど、結構有名人だったもんな。確かにお前の名前は忘れていたけど、いつも俺のことエロい目で見てただろ?それで顔は覚えてたんだ。」

 いきなりそんな事を言われて、僕は心臓が一気に跳ね上がって息が止まった。思わず否定も肯定もできずに青ざめて先輩の印象的な切長の目を見つめると、先輩は何でもない様に言った。


 「あ、やっぱ図星?俺ってアルファだからか、結構なりふり構わないで付き纏われるんだ。お前も意味深な目で見てるなって思ってたけど、あっさり部活辞めて一切俺の前から消えただろ?なんかかえって印象深くてさ。」

 僕は桐生先輩の話がどこに向かうのか分からずに、戸惑いと自分の隠しておきたい秘密が暴かれた動揺で、黙りこくる事しかできなかった。

 僕が黙っていると、先輩はジンジャーエールの缶を僕に渡して、自分は酎ハイを開けて喉を鳴らして少し飲んだ。


 「お前、俺のセフレにならない?誰かと付き合ってるとかじゃ無かったら、どう?俺図々しい奴が本当無理でさ。お前は高校の後輩で身元が割れてるし、謙虚そうだし?

 お前の泳ぎのフォーム、結構好きだったんだ。お前の身体も見た目悪くなかったって事。何か反応悪いな。

 …もしかして経験ない?受けなんだろ?」


 僕は初恋である桐生先輩からのとんでもない申し出に頭がついていかなかった。けれど大学生になったら共感してくれる相手と恋が出来るかもしれないと何処か希望を抱いていた事もあって、この話が現実味を帯びて感じられもした。

 先輩の探る様な視線から逃れて顔を背けながら、僕は小さく呟いた。

「…僕が断ったらどうするんですか。」

「それだったら、この話はここでお終いなだけでしょ。お前も余計な事は吹聴するタイプじゃないだろうし。まぁ、嫌だったら別に無理強いしないさ。

 お前に会って、どうかなって思いついただけだから。…じゃあ、帰るわ。どうせサークルには入らないだろ?お前には合わない感じだしな。」


 先輩は言いたい放題で、酎ハイを飲み干してキッチンのシンクにそれを置いて玄関へ向かった。僕は先輩の姿が遠ざかるのをぼんやり見つめながら、知らず身体が動いていた。

 高校時代自分の性嗜好に苦しんだその反動で、目の前のチャンスを逃したく無かったのかもしれない。全然知らない相手でもない。初恋だったアルファの先輩だ。その先輩が僕に手を差し出しているのなら、その手を掴まない理由はないだろう?


 「桐生先輩!」

 玄関で靴を履き終えていた先輩は、呼び掛けた僕を振り返った。僕が言うのを待っている様子で、その先を促す様に首を傾げた。もう笑っている。ああ、この自信満々なところは嫌味なくらいアルファの男だ。

「良いですよ。僕、先輩のセフレになっても。」







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