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混乱の学校生活
上級生の特別棟
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「あの!ミチェル様大丈夫ですから!」
僕はこのままミチェル様に引き摺られて行くのは不味い気がして、掴まれた手を引っ張った。
するとミチェル様はクスリと忍び笑いをして、僕を金色の瞳でチラッと見下ろして楽しそうに言った。
「安心したまえ。別にディーをとって食おうとしてるわけじゃないから。私のせいで被害を被った君にお詫びして始末をつけたいだけだよ。このまま帰したら私の名誉に傷がつくんだ。
…悪いが詫びを受け取ってくれないか?」
最上級生のミチェル様にそこまで言われては、僕もそれ以上抵抗ができなかった。実際僕は髪がびしょ濡れで時々震えが来ていたこともあって、諦めて引っ張られるまま着いて行くほかなかった。
ミチェル様が入って行ったのは、三つの棟のどれにも当たらない少しこじんまりした建物だった。その建物の存在には気づいていたけれど、僕ら学生には関係ないものだと思っていた。
僕は明らかに凝った作りの棟の入り口を見上げながら、ミチェル様に尋ねた。
「…ここって何ですか?」
僕が尋ねると、ミチェル様は美しい庭園を臨む外廊下を歩きながら言った。
「ここは特別棟だ。主に先生方や最上級生らの専用スペースが入ってる。私は最上級生だからね、卒業する迄ここを自由に使用出来る許可が降りているのさ。ああ到着した。早く乾かさないと風邪をひきそうだ。ね?」
ミチェル様が少しずつ違った装飾の扉のひとつを開けると、そこには居心地の良さそうな談話室が広がっていた。螺旋階段の先には書庫が広がっている。談話室のソファに座って談笑していた数人の上級生らが、僕らを珍しげにチラリと見た。
「ミチェル、下級生を連れ込むのは禁止じゃないか。お前が名目上とは言え、規則を破るのは珍しいな。魔法専攻の子か?」
見上げる様なガタイの熊獣人らしき上級生が、ニヤリと笑って僕らに声を掛けてきた。
ミチェル様はどうして良いか分からない僕の肩を抱き寄せて、談話室の先の廊下へ向かいながら熊獣人に言った。
「私のせいで酷い目にあった彼にお詫びしたいだけだよ。彼はデトックスドリンクを頭から浴びたんだ。…乾かすだけじゃ無理かもしれないな。」
僕は濡れた髪を指先で摘んだ。確かに妙な臭いがする。あのクソ不味い飲み物は、お湯では流しきれなかったのか。
廊下の先の階段を上ると、通路を挟んで幾つかの扉が並んでいた。ミチェル様は扉がぼんやり光っている部屋を開けると、中へ僕を引っ張り込んで言った。
「マントを取りたまえ。下の服に被害はないか?」
僕は落ち着きのあるこじんまりした部屋を見回しながら、マントのフックを外した。マント自体は魔法で撥水加工がしてあるのか、汚れひとつなかった。
腕を組んで僕を見ていたミチェル様は、顔を顰めて言った。
「ああ、案の定ブラウスに汚れがついてしまってる。ズボンは大丈夫そうだね。流石、魔法専攻のマントは防御力がピカイチだ。ちょっと待ってて。」
そう言うと、部屋の奥へ行ってしまった。
僕は窓から見える景色を眺めながら、ここは総合専攻の専用エリアなのだと思った。そう言えば外扉はシックな赤い色の扉だった。…僕が入って良かったのかな?
奥から顔を見せたミチェル様が僕を呼んだ。
「君もスッキリしたいだろう?湯浴みの用意をしたから、髪を洗っておいで。寮室は湯船がないだろう?ここは広くはないが湯船があるんだ。良い機会だからゆっくり浸かると良い。
君に合うサイズのブラウスは用意できないが、大は小を兼ねるだろう。私の置き服を提供するよ。…時間を見計らってまたここにくるから、ゆっくり汚れを落としておいで。」
そう言うと、僕にタオルやトロミのある高級そうなブラウスを手渡して部屋から出て行った。
僕はミチェル様が閉じた扉の鍵がカチリと閉まるのを眺めながら、何処かホッとした気持ちで部屋の奥へと向かった。今やさっきよりも嫌な臭いは僕に纏わりつく様で、ミチェル様の強引なお節介を有難く感じる様になっていた。
とは言え僕は寮生なんだから、自分の部屋に帰れば良かった話なんだけどね。
流石獅子族と言うべきか、有無を言わせぬ強引さは弟のゲオルグとは別物だ。跡継ぎならではなんだろうか。
湯浴み場を覗くと、案外気持ち良さそうな気の利いた造りになっていた。僕は質の良いシャンプーを使って存分に髪を洗うと、良い匂いの香りに満ちた湯船に身体を沈めた。
ミチェル様は広くないと言った湯船は僕には十分だった。それに寮室には湯船が無いので、風呂好きの僕にはありがたい。僕は鼻歌混じりで湯船を楽しんでいたけれど、部屋の扉が開いた音がした気がして、長湯してしまったかと慌てて湯浴み場から出た。
湯浴み場に取り付けられていた風魔法の魔石に触れると、暖かい風が一気に吹きつけてきて、僕の髪はあっという間に乾いてしまった。このドライヤーもどきは僕の寮室にある物よりグレードが高いな。
僕の部屋に付いているものは、もっと風量も少ないし時間が掛かる。流石に上級生専用のエリアは扱いが違うと妙な納得をした。
ミチェル様から渡されたブラウスを身につけると、僕は鏡の中の自分の姿に思わずため息をついた。身体の大きさが違うとは言え、これじゃブカブカも良いところだ。
ミチェル様は騎士ではないから、どちらかと言うとそこまでマッチョではない筈なのに、僕が華奢すぎるせいなのだろう。
たっぷりの生地をズボンに押し込んで何とか形になった自分の姿は、魔物退治で行った先で見かけた男娼の様な着こなしに見えた。騎士達に纏わりつく彼らは、今の僕より華奢と言うわけではなかったけれど、大きめのブラウスを着ていた。
その方が儚げに見えるからかもしれないと、興味深げに彼らの喧騒を眺めていたチビの僕は、あっという間に慌てたパーカスに宿に連れ戻されてしまったけれど。
僕が思い出し笑いをしながら部屋に戻ると、ミチェル様がソファから立ち上がった。
「…随分楽しそうだ。スッキリしたかい?美しい髪に艶が戻ったね。」
そう言って僕をじっと見つめた。僕はミチェル様の纏う空気が少し変わった気がしたけれど、あえてそれに気づかないふりで御礼を言った。
「湯船をありがとうございました。僕、湯船でのんびりするのが大好きなんです。久しぶりにリラックス出来ました。…あの、お待たせしてしまいましたか?」
ぼんやりした表情で僕を見ていたミチェル様は、ゆっくり僕に近づいて指先で僕の着ているブラウスの襟元を撫でた。
「ここ、ボタンがズレてる…。」
僕が止める間も無くミチェル様の長い指が僕の首元をなぞって、ゆっくりと間違えたボタンを三つ外した。
大き目のブラウスがふわりと胸元を開けて、僕はミチェル様の伏せた瞼がぴくりと動くのを見ていた。この妙な緊張感に僕は戸惑って、心臓を速めた。
けれどミチェル様はボタンを三つ静かに留めると、瞼を上げて金色の瞳で僕と目を合わせた。
「まったく。君は恐ろしい…。無理強いして怖がるかもしれないと手を止めさせたのは君が初めてだ。」
僕は何と答えて良いか分からずに黙りこくってしまったけれど、ミチェル様はクスッと笑っただけだった。それから今の発言などなかったかの様に白いマントを僕に着せ掛けると、扉を開けて僕を部屋の外に連れ出した。
「良いかい?そのブラウス姿を下のアイツらに見せては駄目だよ。私ほどには我慢が効かない筈だからね。」
僕は前を歩くミチェル様の直ぐ後ろをついて歩きながら、思わず呟いた。
「…ミチェル様は僕が知る中で紳士の一人ですから。」
するとミチェル様は振り返りもせずに言った。
「そうかい?もしかしたらそうやってディーを油断させる作戦かもしれないよ?ふふ。紳士か。まったく、そんな事を言われたら、手を繋ぐくらいしか出来ないね。」
ミチェル様の手がサッと僕の手を掴んだけれど、僕は振り払うことはやっぱり出来なかった。ミチェル様って、結構良い人…?
僕はこのままミチェル様に引き摺られて行くのは不味い気がして、掴まれた手を引っ張った。
するとミチェル様はクスリと忍び笑いをして、僕を金色の瞳でチラッと見下ろして楽しそうに言った。
「安心したまえ。別にディーをとって食おうとしてるわけじゃないから。私のせいで被害を被った君にお詫びして始末をつけたいだけだよ。このまま帰したら私の名誉に傷がつくんだ。
…悪いが詫びを受け取ってくれないか?」
最上級生のミチェル様にそこまで言われては、僕もそれ以上抵抗ができなかった。実際僕は髪がびしょ濡れで時々震えが来ていたこともあって、諦めて引っ張られるまま着いて行くほかなかった。
ミチェル様が入って行ったのは、三つの棟のどれにも当たらない少しこじんまりした建物だった。その建物の存在には気づいていたけれど、僕ら学生には関係ないものだと思っていた。
僕は明らかに凝った作りの棟の入り口を見上げながら、ミチェル様に尋ねた。
「…ここって何ですか?」
僕が尋ねると、ミチェル様は美しい庭園を臨む外廊下を歩きながら言った。
「ここは特別棟だ。主に先生方や最上級生らの専用スペースが入ってる。私は最上級生だからね、卒業する迄ここを自由に使用出来る許可が降りているのさ。ああ到着した。早く乾かさないと風邪をひきそうだ。ね?」
ミチェル様が少しずつ違った装飾の扉のひとつを開けると、そこには居心地の良さそうな談話室が広がっていた。螺旋階段の先には書庫が広がっている。談話室のソファに座って談笑していた数人の上級生らが、僕らを珍しげにチラリと見た。
「ミチェル、下級生を連れ込むのは禁止じゃないか。お前が名目上とは言え、規則を破るのは珍しいな。魔法専攻の子か?」
見上げる様なガタイの熊獣人らしき上級生が、ニヤリと笑って僕らに声を掛けてきた。
ミチェル様はどうして良いか分からない僕の肩を抱き寄せて、談話室の先の廊下へ向かいながら熊獣人に言った。
「私のせいで酷い目にあった彼にお詫びしたいだけだよ。彼はデトックスドリンクを頭から浴びたんだ。…乾かすだけじゃ無理かもしれないな。」
僕は濡れた髪を指先で摘んだ。確かに妙な臭いがする。あのクソ不味い飲み物は、お湯では流しきれなかったのか。
廊下の先の階段を上ると、通路を挟んで幾つかの扉が並んでいた。ミチェル様は扉がぼんやり光っている部屋を開けると、中へ僕を引っ張り込んで言った。
「マントを取りたまえ。下の服に被害はないか?」
僕は落ち着きのあるこじんまりした部屋を見回しながら、マントのフックを外した。マント自体は魔法で撥水加工がしてあるのか、汚れひとつなかった。
腕を組んで僕を見ていたミチェル様は、顔を顰めて言った。
「ああ、案の定ブラウスに汚れがついてしまってる。ズボンは大丈夫そうだね。流石、魔法専攻のマントは防御力がピカイチだ。ちょっと待ってて。」
そう言うと、部屋の奥へ行ってしまった。
僕は窓から見える景色を眺めながら、ここは総合専攻の専用エリアなのだと思った。そう言えば外扉はシックな赤い色の扉だった。…僕が入って良かったのかな?
奥から顔を見せたミチェル様が僕を呼んだ。
「君もスッキリしたいだろう?湯浴みの用意をしたから、髪を洗っておいで。寮室は湯船がないだろう?ここは広くはないが湯船があるんだ。良い機会だからゆっくり浸かると良い。
君に合うサイズのブラウスは用意できないが、大は小を兼ねるだろう。私の置き服を提供するよ。…時間を見計らってまたここにくるから、ゆっくり汚れを落としておいで。」
そう言うと、僕にタオルやトロミのある高級そうなブラウスを手渡して部屋から出て行った。
僕はミチェル様が閉じた扉の鍵がカチリと閉まるのを眺めながら、何処かホッとした気持ちで部屋の奥へと向かった。今やさっきよりも嫌な臭いは僕に纏わりつく様で、ミチェル様の強引なお節介を有難く感じる様になっていた。
とは言え僕は寮生なんだから、自分の部屋に帰れば良かった話なんだけどね。
流石獅子族と言うべきか、有無を言わせぬ強引さは弟のゲオルグとは別物だ。跡継ぎならではなんだろうか。
湯浴み場を覗くと、案外気持ち良さそうな気の利いた造りになっていた。僕は質の良いシャンプーを使って存分に髪を洗うと、良い匂いの香りに満ちた湯船に身体を沈めた。
ミチェル様は広くないと言った湯船は僕には十分だった。それに寮室には湯船が無いので、風呂好きの僕にはありがたい。僕は鼻歌混じりで湯船を楽しんでいたけれど、部屋の扉が開いた音がした気がして、長湯してしまったかと慌てて湯浴み場から出た。
湯浴み場に取り付けられていた風魔法の魔石に触れると、暖かい風が一気に吹きつけてきて、僕の髪はあっという間に乾いてしまった。このドライヤーもどきは僕の寮室にある物よりグレードが高いな。
僕の部屋に付いているものは、もっと風量も少ないし時間が掛かる。流石に上級生専用のエリアは扱いが違うと妙な納得をした。
ミチェル様から渡されたブラウスを身につけると、僕は鏡の中の自分の姿に思わずため息をついた。身体の大きさが違うとは言え、これじゃブカブカも良いところだ。
ミチェル様は騎士ではないから、どちらかと言うとそこまでマッチョではない筈なのに、僕が華奢すぎるせいなのだろう。
たっぷりの生地をズボンに押し込んで何とか形になった自分の姿は、魔物退治で行った先で見かけた男娼の様な着こなしに見えた。騎士達に纏わりつく彼らは、今の僕より華奢と言うわけではなかったけれど、大きめのブラウスを着ていた。
その方が儚げに見えるからかもしれないと、興味深げに彼らの喧騒を眺めていたチビの僕は、あっという間に慌てたパーカスに宿に連れ戻されてしまったけれど。
僕が思い出し笑いをしながら部屋に戻ると、ミチェル様がソファから立ち上がった。
「…随分楽しそうだ。スッキリしたかい?美しい髪に艶が戻ったね。」
そう言って僕をじっと見つめた。僕はミチェル様の纏う空気が少し変わった気がしたけれど、あえてそれに気づかないふりで御礼を言った。
「湯船をありがとうございました。僕、湯船でのんびりするのが大好きなんです。久しぶりにリラックス出来ました。…あの、お待たせしてしまいましたか?」
ぼんやりした表情で僕を見ていたミチェル様は、ゆっくり僕に近づいて指先で僕の着ているブラウスの襟元を撫でた。
「ここ、ボタンがズレてる…。」
僕が止める間も無くミチェル様の長い指が僕の首元をなぞって、ゆっくりと間違えたボタンを三つ外した。
大き目のブラウスがふわりと胸元を開けて、僕はミチェル様の伏せた瞼がぴくりと動くのを見ていた。この妙な緊張感に僕は戸惑って、心臓を速めた。
けれどミチェル様はボタンを三つ静かに留めると、瞼を上げて金色の瞳で僕と目を合わせた。
「まったく。君は恐ろしい…。無理強いして怖がるかもしれないと手を止めさせたのは君が初めてだ。」
僕は何と答えて良いか分からずに黙りこくってしまったけれど、ミチェル様はクスッと笑っただけだった。それから今の発言などなかったかの様に白いマントを僕に着せ掛けると、扉を開けて僕を部屋の外に連れ出した。
「良いかい?そのブラウス姿を下のアイツらに見せては駄目だよ。私ほどには我慢が効かない筈だからね。」
僕は前を歩くミチェル様の直ぐ後ろをついて歩きながら、思わず呟いた。
「…ミチェル様は僕が知る中で紳士の一人ですから。」
するとミチェル様は振り返りもせずに言った。
「そうかい?もしかしたらそうやってディーを油断させる作戦かもしれないよ?ふふ。紳士か。まったく、そんな事を言われたら、手を繋ぐくらいしか出来ないね。」
ミチェル様の手がサッと僕の手を掴んだけれど、僕は振り払うことはやっぱり出来なかった。ミチェル様って、結構良い人…?
応援ありがとうございます!
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