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侯爵の思惑
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馬鹿正直に自分の名前の一部を呼び名にしてしまったのはどうしてだろう。目の前の魅力的な女、女と言うには若い令嬢に自分を認識して欲しかったのか?シュベルツ侯爵家後継であるロレンソは、手元のまだ体温さえ感じる美しい下履きを指でなぞりながら考え込んでいた。
彼女の立てる湯浴みの音をすっかり熱くなった身体で味わいながら、無垢さと奔放さ、その相反するメッセージを送ってくるビーにロレンソはすっかり魅力されていた。
とは言えこれから彼女に指南を受ける事に、そうしたい気持ちと、彼女にそんな事をして欲しくないと言う矛盾した気持ちにも引き裂かれている。
後継として最初の指南を受けた少年時代、ロレンソは当時生真面目な性格だったせいもあって、毒婦の様なその女に我慢出来なかった。そのせいで、長い間女という存在から距離を取っていたのは本当だ。
それは後継として婚姻をせっつかれる際の良い言い訳になっていて、大人になるにつれトラウマなど密かに解消した後も、それを理由にしていたのは不味かったのかもしれない。
侯爵令息である自分に周波を送ってくる令嬢や淑女達が、自分そのものより未来の侯爵夫人を望んでいる様に感じられて、余計に女と深入りする事を避けてきたのも事実だった。
「お前に良い指南役を用意した。」
ある日突然神妙な顔をした父上である侯爵にそう言われて、ロレンソは飲んでいた強い酒で喉を詰まらせた。どうしてそんな話が出たのか分からず、涙目になりながらハンカチで口元を押さえていると、侯爵はロレンソを憐れんだ眼差しで見つめて呟いた。
「…まだ少年だったお前にあの様な女を指南役にしたのを私も後悔していたんだ。だが、安心しろ。今回の指南役は望んでも叶えられない相手だぞ。グロウ子爵の歓喜の姉妹だ。
流石にお前もそろそろ婚姻を本気で考えても良い立派な歳だ。27歳で改めて指南を受ける事にしたのは、先ずはトラウマの解消が先だと思ったのだ。」
ロレンソは顔を顰めて侯爵を見つめた。
「…グロウ家の姉妹たちはとっくに夫人になっていますよね。決闘騒ぎがいまだに噂話に上るほど彼女たちの婿取りは有名ですから。流石に私も指南役に既婚者はどうかと思いますよ。夜会で夫に剣を突き立てられたくはありません。」
すると侯爵はニンマリして愉しげにグラスを傾けた。
「お前はもう少し社交をすべきだな。今までサボっていたせいで情報に疎いと見える。」
ロレンソは侯爵の言葉に苦笑した。確かに最低限の夜会にしか出ていないせいで、細々としたゴシップからは縁遠い。同時にロレンソは美しい黒髪の令嬢を瞼の裏に思い浮かべた。
王宮ですれ違っただけの印象的な彼女の名前をまだ知らないのも、社交不足のせいなのだろうか。
「グロウ家には秘蔵の末っ子令嬢がいるのだよ。歓喜の姉妹とはかなり歳が離れているから、グロウ姉妹としてはあまり知られていないのだ。私は子爵とは旧知の仲でな、誰もが魅了されるご令嬢を持つ彼に女嫌いのお前の事を相談したんだ。
子爵は少し考え込むと、思いもしない事を提案してきた。
グロウ子爵の家訓として、相性を確かめずに婚姻は認めていないのだそうだ。そんな考えの貴族は珍しいが、それが理由なのか恋多きグロウ子爵の令嬢方と結婚した伯爵や辺境伯、彼らはいつも呆れるほどに奥方にぞっこんでやにさがっているのは事実だ。
彼はお前の指南役に末っ子令嬢はどうかと提案してきた。要は令嬢の経験相手に身元の確かな者を探していたらしい。お前が気に入られるかは分からないが、令嬢の望み通りに振る舞うだけだ。お前の良いトラウマ解消にもなるだろう。
もっとも、貞操は守る条件つきだ。それも含め信用を我が家が得られたと言う訳だ。
少なくともご令嬢は毒婦ではないし、私の知る限りお前の立場に立てるのなら国中の独身貴族が金貨の詰まった袋を投げるだろう。だが、グロウ子爵は金貨には見向きもしないから、お前がその権利を得られたのは単純に幸運でしかない。ははは。」
侯爵は戸惑いを見せるロレンソを見つめてほくそ笑んだ。トラウマを理由に婚姻話を避けて来た息子を遂に追い詰めたと笑い出しそうだった。あわよくばグロウ子爵の末娘と結婚してくれたら御の字だが、こればかりはグロウ子爵の言う相性が合わないと望めないのだから、ロレンソに頑張ってもらう他ない。
グロウ子爵の奥方は当時我々の中でも高嶺の伯爵令嬢だったが、彼女は爵位を落としてでもグロウ子爵と愛を持って結婚した。彼らの子供らの社交界を賑わす多くのゴシップを見れば、貴族同士の決まり切った婚姻などとはまるで別物だと言うことが分かる。
我が子ながら不器用に感じるロレンソに、グロウ子爵の未婚の令嬢を引き合わせる事が出来た自分の幸運を、侯爵は一人グラスを傾けて乾杯した。
子供を幸せにしたいと願うのはどの親も同じだ。
彼女の立てる湯浴みの音をすっかり熱くなった身体で味わいながら、無垢さと奔放さ、その相反するメッセージを送ってくるビーにロレンソはすっかり魅力されていた。
とは言えこれから彼女に指南を受ける事に、そうしたい気持ちと、彼女にそんな事をして欲しくないと言う矛盾した気持ちにも引き裂かれている。
後継として最初の指南を受けた少年時代、ロレンソは当時生真面目な性格だったせいもあって、毒婦の様なその女に我慢出来なかった。そのせいで、長い間女という存在から距離を取っていたのは本当だ。
それは後継として婚姻をせっつかれる際の良い言い訳になっていて、大人になるにつれトラウマなど密かに解消した後も、それを理由にしていたのは不味かったのかもしれない。
侯爵令息である自分に周波を送ってくる令嬢や淑女達が、自分そのものより未来の侯爵夫人を望んでいる様に感じられて、余計に女と深入りする事を避けてきたのも事実だった。
「お前に良い指南役を用意した。」
ある日突然神妙な顔をした父上である侯爵にそう言われて、ロレンソは飲んでいた強い酒で喉を詰まらせた。どうしてそんな話が出たのか分からず、涙目になりながらハンカチで口元を押さえていると、侯爵はロレンソを憐れんだ眼差しで見つめて呟いた。
「…まだ少年だったお前にあの様な女を指南役にしたのを私も後悔していたんだ。だが、安心しろ。今回の指南役は望んでも叶えられない相手だぞ。グロウ子爵の歓喜の姉妹だ。
流石にお前もそろそろ婚姻を本気で考えても良い立派な歳だ。27歳で改めて指南を受ける事にしたのは、先ずはトラウマの解消が先だと思ったのだ。」
ロレンソは顔を顰めて侯爵を見つめた。
「…グロウ家の姉妹たちはとっくに夫人になっていますよね。決闘騒ぎがいまだに噂話に上るほど彼女たちの婿取りは有名ですから。流石に私も指南役に既婚者はどうかと思いますよ。夜会で夫に剣を突き立てられたくはありません。」
すると侯爵はニンマリして愉しげにグラスを傾けた。
「お前はもう少し社交をすべきだな。今までサボっていたせいで情報に疎いと見える。」
ロレンソは侯爵の言葉に苦笑した。確かに最低限の夜会にしか出ていないせいで、細々としたゴシップからは縁遠い。同時にロレンソは美しい黒髪の令嬢を瞼の裏に思い浮かべた。
王宮ですれ違っただけの印象的な彼女の名前をまだ知らないのも、社交不足のせいなのだろうか。
「グロウ家には秘蔵の末っ子令嬢がいるのだよ。歓喜の姉妹とはかなり歳が離れているから、グロウ姉妹としてはあまり知られていないのだ。私は子爵とは旧知の仲でな、誰もが魅了されるご令嬢を持つ彼に女嫌いのお前の事を相談したんだ。
子爵は少し考え込むと、思いもしない事を提案してきた。
グロウ子爵の家訓として、相性を確かめずに婚姻は認めていないのだそうだ。そんな考えの貴族は珍しいが、それが理由なのか恋多きグロウ子爵の令嬢方と結婚した伯爵や辺境伯、彼らはいつも呆れるほどに奥方にぞっこんでやにさがっているのは事実だ。
彼はお前の指南役に末っ子令嬢はどうかと提案してきた。要は令嬢の経験相手に身元の確かな者を探していたらしい。お前が気に入られるかは分からないが、令嬢の望み通りに振る舞うだけだ。お前の良いトラウマ解消にもなるだろう。
もっとも、貞操は守る条件つきだ。それも含め信用を我が家が得られたと言う訳だ。
少なくともご令嬢は毒婦ではないし、私の知る限りお前の立場に立てるのなら国中の独身貴族が金貨の詰まった袋を投げるだろう。だが、グロウ子爵は金貨には見向きもしないから、お前がその権利を得られたのは単純に幸運でしかない。ははは。」
侯爵は戸惑いを見せるロレンソを見つめてほくそ笑んだ。トラウマを理由に婚姻話を避けて来た息子を遂に追い詰めたと笑い出しそうだった。あわよくばグロウ子爵の末娘と結婚してくれたら御の字だが、こればかりはグロウ子爵の言う相性が合わないと望めないのだから、ロレンソに頑張ってもらう他ない。
グロウ子爵の奥方は当時我々の中でも高嶺の伯爵令嬢だったが、彼女は爵位を落としてでもグロウ子爵と愛を持って結婚した。彼らの子供らの社交界を賑わす多くのゴシップを見れば、貴族同士の決まり切った婚姻などとはまるで別物だと言うことが分かる。
我が子ながら不器用に感じるロレンソに、グロウ子爵の未婚の令嬢を引き合わせる事が出来た自分の幸運を、侯爵は一人グラスを傾けて乾杯した。
子供を幸せにしたいと願うのはどの親も同じだ。
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