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本編

視察

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 何せ資料に書いてあったのだから。
 ファビオが誇る国の制度にも、影になる部分があるということを。
 ファンタジアのことですら、GMとして掌握していた。
 その一国家であるオラトリオについては、公開前だった分、事情を知らないところもあるけれど、どこの国も多かれ少なかれ闇を抱えている。
 綺麗なものだけを見てきたわけじゃない。
 イリアがそう言うと、エヴァルドは思いの外、静かに頷いた。

「言われてみれば、神子であるイリアが知らぬはずがないか……」
「私も全てを知っているわけではありませんよ」

 むしろこれからは知らないことのほうが多くなるだろう。
 製作会社からリアルタイムで情報を得ることはできないのだから。

「エヴァルド、私は人の醜い部分も知っているつもりです。だからそれを恥だとは思わないでください」

 汚職は正すべきことだが、無理をする必要はないのだと伝えたかった。
 自分のために、エヴァルドが犠牲になることはないと。
 言い募るイリアの細い手が持ち上げられる。
 エヴァルドは、許しを請うよう手の甲へと口付けた。

「これは余の矜持でもあるのだ。聖王として、神子を迎えるための。……だから少し、視察に邪魔が入るのは許して欲しい」
「もう止められないんですか」
「お互い動き出してしまったからな。先ほども言ったが、心配はいらぬ。そなたに人の醜いところを見せたくはないしな」
「だから私は」
「知っていても、あえて見たいものではないだろう?」

 それは、そうだ。
 でもだからといって、自分だけが綺麗な場所にいるのは違う気がした。

「ことが起これば、誰よりも信頼できる者をそなたにつける」
「あなたに危険はないんですか?」
「ない、とは言い切れぬが、余が主導している計画だ。抜かりはない」

 エヴァルドの言葉を信じたい。
 けれど不安は拭いきれず、手を握る。

「約束してください。絶対にあなたは傷付かないと」
「約束しよう、我らの神に誓って。……そなたと約束すれば、本当に傷付かなくて済みそうだ」
「私に加護を与える力はありませんよ」

 神より万能だと言われても、自分の知らないところでエヴァルドを守る力は、イリアにはない。
 もどかしい気持ちにさせられるが、所詮神子は神ではなかった。
 GMであっても、できることは限られる。

「疲れているときに、気分の良い話ではなくて悪かった」
「疲れているのも、あなたのせいですけど」
「どこが辛い? 揉みほぐしてやるぞ」
「結構です!」

 そもそも体は疲れていないのだ。
 穏やかじゃないエヴァルドの手つきに、イリアは距離を取った。


◆◆◆◆◆◆


 あれから更に二日かけて辿り着いた視察地は、巨大な湖だった。
 静かな水面には、山や空の風景が映り込んでいる。
 今日は自分の足で歩いているのもあって、全身で涼やかな風が感じられた。
 ベールを着けているおかげで、直射日光も気にならない。
 エヴァルドがエスコートしつつ、湖について説明してくれる。

「山の中腹に位置するここが、オラトリオで一番大きい水源地だ。行政区から見下ろせる各区画へも、ここから水を引いている」
「馬車で片道三日かかる距離をですか!?」

 その途方もない距離に目を剥いた。

「実際は斜面に沿って水道が造られているからそれほどでもない。大神殿を含む行政区では、別の水源地を使用しているがな」

 大神殿には神子と王族の居住区が連なっているため、一般とは分けられているらしい。

「これだけ大きいと管理が大変そうですね」
「自然災害には気を付けねばならぬが、それほどでもないぞ。理由はすぐにわかる」

 そう言って連れて行かれたのは、湖畔に建てられた小さな神殿だった。
 大神殿のような大きな柱もなく、塔が併設された茶色い三角屋根の建物は、神殿というより教会をイメージさせる。
 入口では神官が両膝を地面へ着き、イリアに向かって手を合わせていた。
 オラトリオにおいて、これが正式な祈りの形だという。
 中継地点として泊めてもらった屋敷の主人にも、同じ姿勢でイリアは祈られていた。

(私の姿が視界に入った途端、これなのは流石に慣れないんですが……)

 おかげで挨拶という挨拶もできていない。
 相手にしてみれば、言葉を交わすのも恐縮するというのだから仕方ない。
 ほとんど神に対する姿勢と変わらなかった。
 元が一般人だけあって、どうしても居心地の悪さを感じてしまうけれど、信仰心ゆえのことなので下手なことも言えず。

(気にしないようにするしかありませんよね)

 私は神子、私は神子……と心の中で唱えて、その場を過ごす。
 一方のエヴァルドは、祈る神官に目もくれない。彼にしてみれば、当たり前の反応だった。
 本来なら率先して案内をしてくれる人がこんな状態なので、移動先では常にエヴァルドが甲斐甲斐しく動いてくれた。
 聖王をないがしろにしていいのかと思うものの、当人が全く意に介してなかったので指摘せずにいる。

「塔には、水の神アクアがまつられている」

 水の神アクアは、オラトリオを代表する神の一柱だ。
 祈る神官の前を通り過ぎ、塔へと足を踏み入れる。
 光源が窓から入る光しかないため、中は薄暗く、ひんやりしていた。
 浅瀬に足をつけたような感覚を覚えながら、像の前に立つ。

「湖に限らず、我らが汚さぬ限り、水源地には加護が下りるのだ」
「どういった加護なんですか」
「そうだな……例えば、悪意ある者が毒を流そうものなら、天罰が下る。この場合は犯人が特定できるゆえ、加護はなくならない」
「水の清潔さが保たれるのは有り難いですね」
「うむ、過去には戦争で井戸へ毒を投げ込んだ者がいたが、それを指示した者は呪いを受けたぐらいだ」

 神の天罰は、基本的に呪いとして現れるらしい。

「だがそうなると、下水も垂れ流すわけにいかぬ」
「流した先が汚染されてしまいますからね……」

 川や海で自然に浄化される分には大丈夫だが、人口が多くなるとそうも言っていられない。
 特にオラトリオは海に面し、港を含む裾野が商業区として賑わっている。
 神の怒りを買わないために水質汚染に気を配るというのは、宗教国家らしかった。

「海に水源地と同じ加護があるわけではないから、神経質になる必要はないのだが、水は巡るものだからな」
「別の面でも、下水処理は大切だと思いますよ」

 神が人に介入できることは少ない。
 だから天罰という意味では、エヴァルドの言った通り、神経質になる必要はないだろう。
 でもそれで公害病などが起こったら、目も当てられなかった。
 オラトリオの産業から考えれば可能性は低いものの、人が密集している以上、水質汚染は切り離せない問題だ。
 為政者としてエヴァルドも理解しているのか、重く頷く。
 改めて彼が王であることを実感する。
 聖王の顔をしたエヴァルドは威厳に満ちていて、真摯に国政へ向き合う姿に、胸が熱くなった。

「そういえば、水の神アクアは下りていないようだな」
「私が意見を求めて会いに来たわけではないからでしょうか」

 万神殿では、すぐに創世の神クレアーレが姿を見せた。
 けれど水の神アクアが現れる気配はない。
 そう思って何気なく足元に視線をやったとき。
 何もないはずの石畳で水しぶきが上がった。
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