そばかす糸目はのんびりしたい

楢山幕府

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02.出立

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 出立当日、公爵家総出で見送られる。
 独立している二人の兄と嫁いだ姉からは、先立って励ましの手紙が届いていた。

(律儀なんだよなぁ)

 多忙の合間をぬって、節目には必ず集まってくれる。
 公爵家の仕来りなのかと思いきや、他の兄姉のときはそうでもないので、父親が声をかけているのだろう。
 次期当主である長男のローレンスをはじめ、夫人と息子の姿もあった。
 ローレンスは前妻から波打つ黄金の髪を、父親からは煌めく碧眼に、凜々しい眉とすっとした鼻筋を持つ端麗さを受け継いでいた。齢にして四十二。
 老齢の父親が眉尻を落とす隣で、仏頂面を浮かべている。二十三歳になるローレンスの息子も同じだった。
 公爵家の人々は、自分たち親子を除き、基本無表情なのに珍しい。父親曰く、感情の起伏が現れにくいのだという。
 ちなみに重たい体を引きずって出てきた母親はつまらなそうだった。こちらはこちらで、少し心情を隠してくれないものか。
 とはいえ、母親については通常運転である。

(嫌なら来なければいいのに)

 いつになく感情を見せている兄親子に思う。
 特に今回は節目というほどのものじゃない。
 はじめてとはいえ、単なる出張である。

(父さんが大袈裟に騒いだのかな)

 内心、首を傾げつつ、見送りを受ける。

「着いたら手紙を書くのだぞ」
「わかったよ」

 小さな子にするように、父親から頭をぽんぽんされた。父親の中で、自分は三歳児から成長していないらしい。
 長男家族の前で気恥ずかしさが募るが、笑顔で挨拶して、公爵家の紋章が描かれた馬車へ乗り込む。
 母親との違いを性別以外で挙げるなら、ユージンには愛嬌があった。

 軍功を意味するバラが盾を装飾する公爵家の紋章。
 受け継がれる容姿の華やかさも相まって、いつしかバラは公爵家を象徴する花にもなっていた。
 父親をはじめ、長男家族の美麗さを振り返る。ローレンスの奥方も、夫に引けを取らず美しかった。

 そんな親族の中に交じる、茶色いシミ。

 異物感が際立つが、ユージンにとって、茶色はお気に入りの色でもあった。
 艶やかな栗毛の馬や、乗っている馬車の車体も茶色ながら光沢があり、上質な素材であるのが一目でわかる。
 クセ毛ながらも手入れされた自分の髪は柔らかく、これらと同じ色だと思うと愛着が湧いた。


◆◆◆◆◆◆


 馬車の揺れが収まり、待ち合わせ場所である王城に隣接する広場に到着する。
 地面を均した広場は、騎士の訓練場としても使われていた。
 ここで一緒に出張する上司と落ち合い、飛竜によって目的地まで運ばれる予定だ。
 ほどなくして上司が姿を現す。
 白髪交じりの銀髪を後ろへ撫で付け、真っ直ぐ姿勢を保つ姿はいつ見ても清々しい。
 贅肉のない女性が存在することを、ユージンは上司で知った。

「おはよう、ユージンくん」
「おはようございます」

 笑みを浮かべる上司は、兄のローレンスとは違う貫禄があった。
 ちなみに上司は男爵家当主でもある。ひとえに貴族といっても、抱える背景は色々だ。
 四十代後半で、ローレンスとは数歳しか変わらないものの、厳しさの中に柔和さが感じられた。
 普段は自分を含め、周囲を律しながらも、弱った人には優しい面を見せる。
 どんな問題にも臨機応変に対処する柔軟さを見習いたい。

「朝食は少なめにしてきたかな?」
「はい、助言通りにしてきました。飛竜による移動は、はじめてなので緊張します」

 移動は馬車が一般的だ。平民も乗合馬車などを利用する。
 今回は目的地が遠方な上、急を要する案件のため、飛竜の出番となった。
 時には道に沿って蛇行しなければならない馬車とは違い、空を飛べば行程を三分の一に短縮できるのだ。
 ただ数が少なく、平時には飛竜のパートナーである竜騎士にもお目にかかれない。
 竜騎士に会うのも、これがはじめてだった。
 平静を装っていても、胸がドキドキする。
 飛竜と竜騎士の物語を知らない子どもはいない。空からの脅威を知らずに暮らせるのは、彼らのおかげだった。
 行程を上司とおさらいしておく。
 飛竜を受け入れられる町は限られており、予定が狂った場合は注意が必要だ。

(念のための宿泊道具も荷台にあるから大丈夫だろうけど)

 屋敷から王城へ来るのに使った馬車とは違い、これからユージンたちが乗る荷台は、寝泊まりできるよう仕立てられたものだ。そのため通常のものより床面積が縦長になっている。
 補給地点について確認していると、ふっと、広場を陰が覆う。
 風魔法が得意な上司が、風でシールドを張ったのと同時に地面から砂が巻き上げられた。
 風圧が増す。
 着陸しようと飛竜が翼を羽ばたかせていた。
 頭上に現れた巨体を、ユージンは口を開けて見上げる。
 ドシンッと地響きを感じた瞬間、飛竜から人影が飛び降りた。
 革製の装備で全身を覆っていた竜騎士は、地上へ立つとゴーグルを外した。

「竜騎士のカラクだ。こっちはククル」

 カラクと名乗った竜騎士の頬には、一筋の傷跡があった。
 赤毛の短髪で、装備越しでも筋肉の厚みから体格の良さが窺える。ユージンより頭一つ分大きく、低い声音に無骨さが現れていた。
 ククルと紹介された飛竜は苔色で、行儀良く座っていても四階建ての城塔と同じ迫力があった。食事の際には、馬一頭をぺろりと平らげるという。
 それぞれ挨拶を交わしたあと、カラクの指示に従い、外見と体臭を飛竜に覚えてもらう。

「動くなよ」

 上司もユージンも貴族である上、職場での階級もあるが、竜騎士におもねる様子はない。
 竜騎士が出動する場合、ほとんどが急を要するため普段から礼儀は不問とされていた。
 笑顔のまま表情が固まっている上司の次はユージンの番だ。
 直立不動で、飛竜の巨大な顔が近付いて来るのを待つ。
 人を丸呑みできそうな顎に、どうしても腰が引けてしまうものの、頑丈なウロコが連なる様や、クリッとした大きな目を認めると興味のほうが勝った。

(綺麗だ)

 動きに合わせて波打つウロコに反射された光が、時折虹色を見せる。
 透き通った大きな瞳は琥珀色で、水のベールに覆われているようだった。
 観察されていることに気付いたのか、飛竜が鼻頭をユージンの腹に押し付ける。

「わわっ」

 危うく後ろへ転けそうになったところを、カラクが支えてくれた。

「ありがとうございます」
「飛竜に気に入られるとは、竜騎士の素質があるのか」
「気に入られてるんですか、これ?」

 てっきり抗議されているのだと思った。
 ふんふんと鼻息荒く押されるたびに、転びそうになる。

「君のことがもっと知りたいという仕草だ」
「あー、動物には好かれやすい質ではあるんですけど」

 子どもの頃から猫や犬を見かければ、向こうから寄ってきた。
 飛竜もそうなのは予想外だ。

「なるほど、たまにそういう者がいるな。ククル、あまり浮気するなよ」

 ピッと笛を吹いて、カラクが飛竜へ指示を出す。
 パートナーの手振りに従い、飛竜は姿勢を正した。
 足を閉じ、竜騎士の動きに連動してスッと顔を上げる。
 逆光が飛竜のウロコを、竜騎士の装備を輝かせ、縁取る。
 規律ある姿に、自然と声が漏れた。

「かっこいい……!」

 童話の挿絵そのままの光景が、そこにはあった。
 自分でも糸目がキラキラしているのがわかる。
 ユージンの反応に、竜騎士は胸を張った。心なしか飛竜も自慢げに見える。

「そうだろう?」
「はい、とても素敵です!」
「ははっ、君は飾らないんだな」

 心からの賞賛が伝わったのか、目元を赤く染めながら竜騎士は顎を撫でる。声の調子も軽くなっていた。
 こほん、と一呼吸置いて、説明が続けられる。

「顔合わせはこれで大丈夫だ。あとは荷台に乗って待っててくれ。座ったら必ずシートベルトを着けること。予定の着陸地点までは飛びっぱなしだ。何かあるときは連絡窓へ向かって叫んでくれ」

 馬車の荷台には、御者台の背中側に連絡窓があった。
 中の人が、指示を伝えるためのものだ。
 上空では風が強いため、いくら叫んでも竜騎士に声は届かないが、飛竜が気付いて竜騎士に伝えてくれるとのこと。
 これから文字通り、上司とユージンは荷台ごと飛竜に運ばれるのだ。
 上司と席へ着く。

「飛竜に懐かれるなんて、さすがだね」
「嫌われなくて何よりです」
「間違いない。けど今から竜騎士を目指すなんて言わないでくれよ。君がいない職場なんて考えたくもない」

 上司はユージンの仕事ぶりを評価してくれていた。だから出張にも同伴することになったのである。

「安心してください。僕じゃ手綱すら握れませんよ」

 腕を曲げて力こぶをつくって見せるものの、少し筋肉が動いた程度で終わる。
 元々運動が苦手なのもあり、ユージンは細身だ。

「馬には乗れたと記憶しているんだが」
「乗るというより、馬に乗せてもらってる感じです」

 頼りない乗り手に、馬のほうが気を遣ってくれた。おかげであまりスピードは出せない。

「文官なんてそんなもんさ」

 運動が得意なほうが珍しい、と上司は言うが、どう見ても当人は鍛えていた。
 実際、軽やかに馬に跳び乗る姿を目撃している。

(僕も運動しなきゃなぁ)

 思うものの、実行したためしがない。
 なんだかんだいって休日のユージンは、母親とそう変わらなかった。大体、ゴロゴロしながら本を読んでいる。
 付き合いで出かける七十の父親のほうが動いていた。
 日々の生活を振り返れば、出張先で倒れるんじゃないかと心配されるのも頷ける。

「仕事中は走り回ってる自覚があるんですけど」

 ユージンの部署は、騎士団の総括事務を担っていた。
 決められた予算の中で、消耗品を管理し、騎士団の要望を聞くのが仕事だ。
 そこには経理も含まれ、騎士団から上がってきた書類の中に、不備や経費に不相応のものが含まれていた場合は、突き返さないといけない。
 大きく三つに分かれる騎士団の間を、書類を持って行ったり来たりするので、自然と運動量は増えた。

「君みたいな使い勝手のい――ごほん、優秀な部下を持てて、私は嬉しいよ」

 人によっては、突き返した書類を更に突き返されることがある。
 一つの騎士団ごとに事務担当はいるのだが、あくまで騎士が本業のため、書類作成や計算を嫌う者が多かった。細々としたものは、全部そっち――総括事務――の仕事だろう、というのが彼らの言い分である。
 騎士団のサポートをするのが事務の本分だ。
 しかし予算の中では、認められるものに限度があった。それがわかってもらえず、上司同士でも衝突が絶えなかったりする。
 ユージンの場合、公爵の末息子という身分が役立った。
 社交界では父親の過保護も有名で、騎士団の上役は貴族が多く、ユージンを通して父親を見る。逆に跡目を継げない貴族子息や平民からなる騎士たちは、空気扱いされているユージンに同情した。
 おかげでユージンが書類を突き返されたのは、身分が周知されるまでだった。
 今では騎士の友人もでき、書類を持って行けば話を聞いてもらえる。
 驕ったところのないユージンは、上司の指示にも素直に応じるため、扱いやすいと言われればその通りだった。本人にしてみれば、波風が立つ状況が苦手なだけなのだが。
 ちょうど話が一区切りついたところで、荷台が揺れる。
 飛竜のハーネスに荷台が取り付けられたのだ。
 上司が天井付近にある手すりを掴む。ユージンもそれに倣った。

「ああ、いよいよか……私は浮き上がる瞬間がどうにも苦手でね」
「飛竜に運ばれる経験がおありなんですね」
「便利だけど、正直、あまり経験したくな――」

 言葉の途中で、ガタガタと揺れが大きくなる。
 飛竜が翼を上下していた。
 血の気が引いている上司を見て、ユージンも腹をくくる。
 荷台が地面から離れる。
 飛び上がる瞬間、圧を感じた。
 体が、
 内臓が、
 下へ押し付けられる。
 そして、一定の高さが保たれると解放され、ふわっと腹の中が浮いた。

(うっ、これは僕も苦手かも)

 はじめての感覚に冷や汗が浮かぶ。
 高所恐怖症ではないので大丈夫だろうと慢心していた。
 到底、竜騎士にはなれそうもない。
 緊張が解けるまでの間、車内に長い沈黙が下りた。
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