そばかす糸目はのんびりしたい

楢山幕府

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01.父親

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 建国の功労者であり、王家のよき隣人であるケラブノス公爵家。
 齢七十の当主も若かりし頃は、家門が持つ雷鳴の二つ名の通り、苛烈だったという。
 現在は家業のほとんどを長男に任せ、屋敷の離れでほぼ隠居生活を送っていた。
 余生を楽しむただの好々爺だ。
 豊かな白髪をオールバックにし、顎ひげを逆三角形に整えた当主は、いつになく真剣な面持ちで末息子と向き合う。
 彫りが深い相貌は、年老いても美麗さと意思の強さを窺わせた。

「ユーちゃんも一緒にダラダラしよう」

 黙っていれば威厳があるのに、口を開けばこれである。
 リビングの窓際に置いてある一人掛けのソファーにお互い腰掛け、迫る父親の顔から逃れるため、ユージンは背もたれに体を預けた。

「のんびりしたいのは山々だけど」

 許されるなら、日がな一日、屋敷の美しい庭を眺めながらボーっとして過ごしたい。いや、現状、他ならぬ当主から許されているのだけれど。
 ユージンは目の前にある悪例へ、ちらりと視線を向ける。

 父と子が顔を突き合わせていても、我関せず。
 母親は、部屋の中央にある三人掛けのソファーに寝転んでいた。
 今は頬杖をつき、クッキーを頬張っている。
 目線の先には最近ハマっている恋愛小説があった。
 結婚して二十キロ増えた姿は、草原で寝そべる牛そのものだ。
 お楽しみシーンに、ニヤニヤする母親の顔を見ていられず、目を逸らす。

(ああはなりたくない)

 母親が自堕落でも許されているのは、後妻だからだ。
 加えて、結婚に際し、父親に条件を出していた。
 「何もしない」と。
 その胆力だけは凄いものである。
 何せ当時の母親は、辺境にある部族の中でも行き遅れだったのだから。三十六歳だった。よくもまぁ、国を代表する公爵家の当主に対し、大きな顔ができたものだ。
 当の父親は、ユージンの視線を追って、頬を緩めながらくつろぐ母親を見ていた。

(権力者の考えることって、わからないな)

 結婚式は親族だけを招いた小さなものだったらしい。
 以後、母親は社交界へ出ることもなく、父親と共に屋敷の離れでのんびり暮らしている。
 羨ましいこと、この上ない。
 この上ない、が。
 ユージンは母親とそっくりだった。
 そばかす顔の糸目に茶色いくせっ毛は、母親の生き写しである。唯一、碧眼だけ父親から受け継いだが、糸目故、傍からは判別不能だ。
 そして受動的な性格も似通っていた。
 未来予知の能力がなくとも、行く末は簡単に想像がつく。
 目の前に見本があるのだから。

(あぁ、もっと僕の気が大きかったら)

 母親のように図太くのんびりできたのに。
 結婚の条件は、あくまで母親とのもの。
 息子のユージンは、公爵家の慣例に従い、社交界へ参加していた。
 幼少から礼儀を躾けられ、貴族の常識を叩き込まれている。
 結果、一般的な思考を持つようになった。

(父さんの考えも間違いじゃないんだけど)

 労働せず、有閑こそが貴族の代名詞。
 しかし父親の現役時代も、あとを任されている長男も、多忙なのを知っていた。長男に限らず、その妻も、お茶会とは名ばかりの情報収集や人脈づくりに明け暮れている。
 優雅で贅を尽くした生活。
 その裏にある一面を、公爵家の末息子として育ったユージンは無視できない。

(結局のところ、小心者なんだよなぁ)

 誰も自分のことなど気にしないというのに。父親を除いて。
 再婚への反発はなかったそうだ。跡目が長男に決まっていたこともあり、残りの人生は好きに生きたらいい、と気にされなかった。その延長で、ユージンも空気扱いされている。
 ユージンがソファーで牛になっていても、文句は言われない。
 それでも、だったらいいじゃないか、とは思えなかった。

(どう考えたって、心証が悪いし)

 平民が槍玉に挙げる、「何もしない貴族」そのものである。
 ユージンは人目が気になり、堂々と怠けられない。
 だから、何かきっかけさえあれば、のんびりしてやる! と考えている。
 母親からユージンへ視線を戻した父親は、眉尻を下げた。

「どうしても行くのかい? パパたちと一緒にいても、誰も文句は言わないよ?」
「仕事だから」

 二十歳になるユージンは、王城で文官として働いていた。
 このたび地方で問題が起こり、対応すべく上司と出張することになったのだ。
 正直、目まぐるしく書類が飛び交う現場からは早く引退したい。
 それでも人目が気になる小心者故、職は必要だと、親友でもある悪友と共に就職を決めた。
 悪友と所属は分かれたが、上司の指示通りに動けばいい配属先が性に合っていたらしく、忙しいものの同僚たちとも楽しくやっている。

「だが、はじめての出張先がスタンピードを抱えた場所とは……さすがに荷が重過ぎないかい?」

 地方で起こった問題は、「スタンピード」――魔物が集まって暴走する兆しがあることだった。
 報告があった時点で、当該地域の騎士が集められている。
 冒険者ギルドとの連携も決まっており、町の安全は確保されているものの、管理する人手が足りなかった。そこで現場を助けるべく辞令が下りたのだ。
 父親にとって、自分はまだ半人前。
 ユージンも自覚があるからこそ、引けなかった。経験は積んでこそである。

「安全に絶対がないのは承知しているよ。けどここで尻込みしてたら、何のために仕事をしているのかわからないじゃないか」

 危険度が低いことは、父親も理解していた。
 最悪、王都への伝令役と称して逃げることもできる。王都から派遣される文官には、免罪符が用意されていた。
 それでも心配が尽きないのは、無理をしていると思われているのだろうか。

(母さんの結婚条件を考えれば、そうなるかな)

 ユージンと母親は容姿からして似たもの親子である。四方八方を向く茶色いくせ毛も母親譲りで、手入れが面倒なため襟足の長さで切っていた。
 気質も自制しなければ、すぐにでも、のんべんだらりとするだろう。
 尚も、父親は言葉を重ねる。

「お前は魔力も少ない。水が合わなくて倒れたらどうする?」

 雷鳴、という二つ名が付けられるほど、公爵家は代々豊富な魔力を有し、攻撃面では雷魔法を得意としてきた歴史がある。前妻の子どもたちは父親からその気質を受け継いだが、ユージンは違った。
 貴族が持つ魔力量の平均ぐらいしかなく、雷魔法も一応は使えるが人一人をやっと気絶させられる程度の些細なもので、戦闘では役立たない。
 武官でなく、文官を選んだだけあって、腕っ節も弱かった。

「死ななきゃいいのよ、死ななきゃ」

 紅茶を飲むべく体を起こした母親が告げる。

「生きてるだけで偉いの。他は惰性でしかないんだから、好きになさいな」

 就職を決めたときにも、同じことを言われた。
 ごっごっと喉を鳴らして紅茶を飲み干すと、ユージンの返事を待たず、母親は小説の世界へ旅立つ。

「まぁユージンの美しい姿勢を見て、侮る奴はおらんか。絡まれたらパパの名前を出すんだよ」

 母親の言葉を受けて、父親が妙な方向で納得する。
 ことあるごとに父親はユージンの所作を褒めた。貴族の理想型だと。

(至って普通だけど)

 可もなく不可もなく、公爵家の人間として恥じない程度のものだ。
 他にこれといって挙げられるものがないのだろう。
 結局は母親の一言が決め手となり、ユージンは出立の日を迎えた。
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