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Beat 5

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「ホラ、あなたのパパよ。 挨拶して」


ミオが迎えにきてくれる部屋で、トモヤは心臓にくさびを打たれていた。

綺麗な女、リホに。

彼女に抱かれ、まだ状況を理解できないくらい幼い男の子は、立ち尽くすトモヤの緩やかな髪に手を伸ばす。


「おまえ…… なに言うて──」

「ちょっとこのコ抱いてて。 証拠を見せてあげるから」


半ば無理やり男の子を押しつけ、リホは鞄の中から大きな封筒を取り出した。


「親子鑑定書よ」


髪の毛を提供したトモヤの心臓が、胸を突き破り飛び出しそうなほど激しく脈打つ。

何でも悪い方へ考えるのはやめようと……ミオの口唇を奪ったのはいつの事だっただろうか。

あれからリホは何も言って来なかったから、トモヤはすっかり安心していた。

やはりリホの思い違いだったのだと、子供の父親は別にいたのだと。

それなのに──

男の子をリホの腕に返し、震える手で封筒の中身を取り出すトモヤ。

そこには、親子関係を否定できない決定的な数字が記されていた。




今日こそ、普通のデートを楽しみ、ミオとの愛を確かめ合うつもりだった。

いや、それより何より、この現実をミオが知ってしまったら、一体彼女はどうなるのだろう。


「3人で暮らすのに、この部屋は狭すぎるわね。今から部屋探しに行きましょ」

「……は?」

「この子はあなたの子。 だったらわたしはあなたの奥さんでしょ?」


この、現実を──……

茫然とするトモヤに再び男の子を押しつけ、リホは彼の腕を取る。

トモヤの意思などおかまいなしに、リホは彼の腕を引いた。


「……トモヤ?」


約束の時間だった。

部屋の前の狭い道路、名前を呼ばれたトモヤは、子供を抱いたまま振り返る。


「────ミオ……」


どうしていつも、こうなってしまうのだろう。

もう二度と傷つけまい、傷つけまいと思うのに。

話すのは今じゃない。

ふたりきり、静かな所で──

そうしたって到底、何も救えないだろうが、それでも──


「ごめん、ミオ…… 急用ができて──」

「パ…… パ、パパ」


トモヤの腕に抱かれた子供が、彼の髪に手を伸ばしながらつたない言葉を発する。

『パパ』──確かにそう。


「そうよ、あなたのパパよ」


綺麗な顔の女性が、これ見よがしに大声を出す。

あの日、第六感が告げた恐怖──

その正体が、ミオの前に姿を現した。

今見ているこの光景は一体何?

本当は判っているはずなのに、ミオの心は現実に追いつかない。

これは夢だ。

そう、悪い夢──


「ミオ……」

「パーパ」


だが、トモヤの声を掻き消す子供の声が、ミオにトドメを刺した。


「……あ────……」


金切り音と共に鋭い痛みがミオの両耳を襲う。

そして、その音と痛みが消えた瞬間、ミオの世界から、すべてが消えた。

街の音も、鳥のさえずりも、トモヤの声も……

何も聞こえない。

白いカラスの話は何だったの?

愛してるって言葉は何だったの?

ロンドンに一緒に行こうって言ったじゃない……

たくさんの台詞を送り出した気がするが、ミオにはもう、自分の声さえ聞こえなかった。

その女性ひとはあなたの何?

その子はあなたの子供なの?

子供がいるのに、あたしとつきあっていたの?

送り出せない言葉が、内側からミオを傷つける。

やはり、運命というものは始めからすべて決まっているのだ。

結局、白いカラスの話はただの作り話で、両親を死なせたミオの罪は許されていなかった。

それでも、こんな結末はあまりにも──


「────嘘つき……」


短いひと言と共に、深い哀しみを湛えたミオの涙がこぼれ落ちる。

そしてミオは、その場に意識を捨てた。




服を着たまま深い大海原に引きずり込まれるような……激しい重苦しさと息苦しさに耐えられず、ミオは目を覚ました。

ここは病院。

今は無意識の世界も現実逃避を許してはくれないようだ。

微動だにせず、ミオはぼんやりと天井の一点をみつめる。

夢ではなく、これは紛れもない現実。


「……ミオ」


自分に対しあそこまで感情を露わにした事がなかったミオ。

それだけに、彼女の苦しみがよく判る。

何をどう話せば……いや、何をどう話したってミオを傷つける道を回避できない。


「ミオ……」


それでも、向き合わなければ。


「……ミオ?」


だが、彼女は天井をみつめたまま返事をしない。

トモヤはそっとミオの頬に触れ、自分と向き合わせる。


「ミオ、ちゃんと話すから…… 聞いて欲しい」

「……えない」

「えっ……?」

「……えない、聞こえない…… なにも、なにも聞こえない!」


トモヤの声も、自分の声も、何も聞こえない──

叫び、取り乱すミオの姿にトモヤは絶句した。

聞きたくないから『聞こえない』と言っている訳ではなく、ミオは本当に何も聞こえなくなってしまったのだと判ったから。
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